西日本一の標高を誇る石鎚山(いしづちさん)の麓に、弘法大師空海が伝えたといわれるお茶がある。その名も石鎚黒茶。石鎚黒茶さつき会では、江戸時代から続くその製法を受け継ぎ、現在もすべての工程を手作業で行っている。
日本に4つしかない「後発酵茶」のひとつ

西日本最高峰・石鎚山。その山麓、愛媛県西条(さいじょう)市黒瀬(くろせ)地区。この地でつくられる石鎚黒茶は、富山のバタバタ茶、徳島の阿波番茶、高知の碁石茶(ごいしちゃ)と並び、日本にわずか4つしか存在しない後発酵茶の一つだ。
後発酵茶とは、摘み取った茶葉をすぐに加熱して酸化酵素の働きを止めた後、乳酸菌や麹菌などの微生物の力で発酵させるお茶のことだ。
なかでも石鎚黒茶は、空気に触れさせながら有機物を分解・発酵させる1次発酵(好気発酵)と、空気を遮断した無酸素状態で行う2次発酵(嫌気発酵)の「2段発酵茶」という希少な製法が特徴だ。
「2段階で発酵させているお茶は、世界的に見ても碁石茶と石鎚黒茶しか確認されていないと聞いています」。そう話すのは、さつき会会長の戸田久美さん。石鎚黒茶が2018年に無形民俗文化財に指定された背景には、この希少性が大きく関わっている。
真夏の山で行われる、すべて手仕事のお茶づくり

さつき会では江戸時代から続く製法を守り、すべての工程を手作業で行っている。効率や大量生産とは無縁の、風土と時間に委ねるお茶づくりを貫いているのだ。
石鎚黒茶の製造は、6月の終わりから7月初旬にかけて始まる。品種は、日本茶の代表的な品種である「やぶきた」だ。煎茶とは異なり、発酵茶には硬くなった茶葉「硬葉(こわば)」を使う。そのため、収穫時期も遅く、梅雨明け前後から真夏にかけて作業が集中する。
人の背丈ほどに伸びた茶木から硬葉を枝ごと手作業で刈り取り、ひとまとめにして山から担いで下ろし、軽トラックに積み込む。収穫は朝6時から8時頃まで。1日に軽トラック3台分を刈り取るのだという。なかなかの重労働だ。
山の菌に委ねる、一次発酵

山から下ろした茶葉は、作業場で枝を切りそろえ、洗浄し、蒸し工程へと進む。
茶葉が蒸し上がったら発酵用の木桶に詰め、1次発酵(好気発酵)を行う。桶に住み着いた天然の微生物、糸状菌など酸素を好む菌が、酸素を取り込むことで分解・発酵が進んでいく。
お茶の味を決めるのは、その場所に住み着く菌だという。同じようにつくっても、場所が違えば味にも違いが出る。だからこそ久美さんは当時から伝わる製法に強いこだわりを持ち、「石鎚黒茶と名乗る以上、石鎚山系の茶葉、水、発酵場所でなければいけない。これだけは絶対に曲げられません」と言い切る。
石鎚黒茶ならではの揉み作業を経て2次発酵へ
1次発酵を終えた茶葉は、2次発酵までの間に一度揉み作業を挟む。「揉み作業を行うのは、2段階発酵のお茶の中でも石鎚黒茶だけ。だから世界で一番手間がかかっているお茶だと思っています」と久美さんは自負する。
揉み作業を終えた茶葉は、再び木桶に詰め直され、空気が入らないよう蓋と重石をのせて2次発酵へ。酸素を必要としない乳酸菌による嫌気発酵により、独特の酸味と香りが生まれるのだ。
10日から14日ほどかけて2次発酵を終えた茶葉は、むしろの上に広げられ、太陽の下で天日干しをする。ひっくり返しながら両面を丹念に乾かしていくこの工程にも、2〜3日を要する。
こうして仕上がった石鎚黒茶は、できたてのフレッシュな酸味もいいが、そこから2年、3年と熟成させることで生まれる味わいの変化を楽しむのもいい。「だんだんまろやかになって、甘みが増してきます。10年ものを飲んだときは、本当に甘くて驚きました」。
消えかけた文化をつないださつき会

今でこそ石鎚黒茶は「幻のお茶」といわれているが、かつて石鎚山の麓では、どの家庭でも当たり前のようにつくられ、飲まれていたお茶だった。
しかし過疎化とともにその文化は静かに失われていき、1996年当時、製造者はたった一人になっていた。「最後の一軒もやめるという話が出たとき、それではあまりにももったいないということで、地元の生活研究グループが中心になって技術を引き継ぐ話になりました」。
こうして誕生したのがさつき会だ。当初は久美さんの母親世代が中心となり、最後の一軒から製法を受け継ぎ、試行錯誤を重ねながら製造を始めた。
2012年頃からは、初期メンバーの娘世代・嫁世代である久美さんらが製造を引き継いだ。同時期には愛媛大学による研究が進み、石鎚黒茶に整腸作用や免疫力向上などの機能性があることも明らかになった。
かつてのように、暮らしに根づくお茶をめざして

石鎚黒茶は、まだ全国的な知名度が高いとは言えない。だからこそ、さつき会はさまざまな形でPRにも力を入れている。石鎚黒茶を使ったケーキやクッキーを試作する地元の洋菓子店や、商工会の女性部の協力もあるという。西条市内にある愛媛県立小松高等学校との取り組みにも積極的で、学生たちは、夏向けの商品として石鎚黒茶を使ったゼリーを開発。試作を重ね、販売まで行っている。
「高校生のみんなが石鎚黒茶を広めるため、いろんなことに挑戦してくれる。それが本当にありがたいんです」と久美さんは表情を綻ばせる。

また、地元ラジオ局・FM愛媛とのコラボレーションで誕生した「黒茶大福」も、2024年9月に販売を開始し、大きな反響を呼んだ。
石鎚黒茶をパウダーにして餅生地に練り込み、やさしい甘さの生クリームを包んだ一品だ。表面にも石鎚黒茶のパウダーを贅沢にまぶしている。
全国のサポーターを巻き込み「みんなの石鎚黒茶」に

さつき会では東京などで開催される展示会にも出展し、全国へ石鎚黒茶を伝えるべく動いている。近年の発酵ブームも相まって、健康に関心の高い人々からの反応は上々だ。そうして各地で結んだご縁は、消費者としての広がりにとどまらず、製造現場の助けにもなっている。
石鎚黒茶の製造は、すべて手作業。そのため生産量は年間300キロほどに限られる。人手不足は常に課題だ。しかし近年は、展示会などで石鎚黒茶の魅力に触れた県外の人々が体験に訪れるようになった。2023年には、延べ120人以上が製造に関わったという。「もう、さつき会だけのお茶じゃなくて、来てくれるみんなのお茶。石鎚黒茶がつなげてくれた出会いは、お金にはかえられない財産です」。

茶葉の収穫から蒸し、発酵、揉みという一連の作業を体験するだけでなく、「思い出をつくって帰ってほしい」との思いから、作業の合間にみんなで冷えたスイカを食べたり、愛媛の伝統工芸品・砥部焼の絵付け体験をしに出かけたり、メンバーが一丸となっておもてなし。そのあたたかさにひとたび触れたら、きっとまた会いに来たくなるに違いない。
展示会に出れば、体験や過去の展示会でつながった人たちが応援に駆けつける。「私たちは体験に来てくれた方に手ぬぐいをプレゼントしているんですが、それを首に巻いて応援に来てくれたときは、涙が出るくらいうれしくって」と久美さん。東京、千葉、神奈川、京都…、石鎚黒茶を通じて生まれた人の輪が、各地に広がっている。
未来を見据え、常に動き続ける

夏のわずか2カ月ほどしか製造できない石鎚黒茶を広めるために、一年を通して何ができるか。久美さんは常に考え続けている。「これで満足、って思えたことは一度もないんです。次は何ができるか、ずっと考えています」。
最終的にめざすのは、石鎚黒茶が特別な存在ではなく、暮らしの中に溶け込む未来。そして、次の世代が当たり前のように受け継いでいく文化だ。この想いを紡ぎ、2026年には設立30周年を迎えた。
石鎚の山が育て、人の手が仕上げる一杯のお茶。石鎚黒茶は、土地の記憶と人々の営み、さつき会の熱き思いに満ちている。



