神々が隠れ籠る深い自然 熊野の信仰
いにしえの昔より、神々が隠れ籠もる聖域とされてきた熊野。自然崇拝に根ざした神道と、のちに伝わった仏教が共存し、さまざまな信仰形態を育んだ神仏の霊場である。熊野とはもともと「隈の処」と書いたといわれる。地理的には京や奈良の近くにありながらも、その間には3600峰ともいわれる山々が立ちふさがり、異界の象徴、「死者の住む国」とされてきたのである。
浄土信仰の広まりと熊野詣でのブーム
その熊野詣でがブームになったのは、阿弥陀仏を唱えれば極楽浄土に行けるという浄土信仰が広がった11世紀ごろから。平安後期から鎌倉前期にかけては上皇たちが競うように熊野御幸に勤しみ、後白河法皇はなんと34回も参詣したといわれている。京から往復するには、約1カ月。出発の数日前から水垢離をおこない、一切のなまぐさを断って、苦行の旅に出かける。馬に乗っては苦行にならないため、上皇といえども徒歩で参詣するのがならわしだったという。
熊野は「死者の国」から「現世の浄土」へ
熊野には3つの大社があり、総称して「熊野三山」という。浄土信仰が広まった平安時代以降、熊野三山が祀る神々はそれぞれ次のように捉えられてきた。
本宮大社の主祭神、「家津美御子大神」(けつみこのおおかみ)は阿弥陀如来とされ、“西方極楽浄土”の地。速玉大社の「熊野速玉男神」(くまのはやたまおのかみ)は薬師如来とされ、“東方浄瑠璃浄土”の地。那智の大滝を祀る那智大社の「熊野牟須美神」(くまのふすみのかみ)は千手観音とされ、“南方補陀落浄土”の地。こうして、「死者の国」だった熊野は、現世の浄土とみなされるようになったのである。
世界に認められた熊野
2004年7月には、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、いわゆる熊野古道が世界遺産に登録された。現世の穢れが清められ、新たな自分へと再生する熊野。
平安の昔から、人々が救いを求めて歩きつづけてきた道は、現在も静謐な空気をまとって私たちを迎えてくれる。