約400年前から続く「波佐見焼」
今から約400年前、波佐見町村木の畑ノ原、古皿屋、山似田の三ヶ所に連房式階段状 登窯が築かれ、やきものづくりが始まった。大衆向けの食器として巨大な連房式登窯で多量に生産(江戸後期には染付磁器の生産量は日本一)、手ごろな価格で販売されていたため、全国的に広まったのが波佐見焼。
波佐見焼の特徴は、透けるような白磁の美しさと、呉須(藍色)で絵付けされた「染付」の繊細で深い味わい。透かし彫りや編目模様の優雅さは波佐見焼ならではのものだが、庶民の器として誕生し、長い歴史の中で、その時代の人々の暮らしに合わせ、変化・改良され続けている。
「波佐見焼」本場の工房を訪れる
波佐見焼で代表的といわれる「くらわんか碗」は、簡単な染付紋様を描いたもので、江戸時代に摂津の淀川沿いの船に、小舟で近づき「餅くらわんか、酒くらわんか」と言って売った商人の言葉から名づけられたとされている。土もの風の少し粗い素地と簡素な絵柄、手頃な金額で売られた「くらわんか碗」は、たくさんの庶民の人気を得て、磁器碗は高級なものという当時の常識を大きく変えただけでなく、素朴な中にも巧みな雅さがあると一部で熱狂的に愛され、後には他の産地もこれを模造するほどに。
今回中田が訪れたのは、中村平三氏の工房。やきものの形づくり、特に轆轤成形を得意とし、約60年にわたる職人生活の中で、技術の習得と研鑽に努めてきた。その卓越した陶技が広く認められ、経済産業大臣表彰、県無形文化財指定を受けている。今日もなお、肥前における轆轤成形第一人者だ。