おいしさだけではなく、生産者の想いまで届けたい。そんな想いから生まれた岸田牧場の「牛乳便り」。異なる品種の牛乳をブレンドして作るその味は、地域の住民や飲食店から愛されている。牛たちの暮らしと理想の牛乳を追い求める岸田牧場の田中徳行さんの挑戦とは。
大山の恵みたっぷりの大地で育つ牛たち
岸田牧場のある鳥取県琴浦町は、北は日本海、南は中国地方最高峰の大山に囲まれた、自然豊かな町。大山からの火山灰からできる黒ボク土は、保水性や透水性に優れ、農作物や牧草の栽培に向いている。また、大山の豊かな伏流水にも恵まれており、畜産にはもってこいの環境だ。
約80年前、田中さんの祖父が戦後の開拓地としてこの地に入植。木々を伐採し、牛を数頭飼いつつ、畑を耕した。その後、田中さんの父が牛一本での経営に舵を切り、現在の形に。「岸田」は田中さんの父方の旧姓で、現在も「岸田牧場」の名を引き継いでいる。
乳牛と肉牛では品種や育て方が大きく異なるため、どちらかを育てる牧場が一般的だ。また、乳牛だけを育てる牧場では、生まれてきたオスの子牛は売られたり、処分されたりすることが多い。しかし、岸田牧場では乳肉複合経営に取り組み、オスの子牛も肉牛として育て、出荷まで自分たちで行う。自分たちの牧場で生まれた子牛は、すべて自分たちで面倒を見るという “牛の専門家”としてのこだわりが伝わってくる。さらに、牛たちの糞尿からできた堆肥は地元の農家さんにも使ってもらい、地域全体での循環型農業を目指している。
牛たちにはストレスフリーな環境を
広大な敷地には、乳牛が約260頭、肉牛が約800頭、あわせて1,060頭ほどの牛たちがのびのびと暮らしている。それぞれがお気に入りの場所で過ごせる「当たり前」の環境を作るため、放し飼い式牛舎を採用。牛たちが牛舎の中を自由に歩き回る姿が印象的だ。
「ただごろごろしているように見えるが、毎日30リットルものお乳を出すには負荷がかかる。休める時には休ませてやりたいし、食べたい時には食べさせてやりたい。そのために色々な種類の餌を混ぜて、ひとつ食べたらしっかり栄養バランスが取れるようにしているのが特徴です」。
その日の気温や天気、湿度、風向きに合わせて餌の内容も変えるなど、牛たちの健康管理には余念がない。
おいしさだけではなく想いを届ける牛乳
岸田牧場では、2001年から自社での牛乳販売を始めた。『牛乳便り』-岸田牧場で販売している牛乳の商品名だ。「牛乳を届けるだけではなく、牛屋の想いも一緒に届けたい。そして手紙が届くみたいに、この牛乳が届くのを待ってくれているお客様がいることをイメージして名付けました」。以降、牛乳便りは個人宅約500軒、飲食店約100軒から支持されている。
田中さんが考えるおいしい牛乳は、中身は濃いけれど濃さを感じさせない、飲み口がスッキリしている牛乳。牛乳特有の臭みがなく、岸田牧場の牛乳なら飲めるという顧客も多い。 「いつ冷蔵庫を開けてもこの牛乳がある。子供たちがこれを飲んで、自分が親になった時に自分の子供たちに飲ませてあげる。値段や数量限定にとらわれないブランドにしたい」と田中さんは語る。
黄金比に合わせたブレンド牛乳
牧場ではホルスタイン種を全体の9割、ジャージー種を1割の割合で飼育している。1種類の牛を飼う牧場が多い中で、田中さんが2種類を飼育している理由を聞いた。
「ホルスタイン9割に対してジャージー1割の牛乳が、自分の中での黄金比。牛乳をブレンドしている知り合いに言われて混ぜてみたら、1種類の牛乳よりうまかった。それ以降、自分の黄金比に従ってブレンド牛乳を作っているんです」。
これまで育ててきた牛たちのデータから、どんな乳質の牛乳ができるのかも少しずつ分かってきた。理想の味を作るために、必要な乳質を持つ牛を選び抜き、牛乳便りの旨みを絶やさないよう努力している。特に意識しているのは、フレーバー。牛乳そのものの香りや、喉を通る時の香りなど、大学で研究してもらいながら理想の味を追求し続けている。
自社販売の難しさとやりがい
牛乳便りを販売する前は、牛乳を工場に出荷していた。自社販売を行うようになってから、意識も大きく変わったという。「お客様からお金をもらって、うちの牛乳を評価してもらう。おいしいか、おいしくないか、その評価がダイレクトに来る。工場に牛乳を預けるだけだったらなんとも思わなかったところも、牛屋の仕事なんだと痛烈に感じました」。
同時に、おいしさだけに答えがあるわけでもない。自分がやっていることが正しいか、正しくないか。どういう方向を目指すか、何をゴールとするか。日々仕事をしながら、模索している。
新鮮さが売りの「チーズ便り」
自社製品として、牛乳便りの他に扱っているのがモッツァレラチーズだ。
朝絞った牛乳をその日のうちに、冷凍も塩水も一切使わずチーズにする。そのため、オーダーを受けてから作る新鮮さが特徴だ。作り手の想いも一緒に届けたいことから、牛乳便りと同じく「チーズ便り」と名付けた。現在はモッツァレラチーズのみだが、今後はフレッシュチーズも増やしていく予定だ。
大山こむぎプロジェクトの立て役者
実は、田中さんが作っているのは牛乳やチーズだけではない。小麦生産者の顔も併せ持つ。
2010年、大山山麓のエリアで地元産の小麦をつくろうというプロジェクトが始まった。その名も「大山こむぎプロジェクト」。牛乳便りを仕入れているパン屋の出井(いずい)さんが発端のプロジェクトだ。「地元産の小麦でパンをつくりたい。ただおいしいだけではなく、地元の小麦でできているという意味を生み出したかった」と出井さんは語る。
しかし、もともと小麦は乾燥を好む植物で、高温多湿の日本では育てにくい。山陰の風土では、11月に種を撒くには寒くて土が乾いておらず、刈り取りの6月には梅雨と重なってしまうため、地元農家の反応はいまいちだった。
そんなとき頭に浮かんだのが岸田牧場。もしも小麦の生産がうまくいかなくても、牛たちの飼料にできるのでは。田中さんは出井さんの話を聞き、「じゃあ遊びで作ってあげるよ」と小麦生産を引き受けた。
大山こむぎが日本を支える小麦になれば
始めは出井さんに卸すことだけを考えていた田中さん。「でも、石臼で擦って焼いてくれたパンが本当においしくて。これはみんなに食べさせなきゃいけないと思ったんです」。
岸田牧場から始まった地元産の小麦の栽培は徐々に広がっていった。現在、大山こむぎは年間約250トンの収穫量を誇り、鳥取県内の学校給食にも使用されるなど、県を巻き込むプロジェクトに発展したのだ。
地元のパン職人が鳥取県産の小麦を使うのが当たり前になる。「自分も大山こむぎを作りたい」という職人や農家が誰でも作れるようになる。
技術や知識を自分たちだけのものにせず、大山こむぎの文化を作りたいと決意し、その想いに共感する仲間は増えていった。「今では仲間もいるし、使ってくれるパン屋さんやレストランも増えた。大山こむぎの面積がどんどん増えて、周り中全部小麦畑になったんです」。いずれは日本を支える小麦になったら嬉しい、と先を見据えている。
「牛乳は岸田牧場」が当たり前になるように
牛乳もチーズも小麦も、一筋縄ではいかないものばかり。天候や牛たちの体調、スタッフの教育など、さまざまな要因に左右され、毎年同じクオリティのものを提供するのは容易ではない。それでも自分たちがやり続ける理由があるのだという。
「やっぱり答えが出ないところじゃないかなと。”ここをこうしたら、こうなる”ってわかってたら、多分おもしろくない。餌ひとつ、牧草ひとつを何回も変えてみて、こうなったらおいしくなるかなっていうことをずっと試行錯誤して、よりいいものを目指しているんです」と田中さん。
牛を育てて、牛乳を絞るところまでは誰にも負けない。その自負があるから品質にとことんこだわり、100点満点の牛乳を世の中に送り出すことに全力を注ぐ。だからこそ、飲食店や製菓店を営む人たちには、ぜひ岸田牧場の牛乳を使ってもらいたい、というのが田中さんの野望。
「お客さんが儲かれば自分も儲かると考えているので、誰かがお店を立ち上げたら『牛乳は岸田牧場』と真っ先に用命してもらえるようにという想いでずっと仕事をしています」。そんな唯一無二の牛乳を目指し、田中さんの挑戦は続く。