山梨県の北東部、日本百名山のひとつ「大菩薩嶺(だいぼさつれい)」に代表される豊かな自然と、重要伝統的建造物群保存地区「塩山下小田原上条」の集落や、江戸後期の国宝・重要文化財「旧高野家住宅」などの豊富な歴史的資産に恵まれた甲州市塩山地域。その山間に佇むガラス工房「COMAKI GLASS(コマキグラス)」を訪ねると、右へ左へと「ゆれる」ようにボウルを傾けるグラスが並んでいた。
山間の農村に息づくガラス工房
甲州市塩山地域の工房の周辺には、古くは畑作や養蚕業が営まれた風情を残す民家と風光明媚な山合の景観を望む農村集落が広がる。「製作に没頭した後にはこの景色と涼やかな空気に癒されています」。額に大粒の汗を浮かべながら窓の外を眺めるガラス作家の小牧広平(こまきこうへい)さん。高温で溶かしたガラスを吹き竿に巻き付け、息を吹き込む「吹きガラス」による作品製作を手がけている。
「思いもよらない」吹きガラスの魅力
一口に「吹きガラス」といっても、その技法は2通りに分かれる。ひとつは型にガラスを差し込み息を吹き入れることで、同形状のものを効率的に製造することができる「型吹き(かたぶき)法」。もうひとつが、COMAKI GLASSで用いられている」「宙吹き(ちゅうぶき)法」だ。空中で空気を吹き込み、ガラスに働く重力と吹き竿を回す遠心力だけで成形するため型吹き法に比べて製造効率は落ちるが、その分、職人の技量や加減で仕上がりに個性が表れ、つくり手が意図しない偶然の産物が産まれるのもこの技法の魅力。
「ガラス自らが思いもよらない形を作っていくところが、宙吹き法の面白いところ」と話す小牧さん。“独創的”と評されるCOMAKI GLASSのワイングラスやビアグラスには、個体によって硬さがあり比較的熱が冷めやすい「再生ガラス」が使用されているものもあり、透明感の中に表れるほのかな色味や、短時間で冷え固まる素材の特性を活かした味わい深い様相の作品も見られる。
「それぞれのグラスに性格が出るんです。同じものはひとつとして作れないし、敢えてそのガラス自身が形作ったフォルムや様相を活かした表現を心がけています」
首を傾げるように曲げられたステム(脚)や、違った口当たりをもたらす湾曲した飲み口など、まさにその形状は唯一無二。「並んだグラスを眺めていると、まるでゆれながら愉快に踊っているようにも見える」と、愛おしそうに作品を見つめる。
元々、陶芸や木工、絵画などが好きだったという小牧さん。写実的で精巧なものというよりは、見て感じるもの、特に抽象画や独創的な表現に心が動かされるのだとか。ガラス作りをはじめ、こうした美術品や工芸品に関心を持つようになった背景には、幼き日に見た祖父の存在がある。
祖父の言葉と、ガラス作家・舩木倭帆さんとの出会い
幼い頃から趣味で絵を描く祖父の姿が身近にあったという小牧さん。美術品や工芸品に引き込まれていく中で、「もし若返ることができるならガラス作りをしてみたい」と日頃から口にしていた祖父の言葉を受け、次第にガラス職人になることを夢見るようになっていく。
ようやくガラスに触れるようになったのは大学生の時。一般向けに設備を提供していた工房を見つけ、念願のガラス作りをスタートさせた。その後、本格的にガラス作りの道へ進もうと考え始めた頃、後の師匠となるガラス作家・舩木倭帆(ふなきしずほ)氏の作品に出会う。
「優しく温かみのあるフォルムの中にもガラス特有の清涼感があり、見ていると心が澄んでいくような感覚があった」と話す小牧さん。すぐに手紙で舩木氏への師事を願い出たところ偶然アシスタントの欠員があり、卒業と同時に広島県深安郡神辺町へ転居。舩木氏の工房「グラスヒュッテ舩木」で本格的にガラス作りを学ぶ修業期間が始まった。
偶然を予期すること、真面目に生きること
花瓶・皿・鉢・グラス・茶碗など、素材の特性を生かし、デザインから仕上げまで一貫製作の手仕事によって生み出される舩木氏の作品は、実用性の高い堅牢さを備えつつ、温かみを帯びたアーティスティックさが特徴。他界した今もなお工芸業界内外から高い評価を受けつづけている。「アシスタントとして阿吽の呼吸を合わせられるようになるまでにかなりの苦労があった」と6年間を振り返る小牧さん。円熟した技術を持ちながらも、常に謙虚な姿勢で作品と向き合う舩木氏について小牧さんは「愛情深い優しさがありつつも作品製作に対しては厳しくストイックな方だった」と語る。
「『偶然を予期すること』『真面目に生きること』、舩木さんから学んだことは今も作品作りの根幹に生かされていると思います」。修業を通して技術と作家としての在り方を学んだのちに独立。ガラス製作をするのに適した広々とした場所を求め、父親の故郷である山梨県南アルプス市に自身の工房を構えることとなる。
「ようやく自身の作品のみで生活できるようになったのはここ数年のこと。思えば『売ること』についてはほとんど学ばなかった」と、苦笑いを浮かべる。独立してすぐはアルバイトをしながら製作活動に当たっていたそうだ。各地のギャラリーなどで個展を開き、少しずつ同じ価値観を持つ人たちとの繋がりを広げていく。そうした地道な活動を通して、次第に製作依頼も増えていったのだという。
「たまたま」が心を動かす
2020年にはさらに広い作業スペースを求め、現在の甲州市塩山へ工房を移設。技術的・表現的な「面白さ」を追求し、今や代名詞となった独創的な脚付きグラス(ステムグラス)の製作に力を入れていく。
「唇に触れる面積や口当たりの質感でその味わいは変化するんです」、小牧さんはビールを注いだ自らのグラスを傾ける。工房には数多くのグラスが並べられているが、実はそのほとんどが試作品。例えば厚みの調整や模様付けを行うのにも、洋ばし(ジャック)と呼ばれる金属器具の僅かな力加減によって、仕上がりは大きく変わってくるのだ。いくら技術を磨き続けても、自分がいいと思う作品に出会える瞬間はいつも「たまたま」なのだという。
「暮らしの中で、使うシチュエーションや目的によって印象は変わる。自分が作ったグラスは自分で使ってみたいし、人からも積極的に感想を聞くようにしています」。多くの試作品から、実際に自分が使ってみることで改善点やヒントを模索していく。こうしたストイックで柔軟な姿勢が、見る人、使う人の心を動かす作品を生み出しているのだ。
流されがちな日々に、ふっと
積極的に地域のコミュニティなどとも関わりを持つようにしている小牧さん。地元の味噌屋や瓦職人、ワイナリーなど、地域で自身の活動を応援してくれる人と出会えたのは大きかったのだそうだ。そうした関わりの中で得られるヒントや刺激は多く、ランプシェード製作など今までに無かったオーダーも次第に舞い込むように。近年地域の飲食店などからも「脚の曲がったグラスが欲しい」と依頼を受けることも増えてきたのだという。
少しずつ自身の作品が浸透していることを実感しながらも、こうした交流や、各地で行われる個展での出会い、旅先で偶然目にするものなど、様々なインプットを通してアイディアや自身の感性に磨きをかけていきたいと、今後の展望を語る。
「きっと僕の心も曲がっているんですよ。思ってもみなかった形になるって面白いじゃないですか」
と最後に小牧さんは笑う。地に足をつけ、弛まずにつみあげた信念がありながらも、どこか掴みきれない“ゆらぎ”をはらんだ眼差しがとても印象的だった。COMAKI GLASSの作品には、まさにそういった小牧さん自身のパーソナリティが吹き込まれているのだろう。企画製品や、大量生産品が目まぐるしく生産・消費される時代だからこそ、暮らしの中にふっとひと息。日々の移ろいや季節の変化に寄り添う、 “ゆれる”一点ものを愛でるひと時を楽しんでみてはいかがだろうか。