創業者の熱意によって生まれた博多名物。「株式会社ふくや」の辛子明太子/福岡県福岡市

今や福岡みやげの筆頭に挙げられる辛子明太子。

その市場規模は約1,200億円ともいわれ、福岡県内200社以上のメーカーがそれぞれに研鑽を重ね、味を競い合う。
辛子明太子が福岡名物として周知されるようになった要因のひとつとして、博多の繁華街・中洲に本店を構える「株式会社ふくや」の創業者・川原俊夫さんの尽力が大きい。
むしろ、それがなければ辛子明太子は今ほど全国的に有名にはなっていなかったかもしれない。その情熱は代々、家族や社員に受け継がれ、現在は5代目社長を務める川原武浩さんへと“ふくやイズム”が継承されている。

目次

辛子明太子が誕生し、全国へ広がるまでの道のり

「明太子」とはスケトウダラの卵のことで、韓国語でスケトウダラは「明太」、その卵(=子)なので「明太子」と呼ばれている。本来、スケトウダラは寒い海域に生息する魚で、温暖な気候の福岡とはあまり縁のない食材であるはずなのに、どのようにして「辛子明太子」が福岡の名物になったのだろうか。

「辛子明太子」誕生ストーリー

戦後間もなく、焼け野原となった中洲の一角で小さな食料品店を開業した「ふくや」。創業者の川原俊夫さんは、商売のかたわら地域を盛り上げ多く人に喜んでもらいたいとオリジナル商品の開発に着手する。そこで思いついたのが、幼少期を過ごした韓国の釜山で食べていた「ミョンランジョ(明卵漬=たらこのキムチ漬)」という辛子明太子の原型ともいえる惣菜だった。

スケトウダラは福岡近海では獲れないため、主に北海道産を使用し、記憶をたどりながら幾度もの試作を重ねて、1949年1月、ついに辛子明太子の販売にたどり着く。しかし、当時の日本人は辛いものになじみが薄かったためか、まったく受け入れられなかった。

これにくじけることなく材料やつくり方を試行錯誤し、納得のいく辛子明太子が完成したのは約10年後のこと。塩蔵(=塩漬け)したたらこを独自にブレンドした唐辛子の調味液に漬け込む独自の製法によって、ついにふくやを代表する「味の明太子」の原型が完成した。

惜しみなく作り方を教えたことで店の看板商品が地域の名産に発展

その美味しさは徐々に地元でも評判となり、店には辛子明太子を買い求める人の行列ができるようになる。そこで、同社が店を構えていた中洲市場内のほかの店から「うちでも売ろうか?」と卸の打診を受ける。ところが川原さんは「卸ではなくおたくも作ったら?」と提案し、仕入れ先や材料、製造方法を教えた。また、市場内に限らず、希望する人には誰にでも教えていたのだが、それぞれが独自の味を作り出せば、より多くの人の好みに対応できると考え、調味液の味付けだけは教えなかったという。

以降も商標登録や製法特許を取ることなく同業者や取引先に惜しみなく製造方法を教え続けた。その結果、福岡に個性豊かな辛子明太子店が数多く誕生することになる。
その後、1975年の新幹線開通など時代の後押しもあり、博多みやげとして辛子明太子を買い求める人たちの手から手へと全国に広がっていき、博多を代表する名産品に。辛子明太子業界は地元・福岡の一大産業として大きく発展していった。

辛子明太子へのこだわり

辛子明太子の味は卵の質で決まると考えるふくやでは、創業当初から上質な原料の仕入れに細心の注意を払っている。原料となるスケトウダラは、以前は韓国や日本でも獲れていたが、200海里問題や乱獲、海水温度の上昇による漁場の北上によって収獲量が減少し、現在国産はわずか数%、ほとんどをアメリカとロシアからの輸入に頼っている状況だ。輸送に時間がかかり鮮度が落ちると生臭みがでるため、原料となるスケトウダラの卵は船上で取り出して急速冷凍され、鮮度が保たれた状態で加工される。

熟練の目ですべての工程を徹底管理

さらに品質を左右するのが卵の成長度合いだ。卵は成長過程でガム子・早真子・真子・目付・水子・皮子の6段階に分かれ、違いは味と粒感に現れる。ふくやでは卵が成熟して粒が大きく張りがある「真子」を中心に、少し手前の成熟卵「早真子」と完熟卵「目付」の一部を原料として使用。船上で「真子」に近いものを選別し、工場に届いてからさらに卵の目利きが見て触って状態のよい卵だけを厳選している。

「真子」の味わいを活かすため、アルコールやみりんなど余計なものを加えず、それぞれ甘さや辛さ、香りに特徴のある数種の唐辛子をブレンドしたシンプルな調味液で味付けするのがふくやの特徴のひとつ。調味液に漬ける時間を48時間~96時間程度とすることで、素材の旨味が抜けず、味が染み込み過ぎることもなく、1本の明太子の外側と内側で違う味わいを楽しめるようにしている。

明太子の選別から調味液かけや計量まで、工場では熟練の技を持つスタッフの管理のもと、ほとんどの工程が手作業で行われている。こうしてつくられた辛子明太子は、最後に「味の番人」と呼ばれる検査員が仕上がりを確認して完成となる。彼らは人間の持つ味覚・嗅覚・視覚などを駆使し、味・食感・香り・見た目などを評価する官能検査を行っている。    

「味は守るな、変化させろ」。時代とともに進化する辛子明太子

創業者の教えのひとつに「味は守るな」というのがある。人々の嗜好は時代ごとに変わっていくため、変化に合わせたものづくりを行うべきだという。その教えどおり、ふくやの「味の明太子」は発売以来75年間、ベースは守りつつも少しずつ味や製法を変えながら進化してきた。
辛子明太子の塩分濃度もそのひとつ。健康志向が高まり減塩を望む声に応え、創業時12~13%だった塩分は今や3~5%に下げられている。昔のように塩辛いものでたくさんごはんを食べてお腹を満たす時代ではなくなったことも塩分を下げた理由だとか。
辛さの種類も、辛みのない「のんから」から激辛の「どっから」まで4段階。この他にも、創業当初の復刻版や、通常の13.5倍の辛さ、35%の減塩など、辛子明太子だけでもたくさんの種類を用意し幅広いニーズに応えている。

時代に合わせた加工品が続々登場

時代とともに変化してきたふくやでは、現代のライフスタイルや嗜好に合わせた加工品の開発にも力を入れている。大ヒットとなったチューブ入り明太子「tubu tube(ツブチューブ)」やツナと和えた缶詰「めんツナかんかん」をはじめ、長期保存に適したコンフィ(油漬け)「缶明太子」、スパイスブームの流れを汲んだ「味の明太粉」や「明太醤」など、あげるときりがないほど。

海外からの食文化流入による食生活の変化や、調理に時間をかけなくなったこと、海外からの観光客が増えたことなど、消費者の動向をうかがいながら自由な発想で新商品開発に取り組み、ふくやのファン層を広げる。同時に、破れて商品にできない明太子や残った調味液を加工品に利用することで、無駄がなくなるという利点もある。

「今後のビジョンとしては、生の辛子明太子の味を極めつつも、醤油味やテリヤキ味と並ぶ、辛味・旨味・海鮮味が一体となった “明太子味”の加工品を世界に浸透させていきたいですね。また、福岡をはじめ九州にはとてもいい食材があるので、九州の食文化を多くの人に知ってもらって九州全体が活気づくよう取り組んでいきたい」と川原さん。

辛子明太子の誕生が博多の街を盛り上げたように、ふくやの商品が九州そして日本を元気にする。創業者の開拓精神は時代を超えて脈々と受け継がれている。

ACCESS

株式会社ふくや
福岡市博多区中洲2-6-10
URL https://www.fukuya.com
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