約400年の歴史と伝統にアイデンティティーを。「小代焼ふもと窯」井上尚之さん/熊本県荒尾市

言うならばサラブレッド。小代焼の大家とされる井上泰秋さんを父に持ち、約400年の歴史がある小代焼の中でも最大級の6基の登り窯を有する「ふもと窯」に生まれた井上尚之さん。その恵まれた環境は、誇りであると同時に、常に比較と評価にさらされる場所でもあった。

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自分のやりたいことは、本当に陶芸なのか

パチパチと薪がはぜる音がする。登り窯の斜面を駆け上がるようにして燃え広がり、焼き物に命を吹き込む炎の様子に、約400年もの間脈々と受け継がれてきた小代焼の歩みが重なる。

九州を代表する陶器の一つ、小代焼。1632年に細川忠利が陶工を伴い、熊本県北西部にある小岱山(しょうだいさん)のふもとに窯を開いたことが起源とされる。鉄分や小石粒を多く含む小代粘土を用いた素朴で力強い肌合いと、藁灰釉や木灰釉といった地元の自然から作られた釉薬を流しかける大胆なデザインが特徴で、シンプルながら奥の深さを感じさせる佇まいに魅力がある。2003年には国の伝統的工芸品に指定され、現在は荒尾市と玉名郡南関町を中心に11の窯元が残る。

中でも荒尾市府本にある「小代焼ふもと窯」は、現存する小代焼の窯では最大級の6基の登り窯を有し、多くの弟子を輩出してきた名窯だ。初代の井上泰秋さんは日本民藝館展の最高賞受賞をはじめ数々の作品展で入賞し、熊本の伝統工芸の発展に欠かせない存在として知られる。

1975年に泰秋さんの長男として生まれた井上尚之さんは、約400年の歴史と伝統の中に自身のアイデンティティーを取り入れ、イギリスの古い焼きものからヒントを得た​​独自の「スリップウェア」(器の表面をスリップと呼ばれる化粧土で装飾した陶器)が評判の人気作家だ。幼少期は欠けた陶器をままごとセット代わりにして遊び、将来は焼き物をすると当然のように思っていたが、高校時代にふと足を止める。自分のやりたいことは本当に陶芸なのか。迷いながら地元のデザイン専門学校に進学するも、答えは見えない。尚之さんは当時を振り返り「はっきり言って、ふらふらしていましたね」と、眉を下げて笑う。

伝統的な小代焼とスリップウェアの融合

尚之さんは旅に出た。東京、栃木、沖縄と、泰秋さんの知人を訪ね、各地で焼き物やその現場を見せてもらうがピンとこない。だがなぜか、小石原だけが違った。小石原焼を代表する「太田哲三窯元」を見て、自然と「ここで勉強したい」と思えたのだという。その後、代表の太田哲三さんのもとで4年の修行期間を経て、実家であるふもと窯へ。はるか前を歩く兄弟子たちの姿に焦りを感じながら修行を重ね、ようやくろくろの前に座ることができたとき、尚之さんは途方に暮れた。いざ作れる状況に立ってみたら、自分が作りたいものが見えなかった。

そこでヒントとなったのが、太田さんのもとで学んだ技法の一つ「ポン描き」。釉薬を専用の容器から器の表面に流し出すことで線や模様を描く装飾技法だ。尚之さんはこの「ポン描き」に、イギリスに伝わる化粧土で装飾された陶器「スリップウェア」と近いものを感じ、古いスリップウェアや関連書物から“自分が作りたいもの”を探った。そして、小代焼とスリップウェアを融合させた独自のスタイルに辿り着いた。約400年の歴史と伝統にアイデンティティーを見出したのだった。

土地の素材と普遍の意匠から生まれるもの

尚之さんの作品は自ら採掘した小代粘土を用いる。釉薬となる灰には木や藁、焼成の燃料には松薪と、伝統的な小代焼と同様に地元の自然のものを使用。成形した粘土が乾ききらないうちに水で溶かした粘土を掛け流し、さらにその上にスポイトのような道具から水で溶かした別の色の粘土を垂れ流して模様を描く。

デザインは、イギリスの古い文献から選んだ普遍的な柄をベースに、独自に解釈して再構築している。「普遍的なものは人々から飽きられなかったからこそ今に伝わる」との考えからだ。波線やクロス、リボンのように見えるものまでバリエーションは多様。その伸びやかで躍動的な線からは、尚之さんの大らかで飄々とした人柄が感じられる。

現在でこそ多くの消費者から支持を得ている尚之さんの作風だが、作り始めた当時は「伝統的な小代焼ではない」と風当たりが強かったという。しかし、さる恩人から「十人中九人が敵でも一人は味方がいる。私は君の味方だ」との言葉をかけられたことが、尚之さんの心の支えとなり、今に繋がっている。

土と炎に問い続けるものづくりの姿勢

尚之さんは、作品の焼成に6袋の登り窯を使う。今から約50年前、1977年に泰秋さんが完成させたものだ。数日間にわたって薪を投入し続けながら温度管理をする登り窯はガス窯に比べるとコントロールが難しく、「一生かかっても分からない」「窯の調子が作品の良し悪しを決める」といわれるほど。温度や酸素量など窯の内部の状態が均一にはならないために割れや歪みなどの不良も出やすく、「小代焼ふもと窯」の場合、製品化率は6割ほどに留まる。それでも薪から出る灰と炎の力が織りなす人智を超えた美に魅了される陶芸家は少なくない。一方、尚之さんは「登り窯を作品の良さの理由にも、言い訳にもしたくない」ときっぱり。何で焼くかは重要ではなく、できた作品の品質そのものを評価されるべきだと考えているからだ。

窯は使用を重ねるほどに内部が傷む。「小代焼ふもと窯」では耐用回数といわれる100回はとうに超えており、部分的な修理を繰り返しながら使い続けている。尚之さんは「登り窯にこだわりはないし、使えなくなったとしても対策は考えてあるから問題ない」とあっけらかんとしているが、「登り窯にしかない面白さはある」と、その魅力を認めてもいる。

長い迷いと葛藤を経て、歴史と伝統の中に自らの居場所を見つけた尚之さん。今、その隣には、鳥取県「岩井窯」での修行を終え、「小代焼ふもと窯」の三代目として2024年に実家へ戻った息子の亮我さんの姿がある。小代焼の伝統そのものだけでなく、土と炎に問い続けるものづくりの姿勢も、また次の世代へと受け継がれようとしている。

ACCESS

小代焼ふもと窯
熊本県荒尾市府本1728-1
TEL 0968-68-0456
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