三井寺のはじまり
滋賀県大津市は琵琶湖西岸、比叡山の麓に位置する三井寺は、正式には「長等山 園城寺(ながらさんおんじょうじ)」といい、天台寺門宗の総本山、西国三十三箇所観音霊場の第14番札所とされる。
この地に大津京を造営した天智天皇が念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていたが、その意志を果たすことができずに崩御され、息子である大友皇子(弘文天皇)も壬申の乱のために没し大津京も滅びた。
その後、大友皇子の子である大友与多王が、祖父である天智天皇所持の弥勒像を本尊とする寺の建立を発願し、壬申の乱で大友皇子と敵対していた天武天皇がこの寺の健立を許可して、「園城寺」の寺号を与えたとされている。
再興を遂げる「不死鳥の寺」
三井寺の発展の基礎を築き、寺を伝法のための修行の道場として整えた智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)上人の没後は、比叡山(山門)と三井寺(寺門)の対立が悪化し、互いに焼き討ちや武力行使が繰り返された。
源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど、度々の苦難が起こり一時は廃寺に追いやられたこともあったが、そのたびに復興を果たしてきたことから「不死鳥の寺」と呼ばれている。
大切な国宝と重要文化財
歴史の中で数々の法難に遭ってきたにも関わらず、三井寺には多くの文化財が保管されている。その数は国宝10件(64点) 、重要文化財42件(720点)とされ、建造物、絵画、書跡典籍、歴史資料など、多岐にわたり内容にも富んでいる。
客殿と一体化した壮麗な庭園
中田が案内していただいたのは、名勝史跡の庭園である「光浄院庭園」。池泉観賞式の池周辺を固める石組は、豪壮な自然石が選ばれ使われている。この庭園は客殿と一体となっており、より奥深さを感じることができるような設計だ。
庭園は生き物の形でもある。時代は変わっても、三井寺に伝わる教えと共に、その美しさが受け継がれている。