「ほぼすべて独学」のスタイルを貫くスリップウェア作家 「てつ工房」小島鉄平さん

「ほぼすべて独学」のスタイルを貫くスリップウェア作家 「てつ工房」小島鉄平さん

BUY この生産者の商品を見る

やわらかく丸みを帯びた櫛目や格子状の模様が代表的なスリップウェアだが、生き物をモチーフにひと際個性溢れるスリップウェアを作るのが、長崎市に工房を構える小島鉄平さんだ。陶芸はほぼすべて独学という小島さんに会いに、「てつ工房」へと足を運んだ。


スリップウェアとは

スリップウェアとは、「スリップ」と呼ばれる泥状の化粧土で装飾し、焼き上げた陶器のこと。やわらかで丸みを帯びた縞模様や波模様を代表とするスリップウェア独特の風合いには、手作業ならではのどっしりとした存在感を見ることができる。


イギリス生まれ、日本育ちの器


18~19世紀にかけてイギリスで盛んに作られてきたスリップウェアは、主にオーブン皿として、料理が焼けたらそのままテーブルへと運ばれ、日々の食卓を支えてきた。やがて工業化の波に呑まれ、大量生産品が一般的になるにつれて姿を消していったが、遠く離れた日本でスリップウェアに目を留めたのが、柳宗悦をはじめとする民藝運動の創始者たち。彼らとイギリス人陶芸家・バーナード・リーチとの出会いは、この器に再び光を当て、徐々にその認知度は上昇。2000年代に入るとその人気はますます高まり、若手の陶芸家もスリップウェアの技法を取り入れるなど、現在では比較的容易に手に入れることができるようになった。


無限に広がるスリップウェアの模様


スリップウェアといえば、丸みを帯びたやわらかい曲線が特徴的な縞模様や矢羽根模様。生乾きの化粧土の上からスポイトや筒で模様を描いたり、その上から棒で引っ掻くように模様をつけていく方法などがよく知られている。一枚一枚手描きのため同じ器は二つとなく、作家の個性が溢れるのもまたスリップウェアの面白さ。その中でも生き物をモチーフに個性豊かなスリップウェアを作り続けているのが、長崎市に拠点を構える陶芸家・小島鉄平さんだ。

サラリーマンから一転、陶芸家へ


長崎市内にある小さなビルの一室。「てつ工房」に足を踏み入れると、目に飛び込んでくるのは囲炉裏とそれを取り囲む古道具。民藝や工芸にまつわる書物が棚に並び、まるでこじんまりとした小料理屋のような世界が広がっていた。出迎えてくれたのは、着物姿の小島鉄平さんだ。

お金は生活できるだけ。好きなことがしたい


長崎市出身。大学卒業後に東京のレストランに就職するも、家と職場との往復で過ぎていく時間に自分が本当にやりたいことを見つけたいと退職を決意し、長崎へとUターン。その後は防水工や営業、肉体労働などの職を転々としたが、どれも長くは続かなかった。一方で、帰郷後に通い始めた陶芸にのめり込むようになった小島さん。物心ついた頃からものづくりが好きだった彼にとって、我を忘れて没頭できる貴重な時間だったという。抱き続けてきたのは、「お金は生活できるだけあればいい。自分が好きなことがしたい」という気持ち。陶芸の道へと進んだのは、自然な流れだった。


「振り返れば大学時代、居候先に逗留していた陶芸家の方がいたんです。1週間くらい毎日釣りしたり、酒飲んで語り合って過ごすわけですよ。その生活を見て、陶芸家になったらこげな生活ば送れるとねえ……と羨ましく思ったのが、陶芸への入り口だったんでしょうねえ」と目を細めながら当時を語る。

気分転換に描いた絵が自分のスタイルに


陶芸教室に通い始めてまもない頃、某美術系雑誌で特集が組まれたことをきっかけに注目を集めつつあったスリップウェアに小島さんも着目。教室の先生に技法を教わり自宅で試してみるも「素人に線画は難しくてなかなかうまくいかなかった」と振り返る。そんな時たまたま目にした書物に載っていたのが、バーナード・リーチの窯元(イギリス)で修行を積んだ、日本を代表するスリップウェア作家の故・船木研児氏の器だった。


「船木先生はスリップウェアでいろんな動物を描いておられるんですね。自分もなんとなく気分転換にと描いてみたら、それが意外と良かったんですよ。線より絵のほうが自分に合っとるかもしれんねえ、と思ったんです」


夜中まで自宅で器に絵付しては教室に持ち込んで焼くという日々。ついに「先生から自分で窯を買えと呆れられましてねえ」と、電気窯を個人で購入。釉薬の研究やスリップの技法も、ほぼ独学で習得した。

わずか3年でプロの道へ


陶芸を始めて2年後の2011年に、小島さんは長崎陶磁展 審査員特別賞を受賞。翌年には同展の生活陶磁部門で最優秀賞を獲得した。この年、松屋銀座の「銀座・手仕事直売所」からも声がかかったことが、プロの道へと進むきっかけとなった。


「1週間在廊して欲しいと頼まれましてね。でも当時はサラリーマン。1週間も仕事を休むわけにもいかんでしょう。かといって断ったら、一生陶芸家にはなれんやろうねえ、と思いました」


これを機に仕事を辞めて陶芸に専念することを決意した小島さん。以降、「銀座・手仕事直売所」には毎年出店し続けるなど、着実にプロとしてのキャリアを築いている。


小島さんといえば、生き物の絵


小島さんといえば、躍動感あふれる生き物が描かれた器。定番の鹿、タコ、うさぎをはじめ、近年はぬりかべ、一旦木綿、鬼など、妖怪シリーズも人気だ。

3分で完成する小島さんの世界観


スリップウェアは、生乾きの器に泥漿(でいしょう・スリップ:水と土を泥状に混ぜたもの)をかけたあと、上からすぐに別の泥漿で一気に絵を描き上げる。「乾いてしまうと絵が描けなくなるでしょう。絵付けにかけられる時間は、一皿わずか3分ほどですよ」と小島さん。

絵付をそばで見ていると、いとも簡単そうに見えるが、泥漿が入ったスポイトを握るその力加減は経験あってのもの。「点ひとつ取っても、大きさが微妙に違うだけでバランスがどんどん変わってくるんですよ。その強弱をスポイトでつけるのは本当に難しいですね」


またこの時、泥漿の水分量が多すぎると、絵が広がってしまいきれいに仕上がらなくなるほか、乾燥の工程でも収縮率の関係でひび割れや変形などが生じやすくなる。反対に水分量が少なすぎても、焼成時に色が剥がれてしまったりするため、泥漿の濃度調整はスリップウェアにとって非常に重要な要素の一つとなっている。


「化粧土の上で絵が染み込むスピード、線が広がる塩梅、焼いた時に出る色。こういうことを計算しながら濃度を調整するんですね。濃い薄いは本当に難しい。中には濃度計を使う方もいますね」

なるべく自分で作った自然のものを


泥漿に使用するのは、天然顔料のベンガラ。また釉薬には、自分で炊いた木灰をベースに、島根産の来待(きまち)白石と呼ばれる希少な石を合わせて作る。「灰も買おうと思えば買えるんですが、どこ産の何という木が使ってあるとか、木以外の、例えば雑誌や新聞紙が混ざっていたりすることもあるので、自分で作ったほうが安心なんですよ。自分で作れるものは、できるだけ作るようにしています」と話す。

そのせいか、小島さんのスリップウェアはどことなく自然のやさしさが感じられるものが多く、絵の表情も軽快でユニークながらも、おおらかさが漂う。


サイズや形もさまざま。深さがありサラダをのせたりおでんなどにも使い勝手が良い7寸皿をはじめ、ケーキ皿や取り皿としても小回りが効きそうな5寸の平皿3寸の豆皿にも丁寧な絵付けが施されていて、その動物や妖怪たちの表情や躍動感のある動きは見ていて飽きることがない。

自分のスタイル確立を求めて


「もともと絵を描くのは苦手なんで、ツラい時もありますね」と苦笑いしながら話す小島さん。しかし奇しくも、故・船木研児氏の器を目にしたことで生き物の絵をかくようになったことで切り拓けた今の道。「少しでも自分の絵が上手になれば」と、最近は自分ですった墨で水墨画を描くことが日課となった。


同時に、今新たに増やしつつあるのが、「墨はじき」で作る器だ。墨はじきとは、墨の成分を生かして白抜きするという古くからある技法で、角のない丸みが特徴のスリップウェアと比べると、パキッとしたシャープな表情を描き出せるという点で対照的だ。

「陶芸の学校も出てないし、ちゃんとした師匠もいない。だからこそ、総当たり戦でやっていくしかないというのが本音。これから先もずっと続けていれば、いつかは自分の絵が描けるようになり、自分のスタイルに近づいていくんやないかなあと思います」と、朗らかに笑う。

自分が本当に好きなことがしたいと、たどり着いた場所にあったものと出会えた小島さん。ほんの少し遠回りをしたけれど、その全てを学びに変えてきた、と話す小島さんの作品はどこか優しくあたたかい。日常の、ほっと一息付けるときに手に取りたくなる不思議な安心感は、使い手が喜んでくれることにこだわり続ける小島さんの想いがあるからこそ。是非一枚は仲間に加えてみてほしい。気が付けば食器棚の最前列にいつもあるお皿になるはずだ。

ACCESS

小島鉄平 てつ工房
長崎市油木町8-44 鉄ビル3F