徳島県を西から東へと流れる四国最大級の河川・吉野川。その流域に位置する美馬(みま)市に、平安時代初期に創建された寺院「本楽寺」がある。雄大な吉野川の流れを借景とした枯山水と天然の山肌を生かした回遊式庭園、個性あるふたつの庭園を有する古刹は、心洗われるパワースポットとして人気を誇っている。
徳島西部の自然を望むロケーション
四国の中央部に標高1,000メートル級の山々が連なる四国山地。日本百名山のひとつ「剣山(つるぎさん)」をはじめ、多くの山々が古くから山岳信仰の霊峰として栄えてきた。本楽寺は、この四国山地を横断する吉野川の中流域、徳島県美馬市穴吹町にある真言宗御室派の寺院。悠々と流れる吉野川を望む見晴らしのいい高台に建つ。
戦国時代は砦にもなった真言宗の寺院
本楽寺は828年に僧恵運(えうん)が真言の道場として開創、1131年に僧有純が中興したと伝えられる古刹。前には川、背後に山が控える高台という立地から、戦国時代は砦として利用されていたそうだ。“天然の要害”という言葉を彷彿とさせる急な坂道を登り、山門をくぐると、目の前には美しく手入れされた境内が広がっている。右手には枯山水と吉野川の景観、左手には客殿、正面の石畳の向こうに本堂がある。
地形を生かした懸け造りの本堂
安土桃山時代、同寺は長宗我部氏の兵火にあい全焼。1863年にも火災にあい、翌年僧有圭により再建された。現在境内には、本堂、護摩堂、天神社、客殿、茶室があるが、すべて平成以降に建て替えや修繕が行われたもの。本堂と護摩堂は懸け造りという伝統工法で建てられている。一般的にイメージしやすい例としては、京都の清水寺本堂を思い浮かべてほしい。崖の下から長い柱と梁(はり)が格子状に組まれた上にすっくと建つ姿が壮観だ。
戦火をまぬがれた阿弥陀如来像
本楽寺は、江戸時代には徳島藩主・蜂須賀(はちすか)氏の菩提所となり、藩祖・蜂須賀正勝の正室や、同藩家老の稲田家累代の霊位がまつられている。
本堂は青森ヒバが使われた木造建築で、阿弥陀如来像が本尊として安置されている。腹帯を結んだめずらしい姿から鎌倉時代の作とされる寄木造りの坐像で、高さは45cm。柔らかさと厳しさを兼ね備えた表情が印象的だ。ほかにも多数の宝物があったが、先の兵火で消失したとのこと。堂内には他に徳川6代将軍家宣公から伝えられたとされる秘仏・大聖歓喜天や仏画などが収められている。
枯山水と回遊式庭園の2つの庭を寺院の顔として
さて、このように長い歴史を持つ本楽寺だが、現在、ここを訪ねる人の大半は美しい庭が目当てではないだろうか。枯山水と回遊式庭園。特徴あるふたつの庭園は、作庭家であり古庭園・寺院境内研究家でもある齋藤忠一(ただかず)氏が手掛けたもの。日本各地の庭園の作庭や監修、修復を行い、上田宗箇(そうこ)流家元の露地(広島)や松寿院の庭園(静岡)、廣澤美術館“つくは野の庭”(茨城)など、自然石を用いた高い精神性が感じられる庭を多数生み出す作庭家だ。同寺院の庭園は齋藤氏によって昭和後半から平成初め頃に作庭されたとされている。
「もともと檀家の庭師の方が手がけた枯山水の庭があったのですが、『もっと人が呼べる寺に』という思いから、前住職だった父が齋藤先生に作庭を依頼したんです」と住職の吉田宥玄さんは話す。
国内唯一? 川を借景にした石庭
そもそも枯山水とは、水を一切使わず、自然の風景を表現した庭園の形式を指す。本楽寺の枯山水「鶴亀の庭」は、すぐ目の前を流れる吉野川と背後に広がる阿讃(あさん)山脈の眺めを借景にした庭園だ。山ではなく、川を借景にした庭園は日本ではここだけといっても過言でないだろう。中国の道教思想に基づき、水を表す白砂と、鶴亀に見立てた石組みを中心に構成されている。阿波特有の青石を使い、吉野川に向かって左手から亀石組み、鶴石組み、そして不死の妙薬を運ぶ舟石を配置。左端の蓬莱島を表す多重塔に、鶴と亀が向かう姿が表現されており、そこには不老長寿や繁栄、慶祝への願いが込められている。
四国八十八景にも選定
「鶴亀の庭」は、客殿から見たとき、もっとも美しく見えるように計算してつくられているとのこと。客殿の廊下から改めて庭を見渡す。ダイナミックな石の造形と、さざなみや流水、渦などを表す砂紋を施した白砂の対比。そこに雄大な吉野川の景色が重なり、どこか大陸的なゆったりと広がりのある世界観に引き込まれる。ここからの眺めは、四国らしい風景や街並みを指定して、その魅力を発信していくプロジェクト「四国八十八景」のひとつに選定されている。「特に雨の日は雰囲気がいいですよ」と吉田さん。
緑と岩肌が織りなす庭園美
境内を山手のほうに進むと、もうひとつの庭、回遊式庭園がある。こちらはゴツゴツとした山肌が迫る地形を生かしながら、石組みや石段、植栽が施され、まるで大自然の縮図のような景観をつくり出している。庭園の中央にあるのは、もともとの岩肌を生かした滝石組みの「龍門瀑(りゅうもんばく)と鯉魚石(りぎょせき)」。落差約6メートルの滝のまわりをめぐるように石段や小径が設けられ、滝の頂にかけられた石橋を渡って回遊できる造りとなっている。ちなみに龍門瀑とは、中国の鯉が黄河の滝を登って竜になるという故事“登竜門”にちなんだ石組みの様式を表す。
庭園内は、天然の岩と石組みが織りなす荘厳さと、斜面をおおう苔や木々の緑が調和し、心が浄化されるような庭園美に浸ることができる。また庭内にはモミジが多く、紅葉のシーズンはあでやかな雰囲気も楽しめそうだ。
岩盤の上に建つ茶室でほっこり
滝の頂から小径を歩くと、数寄屋造りの茶室「一二三(ひふみ)庵」にたどり着く。敷石に前述の青石を使った趣ある露地を通って茶室へ。建物は大きな岩盤の上に建てられているため、大きな窓から迫力ある岩肌やその下にある本堂、客殿、庭園などを一望できる。
すがすがしくしつらえた茶室は、本格的な茶事に使用できるほか、気軽にお抹茶で一服することもできる。季節の彩りを借景に、丁寧に点てられたお抹茶と茶菓子を味わい、ゆっくりとした時間の流れに身を委ねるのもいい。
五感で味わう精進料理も
さらに本楽寺の魅力を深く体感できるのがお料理。旬の野菜の風味を最大限に引き出し、丁寧に仕上げられた懐石精進料理は、一品一品が芸術作品のよう。季節を映す上品な味わいが、穏やかで豊かな気持ちへと誘ってくれる。
「私は、お寺も人々から愛される魅力を持たなければならないと思っています。庭園と料理を通じて、芸術の向上や人々の幸せに貢献したいのです」 そんな思いを実践する吉田さんは、現在も齋藤氏の指示を受けながら、庭づくりをコツコツと継続中。料理も自らが腕をふるうそうだ。
繰り返し訪れたい、自分を見つめ直せる空間
「庭には多くの精神の物語があり、作庭家は庭に様々な意味を込めて造ります。(中略)ですから庭は繰り返し見ることが大事です。それは優れた小説を繰り返し読むことと同じ行為といえます」
これは、齋藤氏が庭のあり方について語った一節。四季折々の自然と人の手が創り出したものが見事にコラボレーションした本楽寺は、何度訪れても違った発見があり、そのたびに今の自分を見つめ直せる、そんな場所に違いない。