堺打刃物の伝統を守る
かつて織田信長や徳川幕府に認められた技術
堺打刃物(さかいうちはもの)で知られる大阪府堺市。刃物づくりの歴史は古く、5世紀頃、古墳造営のための道具づくりから鍛冶技術が発展したといわれている。一大産業となったのは16世紀。ポルトガルから日本に鉄砲とタバコが伝来すると、堺では庖丁鍛冶技術を生かした鉄砲とタバコの葉を刻むタバコ庖丁の製造が盛んになった。その高い技術は、織田信長や徳川幕府にも認められるなど全国に普及し、元禄時代には堺庖丁の特徴でもある片刃式が誕生し、今では、多くの料理人が愛用することで、一般にも広がった。経済産業大臣指定の「伝統的工芸品」にも指定されている。
そんな堺打刃物の伝統を守る森本刃物製作所は、路地裏の職住一体となった昔ながらの職人の家。堺市ではいまも同じような作りの家が散見される。作業所は狭く、人がすれ違うのも大変なほど。ところ狭しと並んだ機械は、年季を感じさせる。だが、ここで生まれた堺打刃物は、日本はもとより海外の料理人からも高い信頼を得ている。
代表を務める森本光一さんは1941年、堺に生を受けた。刃物職人であった父・森本宇一郎さんに「刃付(研磨)」の技術を学び、現在も研ぎ工程を専門とする工房を家族で営んでいる。2008年、卓越した技能者表彰制度に基づき厚生労働大臣に表彰される「現代の名工」に選ばれ、2016年には黄綬褒章(おうじゅほうしょう)を受章するなど、堺を代表する刃物職人だ。堺の刃物づくりは古くから分業制が確立していることに特徴がある。和包丁の土台となる「地」を製作する“鍛冶=鍛造”と、鍛冶職人が製作した「地」を研ぐことで刃を付け、美しく切れ味鋭い包丁に仕上げる“刃付=研磨”が分かれていることで、それぞれの技を極めることができる。片刃の特徴としては、素材を切る際、刃のない方向に包丁が逃げるため、魚料理や野菜料理といった、和食に向いている。
日本料理を支える堺打刃物
「親の仕事を引き継いで、家族を養うために教えられたことをやってきただけです。プロの方に使ってもらっているのはすごくうれしいですが、期待や信頼を裏切ってはいけないという責任感も強く感じています」(森本光一さん)
「現代の名工」にも選ばれている森本さんだが、「刃物は芸術品ではない。地道な作業を続けるだけ」と自らの仕事を語る。
「この小さな作業場から生まれた包丁が日本の料理を支えているんですね」(中田)
中田も“研ぎ”にチャレンジ。高速で回転する砥石に刃をあてて研磨するのは、簡単な作業ではない。火の粉が飛び、摩擦音が鳴り響き、粉塵が舞い上がるだけでなく、砥石に刃をあてるのにも相当の力が必要だ。目と耳、そして手の感覚で、最適な研ぎ具合がわかるようになるまでは、長い時間の修行が必要だ。森本さんの背中を見て、息子たちも同じ道を歩んでいる。1500年以上受け継がれてきたその技術が、未来にも残っていってほしいと思った。