約500年間続く淡路人形芝居
淡路では、人形芝居の歴史は500年を超える。その発祥は、16世紀――。傀儡子(くぐつし)の元祖といわれる百太夫によってもたらされた人形使いと、鎌倉時代から伝わっていた音曲が組み合わさり、淡路人形芝居が生まれたという。
もともとは豊漁や航海の安全を祈念して奉納された人形芝居だったが、次第に娯楽としても民衆に浸透していった。
18世紀には淡路だけで44もの芝居一座があったというから、その熱狂ぶりがうかがえる。当時の芝居フィーバーを物語る言葉に「芝居は朝から、弁当は宵から」というものがある。文字通り、寝食を忘れるぐらいに人形芝居に熱中しているという意味だ。
伝統の保存と後継者の育成
そのように江戸時代の初期に隆盛を迎えた人形芝居だったが、歌舞伎という新しい娯楽の浸透と明治という激動の時代を経て、次第に衰退していった。
18世紀に44座あった芝居一座も、1951年には5座を残すだけに。そんな状況を憂慮し、伝統の保存と後継者の育成を目的に、1969年、財団法人淡路人形協会が発足した。
その活動は国内だけにとどまらず、これまで世界28カ国で公演、1974年のニューヨーク公演ではカーネーギーホールを満員にした。1976年には活動の成果もあって、国の重要無形民俗文化財にも指定。
淡路人形は一生かけて磨く熟練の技
「淡路人形浄瑠璃館」では、そんな伝統の人形芝居が楽しめる。しかも、日によっては人形教室やバックステージ体験もできて、一歩踏み込んだ楽しみ方も可能だ。
淡路人形は、ひとつの人形を操るのに、足を動かす人間、左手を動かす人間、そして胴体と右手を動かす人間の3人が必要だ。「足7年に、左手7年。かしらと右手は一生」といわれるほどに、熟練が必要な作業だそう。観客が感情移入できるほどの生き生きとした人形の表情は、一生かかっても追求しきれないものだという。
中田が対談させていただいた故鶴澤友路(ともじ)師匠は、1998(平成10)年に義太夫節三味線で人間国宝に認定された、なんとこの道90年の重鎮。
「三味線は心で弾くもの」を信条とされ、若手の育成に心を砕かれていた。手先ではなく心で操れば、人形にも心が宿る。かつての民衆が熱狂したのも、その“心”あってこそだろう。