日本の梨の発祥地である千葉県は、栽培面積、収穫量(生産量)、産出額ともに日本一だ。時期によって食べられる品種も様々なことも特長の一つだ。市川市で梨農園を営む「梨屋 与佐ヱ門」(なしやよざえもん)は品質と旬にこだわる。みずみずしさと高い糖度やシャリシャリとした食感を追究する至高の梨作りに迫った。
千葉県の梨は日本一
千葉県の農作物と聞いて真っ先に思い浮かぶのは落花生かもしれないが、実は日本一の梨の生産地でもある。千葉県が令和3年のデータを元に作成した「千葉県の梨の全国的な位置付け」によると1位・千葉県(産出額74億円、収穫量20,500トン、栽培面積1340ヘクタール)、2位・茨城県(産出額69億円、収穫量19,100トン、栽培面積914ヘクタール)、3位・栃木県(産出額54億円、収穫量15,900トン、栽培面積735ヘクタール)、4位・鳥取県(産出額51億円、収穫量11,100トン、栽培面積618ヘクタール)、5位・長野県(産出額48億円、収穫量12,000トン、栽培面積664ヘクタール)と全国順位では第1位を誇っている。
ちなみに2002年から2022年までの生産量統計では、2019年に一度、茨城県に1位の座を譲った以外、常に千葉県が1位を占めている。 三方を海に囲まれた温暖な気候のため、関東地方の中では、花が咲く時期が早く、収穫時期も早い。土壌条件、気象条件に恵まれた梨の栽培適地なのだ。また首都圏を中心として消費地が近いこともあり、鮮度の良い収穫したばかりの梨を消費者に届けることができる。
千葉県の梨栽培の歴史は古く、それは江戸時代まで遡る。1769年に現在の市川市八幡地区で、川上善六により広まったと言われ、この地で収穫された梨は江戸に運ばれ、高級品としてもてはやされたことから関東平野では千葉県北西部が一大産地となった。
そのなか、千葉県で老舗農家として200年以上続き、梨を作り始めてから60年以上経つのが「与佐ヱ門」だ。八代目、田中総吉さんは「千葉県ならではの、関東ローム層と言われる肥沃な土地があり、どんな品種を作ってもやっぱり良いものができる。三方を海に囲まれて気温が安定しているというところが一番の特長で、梨にとってもいいんでしょうね」と教えてくれた。
「与佐ヱ門」八代目として深めた自信

田中さんが「与佐ヱ門」の八代目を襲名したのは27歳のときだった。子どもの頃から、一切家業を手伝わなかった。「農家は恥ずかしいもの、格好悪い」と思春期も重なり農場にも足を踏み入れなかった。漠然と「いつかは家業を継ぐ」ことは頭の隅にあったが、東京農業大学を卒業し、農薬メーカーへと就職。営業マンとして仕事にも慣れていくなか、転機が訪れたのは生産者との触れ合いだった。実際に顔を合わせ、膝と膝を突き合わせ話す機会も増えていった。「地域の食を大切にすることも含め、(農業は)思っていた以上に厚みのある仕事だ」と考えが変わっていった。
ただ大学は農学部で果樹を専攻したが、実際に畑に出てみると授業とは違い、思うようにいかないことも多かった。父である七代目、田中彬行さんのアドバイスは「(梨を)かじれ」の一言。
当時、常連の消費者からは「今までとは味が違う」と言われ、行き場のないやり場のない悲しみに襲われた時もあったという。土づくりと畑の管理を徹底し、味と品質の向上のため試行錯誤を繰り返すと「美味しい」と言ってくれる消費者も増えていった。「続けて良かった。皆さんの評価が励みになりました」と田中さん。
そして2010年、田中さんは「千葉県なし味自慢コンテスト」で農林水産大臣賞を受賞。〝梨王国〟の千葉県で、その梨づくりが認められる。「与佐ヱ門」の八代目として自信を深めると梨と向き合う日々が始まった。
梨作りへの情熱

与佐ヱ門の畑は、田中さんが居住する市川市と富里市にある。市川市など千葉県東葛地域は栽培発祥地ではあるが、宅地化が進み堆肥の臭いや埃で近隣に迷惑をかけてしまうこと、また大型道路の計画などで農地が狭くなったこともあり、約35年前に富里市にも農園を構えると、畑作りの土台となる土づくりに力を注いだ。
当時は堆肥に鶏糞を使いコーヒー粕を混ぜて熱を出す作り方をしていたが、現在はJRA美浦トレーニング・センターから出る馬糞と敷き藁を発酵させている。
というのも、鶏糞は、窒素・リン酸・カリウムなどの含有量が多く、肥料として即効性が高い反面、アンモニア成分も多く、継続的に使用すると根に悪影響を及ぼしてしまう。一方、JRA美浦トレーニング・センターから回収する馬糞には、厩舎の寝床に使われる藁が大量に混入しており、植物性有機物が多いのが特長。そのため土壌の微生物が活性化され、土壌改良効果が非常に高いのだ。「肥料は切らさず効かさず。梨の木が吸いたくなった時に吸えるような施肥設計を心がけています」と田中さん。それを裏付けるように収量は減るどころか、逆に増えているとのこと。
田中さんの農業への向き合い方も変わっていった。春から秋にかけての灌水、緑枝管理など、梨の樹一本一本の性質に合うよう四六時中、梨のことを考えるようになっていく。「ただ、今でも虫は触れません(笑)。でも1日でも1時間でも1分でも梨の畑の木の下にいたいと、いつの日からか思うようになってきました」。それは消費者から届く「美味しい」という声が田中さんの心を動かしているのだろう。
口に秋風を運ぶ。オリジナル種も好評

「与佐ヱ門」では、「幸水」「豊水」「あきづき」「新高」「かおり」「王秋」などの品種を栽培。この畑面積を維持するためにも品種の選定は重要になる。7代目が考案した独特な仕立て方では、枝と枝の間隔を広く取っていることで葉の1枚1枚に光が当たり、ずっしりと重くみずみずしい大玉となる。また本来であれば収穫期には水を切ることが一般的だが、ここでは通年で灌水(かんすい)を行っていることも品質の向上につながっている。
また田中さんは10年ほど前から品種改良に取り組み、与佐ヱ門オリジナルの梨を栽培し3年前から販売している。「オリジナルが美味しい」と評判も高く、消費者からの問い合わせも多いのだが、畑にはオリジナルの木が1本しかないため、当然、収量も限られてしまう。現在は接木をして増やしている最中でもあるが、これからオリジナルの梨の木が育っていく中で多くの消費者の元に「美味しい」が届くことを楽しみにしたい。
1年を通して味わう
一般的に梨は8月から10月上旬が収穫期にあたるが、品種と加工品により一年を通して取引ができるようになった。
特に力を入れるのが10月に出始める「王秋」だ。日持ちの良い品種で冷蔵保存することで翌年2月まで食することができる。ほんのりとした酸味が貯蔵されることで甘みが深くなり糖度が増していく。「程よく酸味が抜けて絶品の味」になるという。「一度で二度、美味しい」という高いポテンシャルは販売の柱になっているとのこと。
そして「梨は生食というイメージですが、十数年前から梨の加工品を作り始めました。」と田中さん。梨栽培だけでは生きていけないとされている現状を変えたいと青果販売だけでなく、1年中販売ができる加工品にも挑戦。「食のちば逸品を発掘2019」直売所部門で金賞を受賞した「ありの美コンフィチュール」や100%ジュース、ゼリー、ドライフルーツ、酢など、「与佐ヱ門」の梨ブランドが全国各地へと届けられている。
こうした加工品を作ることは、与佐ヱ門独自の規格から外れた梨や定植から4〜5年目の果実などを有効活用し、フードロス削減へとつなげる施策にもなっているのだ。
先端テクノロジーと伝統の融合

また、2025年には、同じ千葉県の柏市に拠点を置く「輝翠TECK(キスイテック)」が開発したAIロボット「Adam(アダム)」を導入予定。同社はUCLAでロボット工学を学び、東北大学の宇宙ロボット研究室にて月面ローバーや探査ロボットの強化学習やAI技術の応用について研究してきたブルーム・タミル氏が創設したアグリテックスタートアップ企業で、日本の農家が抱える課題を解決するべく、自身の知見やノウハウを用いて自動化農業用ロボットを開発・展開している。
もともと農家の慢性的な人手不足に危機感を持っていた田中さん。このロボットを導入することで、自ら課題解決のロールモデルとなる役目を買って出たのだ。
Adamは、約146cm×約111cmの荷台を備えた自動運転が可能な電動運搬ロボットで、20kgサイズの収穫用コンテナであれば12箱を載せて自走可能。ボタンひとつで、地図上に保存した2点間を自動で往来してくれるから、収穫した梨を農場から選別場や出荷場まで人の手を介さず移動することができる。
また、AIが視覚的に作業者を追従することができるので、枝の収集や剪定、肥料散布などのシーンでも大いに活躍が見込まれる。今後これらの機器の導入が進めば農家の人手不足は一気に改善されていくのではないだろうか。
もちろん就農者が増えるに越したことはないが、過度な期待はできない。であれば、“伝統を守るために最先端技術を導入する”という選択肢も必要だと田中さんは考えている。
進化を続ける老舗農家

昨今、地球温暖化の影響により開花や収穫期、果実品質の変動が心配されるが「環境に左右される部分もありますが、環境のせいにはしたくありません。それは僕が努力を怠っているということ。より良いものを作れるように、多くの人に与佐ヱ門の梨じゃなきゃダメだと言ってもらえるように提供したいと思っています」と田中さんは力強く語る。
梨の未来を見据えながら、たくさんの人に美味しいと言ってもらえる梨作りを目指す田中さん。至高の梨作りはまだまだ続いていく。