飯盛山に佇む、世界的に珍しい建造物「会津さざえ堂」/福島県会津若松市

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螺旋を描く会津さざえ堂

今から216年前の1796年に、福島県会津若松市の飯盛山に建立された会津さざえ堂。正規名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)といい、飯盛山にあった正宗寺の住職であった郁堂(いくどう)が考案した建物だ。会津さざえ堂には、西国三十三観音像が安置され、西日本の観音像をお参りすることのできない人に三十三観音参りができるようにと作られたお堂だという。

木造二重螺旋構造という、世界にも例がない構造を持っている。階段などはなく、廊下に沿って板の上を歩いていくと、てっぺんにつく。帰りはまた違う廊下をぐるぐると歩いていくと地上に戻るというもの。面白いのが上りと下りの廊下は別々だということ。これが二重螺旋といわれる構造なのだ。これには中田も驚いた。この構造だとたくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りができるのだ。

二重螺旋はダ・ヴィンチに発想をえた

この二重螺旋という造りはいったい誰が考えたのか?お堂のなかを歩いた中田がそんな疑問を持つのは当たり前のことだろう。すると案内してくれた所有者の飯盛正徳さんは、レオナルド・ダ・ヴィンチがすでにこの構造を使った階段を作っていたと話してくれた。

さらに驚いたのはそのダ・ヴィンチの絵から、会津さざえ堂も着想を得たのではないかという説があることだ。秋田藩の藩主が持っていたスケッチを見てのことではないかという話があるそうなのだ。

また、飯盛さんの家に伝わる話では、糸2本で“こより”を作る夢を見たところからヒントを得たのではないかという。実際のところはわからないが、とにかく世界的にも例を見ない建造物。1996年には国の重要文化財にも指定された。

白虎隊自決の地、飯盛山

会津さざえ堂のあるのが飯盛山。もともとは飯盛山全体が境内だったというが、飯盛山といえば、白虎隊自決の地としてその名を知っている人も多いだろう。この日は飯盛山を案内していただき、白虎隊についての話を伺った。
戊辰戦争で、会津藩は官軍と戦った。そして会津藩の兵士が少なくなってくると、少年たちも出兵することになった。官軍は最新設備の攻撃。激しい戦火から飯盛山に逃げ延びた少年たちは高台から若松城(鶴ヶ城)を確認したのだという。そこからは城が火の手に包まれているのが見えた。子供たちは、このまま戦って戦死するか。お城に戻るか。自決をしてお殿様と運命を共にするか。子どもたちだけで協議した。そして、自決を選んだ。
「戦いから20名逃れてきて、19名亡くなりました。生き延びた1名がこの話を伝えたんです」
静かに話す飯盛さんの話に聞き入る。
飯盛山には自決した白虎隊隊士の慰霊碑があった。現在の飯盛山からはのどかで心が落ち着く風景が見渡せる。隊士たちの見た風景はどんなものだったのだろう。

ACCESS

会津さざえ堂/有限会社山主飯盛本店
福島県会津若松市一箕町八幡滝沢155番地
URL http://www.sazaedo.jp/
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