伝統を守り、日本酒の魅力を世界へ届ける。「李白酒造」5代目・田中 裕一郎さん

一杯の酒が、大切な人と過ごす時間をより豊かにしてくれることがある。そんなひとときを、島根から世界へ届け続けているのが李白(りはく)酒造だ。創業140年を超える老舗でありながら、その歩みは常に挑戦とともにあった。海外展開がまだ珍しかった時代から販路を拡大し、近年では花酵母を使った酒造りや、時代に合わせた商品展開にも取り組み、日本酒の可能性を広げている。その根底にあるのは、「日本酒を通して楽しい時間をつくる」という一貫した思いである。

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「出雲の酒造り神話」が語り継がれる地で酒造り一筋に

島根県松江市。古くから酒造りの文化が息づくこの地には、神々が酒を醸したとされる「出雲の酒造り神話」が語り継がれている。そんな土地で、良質な水と、地元・島根県産米を中心に用いて、土地に根差した芳醇(ほうじゅん)な酒を醸し続けてきた。現在では、自社で造るすべての銘柄に酒造好適米(しゅぞうこうてきまい)を使用し、原料米にこだわった酒造りをしている。

時代の変化とともに歩みを重ねて

創業は1882年。封建社会が終わり、日本が西洋文化を取り入れ始めた明治時代に、田中竹次郎が「田中本店」という屋号で酒造りを始めた。当時は現在のような銘柄展開ではなく、近隣の人々が酒器を持って酒を買いに訪れるような、小さな商いだったという。大正から昭和に入ると、全国的に日本酒の流通が整備され始め、各蔵が独自の銘柄を掲げるようになる。このとき、田中本店では「李白」の銘柄を掲げる。その命名は、松江市出身で内閣総理大臣を務めた若槻礼次郎氏。田中本店の酒を愛飲していた若槻氏が、「時代を越えて親しまれる酒であってほしい」という願いを込めて、中国・唐代の詩人に由来する「李白」と名付けた。

そして、戦後は日本酒需要の高まりを背景に、大手メーカーへ原酒を供給する「桶売り」を主体に成長し、1950年に「田中酒造」として法人化。1970年代、まだ大量生産が主流だった時代に、田中酒造は“量より質”へと舵を切る。酒造りに適した米だけを使用し、味わいをとことん追求した自社ブランド「李白」の展開を本格化。試行錯誤を重ねながら品質を高め、やがて数々の賞を受賞するなど評価を獲得し、現在へとつながる基盤を築いた。

その後、1980年代に輸出をスタート。当時はまだ日本酒の輸出が珍しい時代だったが、先代当主が日本酒文化を海外へ広めることを目指した。現在は生産量の4割を輸出し、アメリカを中心に14か国へ届けている。看板商品である「李白」の知名度向上を受け、1993年に代表者の名字を冠した「田中酒造」から「李白酒造」へと商号を変更した。

進取の気性で「日本酒を次世代へつなぐ」

現在、李白酒造の5代目を務めるのは、東京農業大学で醸造学を学び、都内の地酒専門店での修行を経て家業を継いだ田中裕一郎さん。

田中さんが家業に入ったのは2003年。当時、日本酒業界は大きな転換期を迎えていた。焼酎ブームによる市場の変化に加え、長年酒造りを支えてきた職人たちの高齢化が進んでいた。李白酒造も例外ではなく、「このままでは、酒造りができなくなる」 と感じた田中さんは、杜氏中心に行われていた自社の製造体制を見直すことに。安定して酒を造れる仕組みづくりに踏み切った。

近代的な設備を導入し、「出雲杜氏」の技を後世へ

李白酒造の品質は、出雲杜氏の技術によって支えられている。しっかりとした麹づくりと低温でじっくり発酵させる手法により、酸度が高く、力強い味わいを作り出してきた。 しかし、その技術は経験や勘による部分が大きかった。そこで田中さんは、製造工程のデータ化と設備投資を進め、発酵の状態・温度・時間などを数値として管理。再現可能なかたちへと落とし込み、「李白酒造の技術」として確立していった。

一方で、すべてを機械に委ねるわけではない。麹造りなど重要な工程では手作業を重視し、「人間が麹をコントロールする」のではなく、「麹が働きやすい環境を人が整える」方法へとシフトしている。 温度や湿度を細かく見極めながら、麹の状態に応じて手を加えていくことで、その力を引き出す。技術や設備の進歩により、かつては難しかった細やかな管理も可能となり、品質の安定とさらなる向上につながっている。

近年は気候変動により米の品質が変わりやすい。そのため、状態を見ながら毎年改善を図っているという。「調整は尽きないですね。良い酒を届けるため、これからも分析を繰り返します」と現状に満足しない。

花酵母を用いて新たな個性を打ち出す

田中さんが酒蔵に戻るまでは、「五百万石(ごひゃくまんごく)」や「山田錦」といった酒米に、キレのある味わいをつくる「9号系酵母」を掛け合わせた王道スタイルの日本酒をつくっていた。これは、出雲杜氏の技術によって、高品質に造り続けられてきた手法でもある。 

その一方で、田中さんは酒米「雄町(おまち)」と花酵母という新たな組み合わせに挑んだ。花酵母とは、自然界に咲く花から分離・培養に成功した、清酒酵母のこと。使用する花の種類によっても酒質は変わるが、華やかな吟醸香や果実感のある風味を生み出しやすいとされ、個性的な酒造りに活用されている。大学時代に花酵母の研究に携わっていた経験を生かし、従来とは異なる酒造りに取り組んだのである。

「出雲杜氏の技とはまた違う、”李白酒造”ならではの新しい味を打ち出したかったんです」との思いから原料を選び、力強いコクの中に、爽やかな香りと軽やかな酸味を共存させた。華やかな味わいは、女性や日本酒初心者からも好評だ。

こうした試みは、伝統を守っていくための挑戦の一つ。変化を恐れず一歩踏み出す姿勢こそが、次の時代へ日本酒文化をつないでいく原動力になっている。

日本酒を通して、心地よい時間を提供する

日本の飲酒文化は、神事に由来する神聖な「神と人をつなぐ儀式」として始まり、四季の花鳥風月やコミュニケーションを楽しむ場として独自に発展してきた。そうした文化の中で、日本酒は単なる嗜好品ではなく、人と人をつなぐ存在として常に暮らしのそばにあった。

「我々が作っているのは日本酒ではなく、人々の時間を豊かにする”オアシス”なんです」と語る田中さん。日本酒が主役になるのではなく、会話や食事を引き立てる存在でありたいという考えだ。

酒はあくまで“きっかけ”。酒があることで会話が生まれ、食事が楽しくなる。そんな場面を支えたいという。そのために、味わいは食事に寄り添うバランスを重視。飲み飽きず、自然と杯が進む酒を目指している。

酒文化を正しく継承するためのこだわり

李白酒造では、「酒文化を普及し正しく後世に継承する」という理念のもと、すべての酒に酒造好適米(しゅぞうこうてきまい)を使用している。酒造好適米とは、日本酒の醸造に適するよう品種改良された米のこと。コストはかかるが、雑味が出にくく、食事に寄り添うクリアな味わいを実現しやすい。

また仕込み水は、地域の井戸がひとつと敷地内に3本の井戸があり、すべて同じ水系のため、これらを使って仕込んでいる。やわらかな口当たりとすっきりとした後味は、飲み飽きず、食中酒としての魅力を支えている。

飽くなきチャレンジ精神で、暮らしに潤いをもたらす

伝統を守るために、李白酒造の挑戦は止まらない。

2024年にはパウチ容器での販売を開始。地方の地酒メーカーが自社で開発製造まで行うことはほとんどなく、業界としても革新的なアプローチだ。「軽くて持ち運びやすいため、アウトドアやスポーツ観戦といった新しいシーンで選ばれています。インバウンドのお土産に選ばれることも増えました」。今後はパウチ容器で生酒の販売を目指していくという。

こうした挑戦の先にあるのは、国や文化の違いを越えて、人と人が心地よい時間を分かち合うこと。李白酒造は、その一杯が生み出す豊かさを、これからも世界へ届けていく。

ACCESS

李白酒造有限会社
島根県松江市石橋町335
TEL 0852-26-5555
URL https://rihaku.co.jp/
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