福岡県八女市黒木町にある「霊巌寺(れいがんじ)製茶」の徳永慎太郎さんは、全国の若手茶生産者が、味、香り、外観などで茶の品質を鑑定する技術を養成し、茶の品質向上を目的とする全国茶生産青年茶審査技術競技会の2023年に行われた第40回大会で最高位の「農林水産大臣賞」を受賞、「福岡県八女茶手もみ競技大会」でも殿堂入りしている茶のスペシャリスト。霧がたちのぼる山間の茶畑で徳永さんが我々を迎えてくれた。
寒暖差と霧、肥沃な赤土が茶葉に旨みを凝縮させる
地面からゆっくりと立ち上る霧が木々の間を漂い、林の輪郭をぼかしていく。徳永さんが精魂込めて育てる最高品質の玉露「八女伝統本玉露」の茶畑は標高520メートルという霧深い山奥にある。周辺に民家は少なく、山紫水明な景色に心が洗われるような場所だ。
霧は日光を程よく遮り、茶葉が光合成を行う際に苦味や渋みの原因となるカテキンの生成を抑え、旨み成分となるテアニンを増加させると言われている。寒暖差のある山岳地帯では茶の芽がゆっくりと成長し、味わい深い茶葉が育つのだ。この理想的な気候条件に加え、栄養を溜め込める粘土質の赤土に恵まれたことが徳永さんのつくるお茶を美味しくしている。
「全国茶品評会」の常勝者を目指して
徳永さんが所有する6ヘクタールほどの茶畑の中で最も高い場所に位置するこの畑では、年に一度開催される「全国茶品評会」に出品するための「八女伝統本玉露」を栽培している。この茶は八女茶の名を広めるために最高の技術・手法を駆使して誕生したもので、栽培方法には厳格なルールがある。
最も特筆すべき特徴は茶畑の上に造作した棚に稲わらをかけ、95%以上の遮光率で日光を16日以上遮る「わらかけ」を行うこと(写真にかけられているのは霜よけネット)。稲わらにより適度な湿度と温度がキープされ、雨雫が落ちることで「覆い香」と呼ばれる特有の風味が生まれる。また、枝葉を刈らない「自然仕立て」により育った新芽の「一芯二葉を手摘みする」というのもルールの一部。このように時間も手間暇もかけ丹念に育てられたものだけが「八女伝統本玉露」の名で世に出る。
「実は、もともとこの畑があった場所に住んでいました。でも、平成24年に起こった水害による土砂崩れで家が流されてしまい、この場所が空いたので新しい挑戦として「全国茶品評会」に出品するためのお茶を育ててみることにしたんです。品評会で安定的に上位に入ること=生産者としてお墨付きがもらえることなので、茶問屋との取引もしやすくなります。いつか「霊巌寺製茶」のお茶が飲みたい!とお客様に指名していただけるようになりたいですね」。
品評会には過去7回ほど出品し、2023年には110以上のエントリーがあった中、見事5位に入賞した。「上位常連の農家さんを訪ね、どうしたら美味しくなるのか学ばせてもらいました。気候条件に加え、肥料を与える量や時期、茶葉を摘むタイミングなど、すべての条件がピタッと重なった時にいい成績がとれるそうです。まだまだ勉強が必要ですが、これからも上を目指します」。
静岡で学んだ茶の知見が受賞の礎に
茶の品質を見極める眼識にも優れ、全国の若手茶師が集い、茶の審査技術を競う「全国茶生産青年茶審査技術競技会」では2023年に最高賞を受賞。茶師の段位も初段から六段にジャンプアップした徳永さん。伝統的な「手もみ」による茶の加工技術を競う「福岡県八女茶手もみ競技大会」でも10連覇し、殿堂入りの称号を受けた。これら素晴らしい能力の礎をつくったのが静岡にある「農研機構果樹茶業研究部門金谷茶業研究拠点」での日々だ。
「全国各地のお茶を飲み比べ、地域性や品種の傾向を身体で覚えました。自分なりのお茶に対する味覚の基準ができ、引き出しが増えたことが利き茶力を育んだのだと思います。また、静岡で手もみを専門的に学べたことも大きかったですね。手もみを経験すると、加工の工程ひとつひとつの意味を深く理解できるようになります」。
「手もみ」は蒸した茶を手でもみながら乾燥させていく製茶の基本となる技術。適度な圧力で茶葉を揉み、中から出てくる水分量を調整しながら、茶葉を針のように細長い形状に仕上げていく。「蒸された茶葉を見た時点で、その茶葉の繊維の質と量を見極め、揉み方を決めます」。そんな徳永さんの“見極め力”は機械での荒茶づくりにも生きている。その時々の茶葉によって蒸し具合や風の送り方、乾燥のさせ方を微妙に変え、少しでも手もみに近い仕上がりになるよう調整している。
「手もみのお茶と機械で仕上げたお茶は味の丸みが違います。機械だとどうしても圧力が強くなり少し角が立ったような味わいになる。手もみ茶が一番ですが、手もみだと大量生産できないので、機械を使っても手もみのような味わいに近づけられたらと試みています」。
徳永さんが自分で手もみしたお茶を淹れてくれた。確かにまろやかで優しい。どんな時代になっても熟練した職人の手技が機械を超えることはないことを物語る味わいだった。
山の茶を愛し、新品種にも挑む
全国各地に耕作放棄地も増え、低迷が叫ばれる茶業界。徳永さんの目にそんな状況はどう映っているのだろか。「確かにいい状況ではないかもしれません。でも、自分はやっぱり茶が好きなんです。うちみたいに山の形を生かしてそのまま茶畑にしたような場所は正直、作業性も悪い。でも、ここでしかつくれないお茶がある。手間暇に見合うだけの美味しさをつくれる!と信じて励んでいきたいですね。また、今、福岡県単独の品種が開発されていて、来年から実際に植えて育てる試験が始まるんです。その山間地向けの新品種をうちの畑で植えることになっています。どんなお茶ができるのかワクワクしています」と徳永さん。長年の研究の末に誕生する新品種が、熟練の生産者や茶匠によってどんなお茶に育っていくのか目が離せない。
ちなみに「霊巌寺」という屋号は八女茶の発祥地として知られる寺に由来している。「霊巌寺」は明国から茶の種子を持ち帰り、茶の栽培と製法を伝えたとされる栄林周瑞(えいりんしゅうずい)禅師によって建立されたといわれており、徳永さんの加工場が寺の近くにあったことから発祥の地に敬意を表してこの屋号を選んだそう。八女茶発祥の象徴「霊巌寺」という名を背負い、未来に向かって力強く進む徳永さん。徳永さんの「お茶への愛」が、今後どんな日本茶の世界を切り拓いていくのか、楽しみでならない。