沖縄には、古くから人々が祈りを捧げてきた聖なる場所「御嶽(うたき)」が今も各地に残る。中でも、琉球王国最高の聖地として知られるのが「斎場御嶽(せーふぁうたき)」だ。岩石や樹木など、自然そのものに神が宿るという「自然崇拝」の精神を物語る原始的な空間が、訪れる人たちを魅了する。
自然崇拝が根付く沖縄の歴史を物語る御嶽
沖縄本島の南部、南城市(なんじょうし)に位置する斎場御嶽。2000年、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコ世界遺産に登録されて以降、国内外に広く知られ、今では年間約40万人以上が訪れる沖縄県屈指の観光地となっている。とはいえ、初めて訪れる人にとってまず戸惑うのが、その読み方だろう。
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「一般的に斎場(さいじょう)と読まれる方が多いので、中には火葬場を観光するの?と思われる方もいらっしゃるようです。名前の由来としては、“斎”には清いという意味があるので、神聖な場所ということで斎場とした説、また、ここの地名“サイハバル”が“せーふぁ”に訛り、当て字で斎場とされたという説があります」
そう説明してくれたのは、斎場御嶽でツアーガイドを務める「アマミキヨ浪漫の会」の石田英明さん。沖縄は、樹木や泉、岩石、井戸など自然を崇める自然崇拝が根付く島。そうした自然の造形物に神が降臨すると考えられているため、本州の神社のようにご神体や拝殿などは存在しない。けれど、よもすれば通り過ぎてしまうような自然の一部に、重要な歴史や、先人たちが大切につないできた精神が宿っている。石田さんは、そんな御嶽の重要性を多くの人に伝えたいと、斎場御嶽のガイドを長年続けてきた。
琉球王国最高の聖地と言い伝えられる理由
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石田さんの解説によると、沖縄には、約900の御嶽が存在すると言う。中でも、斎場御嶽が琉球王国最高の聖地と言い伝えられているのはなぜなのか。その理由は、琉球開闢(かいびゃく)の神、アマミキヨによって作られた御嶽だという伝説にある。琉球神話では、アマミキヨが琉球の国作りを行う際、7つの御嶽「琉球開闢七御嶽」を創世したと伝えられている。そのひとつが、斎場御嶽なのだ。
また、斎場御嶽では、「聞得大君(きこえおおきみ)」が最高神職に就任する儀式「御新下り(おあらおり)」が行われていたという言い伝えがある。聞得大君とは、琉球信仰における神女(ノロ)の最高位の呼称。琉球国王と王国全土を霊的に守護する存在で、初代(1470年)から15代(1875年)まで、400年以上にわたり王府の神事を司ったと言う。それほど重要な役割を担う聞得大君の就任儀式とあれば、国をあげての重要な祭祀。斎場御嶽が琉球王国において、いかに特別な御嶽であったかがうかがえる。
女性の神職者のみ入ることを許された神域
斎場御嶽には、「イビ(神域)」と呼ばれる拝所が6つある。すべてを巡る所要時間は、ゆっくり歩いて1時間ほど。「緑の館・セーファ」からスタートし、一帯すべてが聖域とされる神秘的な森の中を進んでいく。
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御嶽へ向かう参道の始まりには、東の海に久高島を望む「久高島遥拝所」がある。久高島は、琉球開闢の神、アマミキヨが天から地上に降り立ち最初に作った島とされ、「神の島」とも呼ばれている。琉球では、太陽が昇る東の彼方に、神々が住む世界「ニライカナイ」があると信じられており、人々はニライカナイに向かって祈りを捧げてきた。斎場御嶽から見ると、久高島は東に位置する。そのため、この「久高島遥拝所」は、ニライカナイへのお通し所としても崇拝されてきた。
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その右側にあるのが、御嶽への入り口「御門口(うじょうぐち)」。ここから先は、かつて首里王府直轄の御嶽として管理されており、国王や神事を執り行う人以外、入ることが許されていなかった。琉球王国時代、神職に就けるのは女性のみだったため男子禁制。定かではないが、国王であっても入るときは女装に改める必要があったと言われている。
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「かの聞得大君も歴代女性ですが、なぜ女性だけだったかというと、これは琉球王国時代に根付いた“おなり神信仰”に由来します。おなりとは、姉妹のこと。かつて琉球では、男性は海に出て働き、女性は家に残って男性の無事を祈るという役割がありました。それがやがて、姉妹には兄弟を守護する霊力があるとされ、女性の霊力を信仰する“おなり神信仰”が琉球王国の基盤となったと思われます。これによって女性が神職者として祭祀を司ることになり、斎場御嶽でも神女(ノロ)たちが琉球王国の安寧繁栄、五穀豊穣などの祈りを捧げてきました。誰でも自由に立入れるようになったのは、1879年。琉球王国が滅びた後のことです」
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御門口には、石で作られた6つの香炉が置かれている。これは、御嶽内にある6つの拝所の分身。前述のとおり、御嶽内には誰でも入れるわけではなかったので、入ることが叶わなかった人たちはここで祈りを捧げたと言う。
祈りが捧げられた御嶽内の6つの拝所
御門口から、草木が鬱蒼と茂る森の中を登っていくと、左手に見えてくるのが、最初の拝所である「大庫理(ウフグーイ)」。大広間や一番座という意味を持つ。
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奥に巨大な岩があり、前には、一段高く石畳が敷かれた祈りの場(ウナー)がある。ここで、聞得大君が最高神職に就任する儀式「御新下り」が行われたと言われている。
2番目の拝所は「寄満(ゆいんち)」。寄満とは、琉球王府の用語で台所を意味する。とはいえ、ここで調理をしたわけではなく、貿易の盛んだった琉球王国時代、各地から豊穣が寄せ満ちた場所と解釈されている。国王や神女たちは、この大きな岩が頭上にせり出す寄満で王国の繁栄、五穀豊穣を祈願したとされる。
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3・4番目の拝所は、「アマダユルアシカヌビー」の壷、「シキヨダユルアマガヌビー」の壷。2本の鍾乳石からしたたり落ちる水が「聖なる水」とされ、それを受ける2つの壷が置かれている。
「琉球はもともと珊瑚の塊が隆起してできた島。斎場御嶽にある岩は、琉球石灰岩なので、穴がたくさんあります。雨が降ると岩の中に染みこみ、そこにたまった雨水が少しずつ落ちていく。この岩の上には神の植物があると考えられていたので、その植物を潤し岩から落ちてきた水は、まさに神様の水。この水を飲むと健康に過ごせるという言い伝えがあったそうです」
巨大な岩が作り出した三角形の神秘的な景観
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2つの壷の奥にあるのは、見学コースのハイライトと言える5・6番目の拝所「三庫理(さんぐーい)」と「チョウノハナ」。この拝所の前から見る景色は、斎場御嶽のシンボル的な景観で、写真を撮影するのに絶好のスポット。2つの巨大な岩が支え合い、三角形の空間を作り出しており、自然が生み出した神秘的な景観が広がる。
チョウノハナは、聞得大君と深い関係があると言われる拝所で、斎場御嶽の中で最も格式の高い拝所とされている。ここには、15基の香炉が置かれているが、聞得大君が15代だったことから、その人数の分だけ香炉が用意されたと考えられているのだ。現在は、三角形のトンネルの先は立ち入り禁止となっており、この2つの拝所へたどり着くことはできないが、三角形の突き当たりが三庫理、その右側の岩の上がチョウノハナなので、外側からでも手を合わせてみると良いだろう。
この三庫理の地下からは、めずらしい金製の勾玉(まがたま)3個を含む、計9個の勾玉が出土しており、国の重要文化財に指定されている。勾玉は、神女が身につける神聖なものであり、ここでは神の怒りを鎮める祈りのために埋められたと言われている。
「勾玉が出土するまでは、言い伝えに留まっていましたが、それほど貴重なものが物証として出てきたことで、斎場御嶽が琉球王国時代、いかに神聖視されていたかが証明されました。まさに琉球王国最高の聖地であったことを物語っていると言えるでしょう」
時代を経て今なお、祈りの場として崇拝を集める斎場御嶽。この場所に宿る歴史と、精神文化に思いを馳せながら、鳥のさえずりや、草木が風にそよぐ音、自然の声に耳をすませ、神聖な空間に身を委ねてみてはいかがだろうか。