博多から車で約40分。福岡県中西部に位置する太宰府市は、7世紀後半から12世紀後半にかけ、九州を統括する行政機関・大宰府が置かれた場所。ここで903年より創祀し、今なお歴史を紡ぐのが、学問の神様として知られる菅原道真公を祀る「太宰府天満宮」だ。
“天神さま”を祀る天満宮の総本宮
「太宰府天満宮」は、全国に約一万社存在する天満宮の総本宮だ。「天満宮」とは、平安時代を生きた菅原道真公(天神さま)を御祭神とする神社。では菅原道真公とは、一体どんな人物だったのか。
学問、そして政治にも長けた人物
845年6月25日、学者の家に生まれた菅原道真は、幼少期から和歌や漢詩に親しみ、青年期には自らも学者としてその才能を開花させた。さらに政治の世界に歩みを進めると、いち早く世界情勢を察知して遣唐使を廃止するなど、先見の明を持って改革を行い、当時の天皇に重用され、朝廷の政務を統括する右大臣としても活躍するようになる。
しかしその才能を妬んだ藤原時平の策謀により、京都から遠く離れた大宰府へ流される。それでも道真公は、天を恨まず、人を憎まず、最後まで国の繁栄や天皇の安泰を祈り、903年2月25日、59歳で人生の幕を閉じた。太宰府天満宮は、その菅原道真公の墓所であるとともに、以後、道真公を天神さまとして仰ぐ祈りの場となった。なお墓所と神社が同じ場所であることは、全国的にも珍しい。
1125年の節目に向けて
由緒ある神社では、数年、数十年ごとに神幸祭や社殿の建て替えなどを行う。太宰府天満宮では25年ごとだ。理由は、道真公の誕生日が6月25日、亡くなった日が2月25日と、25という数字に深い縁があるからだ。じつは、左遷の命を受けたのも1月25日なのだとか。そして迎える2027年は、道真公の薨去から1125年という大きな節目。太宰府天満宮では、この年の式年大祭に向け、124年ぶりに重要文化財である御本殿の大改修を行なっている。
自然豊かな大宰府の杜から
大改修は2023年に始まり、約3年続く。その間、参拝者を迎えてくれる場として設けられたのが仮殿だ。屋根の上に、森の一部をそのまま移したような佇まいが印象的で、設計は、国内外で活躍し、2025年大阪・関西万博の会場デザインプロデューサーも務める建築家・藤本壮介氏が担当。太宰府に何度も足を運び、天満宮を囲む杜を目にした感動からイメージを固めていったという。
太宰府天満宮の飛梅伝説
あわせてアイデアの素となったのが、太宰府天満宮に伝わる「飛梅伝説」だ。「飛梅伝説」とは、御本殿そばの御神木である梅の木にまつわる伝説で、道真公が京都を離れる際、それまで自邸の庭で可愛がっていた梅の木に、「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」(春の風が吹いたら香りを届けておくれ 主人がいなくなっても春を忘れずに咲くのだよ)と別れの歌を詠んだところ、その梅がわずか一晩で大宰府まで飛んできて根を下ろした、というものだ。「広大な森が御本殿の前に飛んできた」という仮殿のコンセプトは、ここから生まれた。
ちなみに太宰府天満宮の境内には約6000本の梅の木があり、毎年1月下旬から3月上旬にかけて美しい花を咲かせる。梅の実は職員によって収穫され、梅干しや梅酒となって「お札お守授与所」にて販売されている。
自然と共存する天満宮を形に
仮殿内に張られた御帳(みとばり)と几帳(きちょう)にも注目したい。それらはパリコレなどにも出展しているファッションブランド「Mame Kurogouchi」によるものだ。クロゴウチ氏も太宰府に幾度となく足を運び、さまざまな資料にふれながら構想をまとめた。御帳に描かれた柄は、ある雨の日、境内のクスノキにぽっかりと空いた穴の中で雨宿りをした際に見えた風景。太宰府天満宮と自然との深い関係性も見つめ、素材には境内の梅や草で染めた糸を採用。現代の織り機を使い、古代と現代の交差も表現に織り込んだ。
変わらないために、変わり続ける
そんな仮殿へは、賑わう参道から鳥居をくぐり、道真公の門弟が作ったとされる心字池(しんじいけ)にかかる3つの赤い太鼓橋を渡って向かう。橋は手前から過去、現在、未来を表し、水の上を渡ることで身も心も清らかとなり、天神さまに近づけるという結びの意味もあるという。そして橋を越えると、風格のある朱塗りの楼門がそびえ、通過した先に、自然と一体となった仮殿が姿を見せる。
御本殿の改修が完了したタイミングでこの仮殿は役目を終え、解体されるが、屋根の上の植物たちは、再び森へ帰っていく。太宰府天満宮が大切にする「変わらないために変わり続ける」ということを、この3年間は特に感じることができるかもしれない。参拝はもちろん、仮殿内で神職に祝詞を挙げてもらう祈願によって、天神さまからご神徳をいただく経験も勧めたい。
境内でアートに出会う
参拝、祈願を終えて境内を散策すると、道真公にゆかりのある文化財を所蔵する宝物殿や、宮司が4代・120年にわたり誘致に奔走し開館が叶った九州国立博物館へのアクセストンネルなどが目に入り、文化芸術との距離の近さを感じるはずだ。道真公は学問だけでなく、和歌や漢詩にも優れた人物であったため、文化芸術の神様としても親しまれており、太宰府天満宮もその分野に関わることにさまざまな形で力を注いできた。
2006年からは、国内外で活躍するアーティストを太宰府に招き、神道や天神さま、太宰府天満宮について触れ、感じたことを、100年後、1000年後にも残る作品へと落とし込んでいくプロジェクト「太宰府天満宮アートプログラム」が始まった。プログラムで制作された作品のうち一部は屋外に設置されており、境内を散策しながら鑑賞できることから境内美術館と呼ばれている。
ユニークな10作品を巡る
参道から鳥居をくぐり、右手に見える浮殿(うきどの)には、イギリスのアーティスト、ライアン・ガンダー氏の作品「Really shiny stuff that doesn’t mean anything 本当にキラキラするけれど 何の意味もないもの ©Ryan Gander, 2011 Courtesy of TARO NASU※」が設置されている。これはガンダー氏が、参拝者が「見えないもの」に対し祈っている姿に衝撃を受け、その「見えない力」を磁力で表した作品だ。
※神社の行事などにより、展示されていない場合あり
また宝物殿そばの梅林には、同じくライアン・ガンダー氏の作品「Everything is learned, VI すべてわかった VI ©Ryan Gander, 2011 Courtesy of TARO NASU」が置かれている。一見、上部がすり減った “岩”だが、ロダンの彫刻作品「考える人」が、この石の上で熟考したのち「すべてわかった」と立ち上がり、去った、という様を表した作品で、想像力を掻き立ててくれる。他にも、アスファルトに直接描かれたローレンス・ウィナー氏の「THE CENTER OF A CENTER ひとつの中心のその中心 ©Lawrence Weiner, 2020 Courtesy of TARO NASU」や、子どもたちの手形の未来に想いを巡らせてくれるサイモン・フジワラ氏の「The Problem of Time 時間について考える©Simon Fujiwara, 2013 Courtesy of TARO NASU」など、境内美術館には2024年4月現在、10作品が展示されている。
天神さまなら、どう考える?
太宰府天満宮が同プログラムを推進する理由には、常に時代の最先端を見つめた菅原道真公が、もしも現代に生きていたら、どのように考えるか、という思いがある。「アーティストの選定や作品作りの際、迷いが生じた時も、『天神さまに喜んでいただけるだろうか』ということを考えます。そしてプロジェクトがスタートしてからも、神社とアーティストのどちらかが一方的にならないよう、常に歩み寄り、信頼関係を構築していくことを何より大切にしています」と、権禰宜の高山博子さん。
豊かな自然を感じたい人、神道に触れたい人、アートに触れたい人、それらをもっと深めたい人……。
太宰府天満宮はこれからも、多くの人の心を動かす「見えないもの」を育みながら、時代とともに歩み続ける。