温泉湧き出る自然環境が育む「食鳥の女王」。「石黒農場」のほろほろ鳥/岩手県花巻市

フランス料理では「パンダード」と呼ばれ、その上品で繊細な味わいから「食鳥(食用として飼育される鳥類)の女王」と称される「ほろほろ鳥(ちょう)」。温泉地としても有名な岩手県花巻市の「石黒農場」では、豊かな自然環境を生かし、およそ50年前からほろほろ鳥を飼育。その肉は、国内の名だたるレストランで提供されている。

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山あいの温泉地にある、国内唯一のほろほろ鳥専門農場

岩手県花巻市の中心部から北西へおよそ10km。奥羽山脈の渓谷沿いに開けた「花巻温泉郷」を抜け、さらに奥に進んだ山間に、ほろほろ鳥の専門農場「石黒農場」はある。現・代表取締役である石黒幸一郎さんの祖父・鋭一郎さんが、戦後この地に入植し農地を開拓したのがはじまりで、やがて東京で親族が営む飲食店を卸先に、鶏を飼育するようになった。

ほろほろ鳥を扱い始めたのは、およそ50年前。親族の飲食店が岩手県盛岡市に支店を出すことになり「岩手らしい名物をつくろう」となったことがきっかけだった。最初に候補に上がったのは、岩手の県鳥・キジを使った料理。二代目となる鋭一郎さんの息子・晋治郎さんが早速キジの飼育を試みるも、繁殖させるのが難しく、また「県の鳥」を食べることへの反対の声も大きかったことから断念。そんなとき、人づてに「フランスでは、同じキジ科の『ほろほろ鳥』が食用とされている」と聞き、埼玉県の動物園から雄と雌を譲り受け、飼育を始めた。1973年のことだった。

アフリカ原産のほろほろ鳥を、雪国岩手で育てる

ほろほろ鳥は、アフリカを原産とするキジ科の鳥。ほぼ改良されておらず原種に近いが、クセや臭みがなく、柔らかくジューシーで上品な味わいが特徴だ。ヨーロッパ、特にフランスでは高級レストランから一般家庭まで幅広く親しまれている食材で「食鳥の女王」とも称されている。日本には、江戸時代にオランダ船によって持ち込まれ、そのときの名称「ポルポラート」がほろほろ鳥の語源、という説が有力だ。

石黒農場がほろほろ鳥の飼育を始めた頃、日本で食用として飼育されている例はなく、手探り状態でのスタートだった。とりあえずと農場にある既存の鶏舎で飼い始めたが、神経質なほろほろ鳥は、金網越しのキツネの姿やちょっとした物音でもパニック状態になり、1カ所に集まって圧迫され死んでしまうものもいた。また、アフリカ原産のため寒さに弱く、暖を取るために重なり合って圧死することあった。「この雪深い山の中で、ほろほろ鳥を育てることはできるのだろうか」。迷いと不安を抱えながら、晋治郎さんの試行錯誤は数年にわたり続いた。

温泉地の自然環境を活かした「床暖房鶏舎」


「ほろほろ鳥を寒さから守るには」。この難題を解決するヒントは、ごく身近にあった。敷地内に湧き出ている温泉だ。

晋治郎さんはある日、自宅に引いた「源泉かけ流し風呂」に浸かりながら「この温泉を鶏舎の暖房に使うのはどうか」と思いついた。試行錯誤の末、温泉水を鶏舎の床下に巡らせたパイプに通すことで「燃料費のかからない床暖房」を実現。また、広々とした屋内鶏舎に建て替え、自由に動き回れる「平飼い」にすることで、ストレスなく過ごせるようにした。

こうして晋治郎さんは安定生産できる飼育技術を確立。その後のバブル景気も追い風となり、ほろほろ鳥は目新しい高級食材として注目され、親族の飲食店をはじめ首都圏のホテルなどから次々注文が入るようになった。

「国産」ならではの美味しさを。三代目の挑戦

石黒農場の三代目として生まれ育った幸一郎さんは、高校卒業後、すぐに家業は継がずスキーインストラクターになった。その後世界的スキーヤー・三浦雄一郎さんのチームに加わり世界中を遠征。岩手に戻り家業を継いだのは、30歳を目前にした1990年代半ば。その頃石黒農場は、バブル崩壊の煽りを受け、主要取引先だった親戚の店やホテルからの発注が激減していた。

「新しい売り先を見つけなければ」と、幸一郎さんは月に数度上京し、ほろほろ鳥の肉の入ったクーラーボックスを持ってフレンチやイタリアンの店を訪ね回った。門前払いをされることも少なくなかったが、本場志向の店やフランス帰りのシェフが「ほろほろ鳥にも国産があるのか」と興味を持ってくれた。

「閉店後にもう一度来い、と言われて夜遅くに再訪すると、シェフ仲間にも声をかけて集めてくれていたこともありました」と懐かしむ幸一郎さん。当時修業の身だった若手も今やトップクラスのシェフとなり、ほろほろ鳥を使ってくれている。「あのときから続いているご縁が今も大きな支えになっています」と微笑む。

畜産業が自給率を下げている

石黒農場のほろほろ鳥は、抗生物質不使用の配合飼料とコメを食べて育つ。そのためか臭みや雑味がなく、脂身がさっぱりしているのが特徴だ。「皮をパリッと焼くとせんべいの香りがする、と言う人もいます」と幸一郎さんは笑う。

飼育を始めた当初は、一般的な養鶏用配合飼料のみで育てていたが、2003年頃から現在のスタイルに。きっかけは「畜産が国内の食料自給率を下げている」という言葉だった。

「東京農業大学の先生に言われたんです。畜産業は輸入飼料に依存している。だから飼育すればするほど自給率が下がるんだ、って。自分としては畜産をやることで自給率アップに貢献していると思っていたから、ショックでした」

ちょうどその頃、岩手県では主食用米の生産を制限する「減反政策」が行われていた。石黒農場の田んぼもその対象になっていたが、「少しでも自給率を上げたい」と考えた幸一郎さんは飼料用米に転作。エサとして与えるだけでなく、籾殻や稲わらを糞に混ぜ肥料にするなど、循環型農業にも取り組み始めた。

「国産」ならではの安心と美味しさを

石黒農場がほろほろ鳥を飼育し始めてから半世紀以上が経った。今は国内のほかでもほろほろ鳥を扱うところが出てきたが、「専門農場」を謳っているのはここだけだ。


現在は年間約4万羽を出荷。鶏肉ではもも肉の人気が高く、むね肉は需要が少ないとされるが、石黒農場のほろほろ鳥にはどの部位も満遍なく注文が寄せられるという。特にむね肉は評判が高く、ジューシーで柔らかく淡白なその味わいを「白身魚のよう」と評するシェフもいる。

「たくさんのプロの方々に『美味しい』と使っていただけるのは、生産者として本当に励みになります。特に、フランス人シェフに認めてもらったときは感慨深かった」と幸一郎さん。その言葉通り、ほろほろ鳥の本場・フランスに本店を持つレストランからの引き合いも多い。50年以上三つ星を保持し続けるフレンチの名店「トロワグロ」が日本から撤退するときには「最後のディナーメニューに石黒農場のほろほろ鳥を使いたい」と声がかかり、店にも招待されたという。

さらに2025年、フランスで発行されている世界的グルメガイドブック「ゴ・エ・ミヨ」日本版で、地域に根差した食材づくりを讃える「テロワール賞」を受賞。温泉熱を利用して飼育し、鶏糞で飼料米を栽培するなどの循環型農業を実践し、高品質の食肉を提供していることが評価された。

持続可能な「オール国産飼料」を目指して

日本では前例のなかった「食用としてのほろほろ鳥飼育」を確立し、その希少性と質の良さで名だたるシェフの信頼を集める石黒農場。だが決して順風満帆なわけではない。2023年には委託先の孵化場で鳥インフルエンザが発生し、雛が全羽殺処分に。生産体制を再構築し、出荷できるようになるまで1年かかった。

しかしそのピンチを救うかのように、長男の鋭太郎さんが東京の大学を卒業し、家業を継ぐために戻ってきた。今は長女も手伝ってくれている。幸一郎さんは「それまでは家族バラバラだったけど」と冗談めかしつつ、頼もしい子どもたちの姿に目を細める。

そんな幸一郎さんには「オール国産飼料でほろほろ鳥を育てたい」という目標がある。つまり「自給率100%」の実現だ。令和5年度の統計によると、国内の飼料自給率は約27%。その大半は牛が食べる牧草や稲わらといった「粗飼料」で、穀類やトウモロコシなどの「濃厚飼料」だけ見るとわずか13%に過ぎない。石黒農場でも多くを輸入飼料に頼っているのが現状だ。

それでも「農地はたくさんあるし、この周辺で飼料用トウモロコシを作り始めた人もいる。決して不可能ではない」と、幸一郎さんは前を向く。すぐに実現するのは難しくても、試行錯誤しながら一歩ずつ。石黒農場の歴史はそうして紡がれてきた。「よりよいものをつくるために、できることはまだまだある。やるだけやって、あとは息子たちに託そう」と笑う父の言葉を、鋭太郎さんが頷きながら聞いている。石黒農場とほろほろ鳥の物語は、これからも続く。

ACCESS

石黒農場
岩手県花巻市台1-363
TEL 0198-27-2521
URL https://ishikuro-farm.com/
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