全国の “旨い日本酒”を支える麹室メーカー「日東工業所」/栃木県鹿沼市

全国の “旨い日本酒”を支える麹室メーカー「日東工業所」/栃木県鹿沼市

日本酒作りにおける大切さを順に表した「一麹、二酛(もと)、三造り」という格言。麹を作る部屋は「麹室(こうじむろ)」と呼ばれ、その重要さ故に、神聖な場所とも考えられてきた。ではその麹室はどこで、どのように作られているのだろう。じつは、そんな麹室の設計・施工のトップメーカーが栃木県鹿沼市にある。

「麹室」のトップメーカーを生んだ「木工のまち・鹿沼」

栃木県鹿沼(かぬま)市。栃木県の西側に位置し、市内の約7割が森林に覆われる自然豊かな地域は「木工のまち」とも呼ばれている。今も昔も良質な杉やヒノキなどの木材資源が豊かで、江戸時代、日光東照宮造営の際には日光西街道・例幣使街道(れいへいしかいどう)の宿場町としても賑わった。その当時全国から集まった腕利きの職人たちがこの地に木工技術を伝え、その後も関東大震災や戦後の復興などの需要拡大により木工の生産が拡大。それらの発展を続ける中で「木工のまち」となっていった。
そんな鹿沼市に本社を置く「日東工業所」。1972年の創業から50年以上、杉板造りの「麹室」の設計・施工を手掛け、その数は累計500以上。全国で麹室を専門に手掛ける会社は2社しかなく、その1社として、「十四代」で有名な髙木酒造や「鳳凰美田」で知られる地元の小林酒造など、名だたる蔵元から厚い信頼を得ている。

日本酒造りにおける「麹室」の役割

日本酒作りに欠かせない「麹」を作る工程。この工程は「製麹(せいきく)」と呼ばれ、製麹を行う部屋を「製麹室(せいきくしつ)」または「麹室(こうじむろ)」と呼ぶ。日本酒における麹とは、精米した米を蒸し、蒸した米に麹菌を振りかけ、米の中で菌を繁殖させたもの。

日本酒に限らずお酒を作るには、主原料に酵母を加え、酵母が原料内の糖をアルコールと二酸化炭素に分解する「アルコール発酵」が必要不可欠。ところが日本酒の原料である米には、アルコールのもとになる「糖」が含まれていない。そのためまず、米の中のデンプンを糖に変化させることのできる麹の力を借りる必要がある。麹は日本酒を作る最初の一歩のために欠かせない存在であり、麹がなくては何も始まらない。

麹が完成したら、麹と蒸した米、水、酵母、乳酸菌を合わせ「酒母(しゅぼ)」または「酛(もと)」と呼ばれるものを作る。ここで作られるのがアルコール発酵に必要な大量の酵母で、この酵母が「日本酒のもと」となるのだ。完成した酒母に、さらに水、麹、蒸し米を加えることで、アルコール発酵とデンプンの糖化が行われる。この発酵過程の液体が「もろみ」と言われ、このもろみを絞ったり、ろ過をしたり、火入れをするなどの工程を経て、日本酒が出来上がる。麹は、日本酒作りの各工程において必須のものだからこそ、その出来が味わいに大きな影響を及ぼすのだ。

「麹菌」は生き物。彼らが喜ぶ環境とは?

麹にはデンプンを糖に変える(糖化)だけでなく、タンパク質をアミノ酸に分解する酵素が含まれる。そこで生まれたアミノ酸は、日本酒の旨味や深みのもとになり、味への影響も大きい。「良い麹」とは、糖化やアミノ酸への分解酵素の生成が盛んな、元気な麹菌がたくさん繁殖していることも重要だ。

しかし、麹菌は「コウジカビ」というカビの一種であり繊細な生き物。良い麹は、菌が米の表面だけでなく中心に向かって菌糸をのばし、生成する成分を中心部までしっかり溜め込めるような繁殖ができたものとも言われているが、生き物が人間の都合の良く勝手に「いい塩梅で」繁殖してくれたりはしない。

だからこそ麹作りでは徹底した保温・換気・温度管理をし、細かなコントロールが重要だという。麹菌の繁殖に適した環境は、温度は約30℃、湿度が約60℃と言われている。しかも麹菌が呼吸をする際に熱と炭酸ガスを発生させるため、温度が上がりすぎないよう細かな調整と換気も大切になってくる。また当然、他の菌が入り込んでしまうことにも注意しなければならない。特に納豆菌は繁殖力が強く、侵入を許せば麹菌より先に繁殖してしまい、麹が納豆のようになってしまうリスクも。しかも、1度入った納豆菌は熱湯殺菌でも取り除くことが難しいのだ。だから今も昔も、酒蔵の人たちは酒造りの期間中は納豆を食べず、特に麹室は杜氏(とうじ)や限られた蔵人(くらびと)しか入れない神聖な場所とされていた。

室内の環境をどう保つか、調整するかが「麹菌」という生き物の繁殖に大きく影響する。だからこそ、麹室はただの隔離された部屋ではいけない。外気温の影響を受けにくい高い断熱性能だけでなく、温度・湿度を保てる換気、空気の流れなど「生きている」麹菌の状態を見極めながら微細な調整ができる設備でなければならない。

良質な木材が作り出す、人も麹も心地よい空間

日東工業所が手掛ける「麹室」は、杉板造りが特徴。壁、床、天井のすべてに自然の杉材を使い、木の温もりに包まれるような空間を提案している。現在会社を率いるのは、2代目社長の大塚一史さん。今から50年以上昔、まだ全国に麹室を手掛ける会社が4~5社あったころ、そのうちの1社から独立したのが大塚さんの父だった。創業当初から会社のある鹿沼市は「木工のまち」。その地元で木材の製材・加工が盛んだったことや、材木店を営む親類から日本全国の良質な木材を仕入れやすかったことが、杉板を使った麹室を手掛けるきっかけになった。

あらゆる木材の中で、日東工業所が選んだのは「秋田杉」だった。寒い地域でゆっくりと時間をかけて成長する「秋田杉」は年輪が細かく、ねじれや狂いが少ない良質な建築材とされている。そのため、高温・多湿の麹室で使うのにも適していると考えた。

麹室に木を使う必要性はあるか

「麹室自体は、杉板以外の材料でも作ることは可能です」と大塚さん。確かに世の中にはステンレスパネル製の麹室も多く存在する。ステンレスなら、木材のねじれや狂いといった自然由来の変化の心配もないのだろう。しかしそれでも大塚さんがまず勧めるのは、杉板の麹室だという。その背景にあるのは、木の呼吸作用による自然な調湿効果。そしてもう1つは「麹は生き物」という強い思い。人間が自然の中で過ごすと心地よさを感じるように、生きている麹も同じなのではないか。居心地の良い空間で育った麹は、より良いものになるのではないかという思いが、杉板造りの麹室を提案する源泉となっている。

日東工業所がこだわるのは「杉板」だけではない。酒造りが行われる冬場において、どんなに外が寒くても、麹室の中の温度を暖かく保てる気密・断熱性も非常に重要。例えばずっしりと、そしてピッタリと閉まる扉も、気密性を上げるために必要な仕様だ。微細な空気の流れは実際に麹作りがスタートして初めて気がつくこともある。そのため酒造りが始まってから再度調整を行うなど、気密・断熱性への対応も徹底している。

日東工業所の麹室作りの技術は年を追うごとに向上しているという。工法や使用する釘やビスに至るまで改善を繰り返し、工期も短縮された。北は北海道、南は九州まで、施工の際は従業員が現地に1カ月以上泊まり込んで行う。過去には冷気が入りすぎるなどの失敗も経験したが、今では「温度が上がりやすくなった」などと褒められることも。木製とステンレス製の両方の麹室を採用する酒蔵もあるが、やはり昔ながらの自然の調湿効果が期待できる杉板造りの麹室への信頼は厚い。携わった酒蔵から別の酒蔵を紹介されることも増え、日東工業所に施工してもらったことを誇らしく掲げる酒蔵もいる。何百年もかけて麹作りに向き合ってきた杜氏や蔵人たち。日東工業所が多くの酒蔵から支持されるのは、彼らの厳しい目や大きな期待に応え続けた証なのだろう。

今でもこれからも、すべては「お蔵さん」のために

大塚さん曰く、麹室作りとはあくまで酒蔵ありきの商売なのだという。その酒蔵がどれほどの酒量を製造したいのか、そのためにはどのくらいの米を麹室に引き込むのか、そしてどのような麹を作りたいのか、酒蔵ごとの方針や価値観に寄り添い、図面を引いていく。「若いころからお蔵さんには、たくさんのことを教えてもらいました。本当にそれが財産となっていますね」と大塚さん。今後は、お世話になった酒蔵の役に立てることをしたいと、その方法を思案中だそう。

現在の取引先は日本酒業界が9割。現在全国には約1100の酒蔵があるが、日東工業所では累計500を超える施工実績を持つ。日本酒以外では、味噌やお酢の醸造元からの依頼もあるという。また近年は、麹室そのものの設計・施工だけでなく、室の中で使う麹箱などの木製品の製造・販売にも力を入れている。こういった製品の注文をもっと伸ばすこと、そして日本酒以外の業界の仕事も手掛けられるようにしたいというのが、これからの課題であり目標だ。トップメーカーでありながらも決して驕ることなく蔵元の思いに寄り添い続ける日東工業所。杉に囲まれ、自然の優しい温もりにあふれる麹室は、そんな会社の姿を現しているように見える。

ACCESS

株式会社日東工業所
栃木県鹿沼市楡木町326-2
TEL 0289-75-1251
URL http://www.bc9.ne.jp/~nittou/