福岡の中西部、天拝山が広がる筑紫野市に佇む「喜器窯(ききがま)」。緑豊かな住宅街に工房兼ギャラリーを構える吉田崇昭 さんは、土づくり、ろくろで造形、絵付け、窯入れまですべてひとりで行っている。その器は古い焼き物のような味わいがあり、多くの人を魅了している。
グラフィックデザインから器づくりへ

「器のつくり手としては、遅いスタートなんです」と吉田さん。まず大学でグラフィックデザインを専攻するが、在学中に平面のグラフィックデザインではなく、立体のインダストリアデザイン(工業デザイン)に惹かれるようになる。卒業後はグラフィックデザインを立体にもちこんだ仕事ができればと考えていたところ、出合ったのが器だった。
「自分が生まれ育った福岡の隣に、器の産地・佐賀があったことにめぐりあわせを感じました」。当時は器のことを全く知らないゼロの状態で、有田にあった窯業大学校に2年通って基礎を学んだ。その道に進むと決めた以上は、自分が納得できるまで製陶を学びたいと、大学卒業後、さらに滋賀県の信楽へ。国内外の陶芸家のスタジオを擁する「滋賀県立陶芸の森」で学びながら、実際に使えるアートをつくりたいとイスのオブジェの製作に没頭しつつも、「やはり器をつくりながら暮らしていきたい」と器づくりへの思いを深めていった。
唐津の窯元での修業が転機に

吉田さんは「唐津にある 『天平窯(てんぴょうがま)』に弟子入りしたことが、自分のターニングポイントとなりました」と語る。まるで骨董品のような古い雰囲気の器づくりが魅力の窯元で、青色だけで描く「染付」やさまざまな色が入る「色絵」など、素晴らしい絵付けで多彩な器をつくっていた。グラフィックデザインやアート製作など自分が目指す道が何かを追い求めてきた吉田さんは、「師匠である岡晋吾・さつき夫妻からはとても大きな影響を受けました」と話す。味わいのある吉田さんの器づくりの基礎はここで形づくられていった。
独立後は自分の作風を追求
2007年に独立してからは、400年前の先人たちと同じ材料でつくりたいと有田の山奥に陶石や陶土などの材料を探しに行く日々を送った。「当時は材料探しから行う窯元はそうなかったから、自分が入る余地があると思って突き進んでいましたね」。
「しかしそれはまるで寿司職人が米を栽培して、船でマグロを釣って、寿司を握るようなもの。手間もコストもかかりすぎるし、そうなると酒器や茶器など高額なものをつくらないと採算があわなくなってしまいます」。試行錯誤しながら、吉田さんは自分が本当につくりたい日常の器づくりへ舵を切っていった。
まるで古い焼き物のような器を目指す

吉田さんの器は石を砕いた陶土でつくる「磁器」だが、あたたかみのある自然なフォルムはまるで陶器のようなやわらかな印象を与える。
また骨董品のようにほのかに青みを感じる風合いは、熊本・天草の粘土をベースに吉田さんが掘ってきた石を砕いて混ぜて使ったものだ。
「今の粘土は、白すぎて雑味がないです。昔の陶片を見ると、現在のような鉄分を取り除く脱鉄機というものがなかったため、もっとムラがあって表情があった。私はあえてきれいな器になりすぎないよう、ちょっと汚すような気持ちで自分が掘ってきた石を加えています」と吉田さん。釉薬には有田周辺で掘った石を砕いた灰を使用。石と灰の昔ながらの組み合わせで器をつくっている。
ろくろでの造形時に大切にしているのは勢いだ。「丁寧にろくろを回す高い技術の方が多いですが、自分は勢いにまかせてつくったものが面白いと思っていて。師匠からも言われたのですが、きっちり作りこみすぎず、人が入り込める“余白”があるものに魅力を感じます」。
昔ながらの呉須を使う青一色の絵

「喜器窯」を語るうえで、絵付けもはずせない。吉田さんが選んだのは、コバルトを含んだ絵の具、呉須(ごす)を使って描く「染付」と呼ばれる古い技法。焼くと素朴な青色に仕上がるのが特徴だ。
しかし絵はあくまで器の一部分。「絵付けにも余白を感じられるよう、ヘタでもいい、はみ出してもいいと線が生きるように描いています」。描かれるのは、桃山時代から江戸時代の初期にかけての古伊万里のような、小紋や菊花、鳥獣などの伝統的な文様だ。筆の勢いにまかせたのびやかな文様は見ているだけで心が躍るよう。
驚きなのが、吉田さんは「決して同じ絵付けをしない」と決めていること。「絵付け職人の方は、何十、何百と同じ絵を描いてこそ技術が高いといわれますが、私に同じものを描き続けるのが向いていなくて」と笑う吉田さん。マグカップひとつをとっても、それぞれ文様が異なるため、どれが自分にしっくりくるか選ぶ楽しさがある。
素数を漢字であらわした「素数文」を考案

「喜器窯」以外にも、古い焼き物のような器づくりをする窯元はいくつもあるなか、吉田さんが生み出した文様がある。それが素数を漢字でランダムに書く「素数文」だ。「素数は、“割りきれない”ものですよね。そこにわりきれない人の心のような情緒を感じて、昔から素数が好きなんです」と吉田さん。ほかにひらがなの“く”の字を並べたユーモラスな「苦(く)笑文」も人気だ。吉田さんの軽やかな感性は、見慣れたものも新鮮に感じさせてくれる。
世界に目を向ける吉田さんの挑戦は続く

今後の展望を尋ねると、「いまは思い通りの器になりやすい、再現度の高いガス窯を使っていますが、ゆくゆくは薪窯に挑戦したいと思っています」と吉田さんは目を輝かせる。「より手間も時間もかかってしまいますが、より昔の焼き物に近づけるのは薪窯ですね。自然の力で焼くのでコントロールが効かないため、ときには陶土や釉薬が思ってもいないような変化をして、想像の上をいくものがつくれることも期待できます。また海外のお客さんは、昔ながらの薪を使って焼くことに付加価値を感じてもらえるようです」。
関東や関西、アメリカなど海外からの注文も多く、現在は2年待ちという吉田さんの器。まるで400年前の器のような風合いとのびやかな絵付けが、国境を超えていまを生きる人々の心をつかんで離さない。今日も小さな工房で、暮らしを豊かにする日々の器が生まれている。