紙布という布の魅力「紙布作家 桜井貞子」/茨城県水戸市

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和紙から糸を作る。

紙布とは文字通り、「紙」で作られた「布」。和紙から糸を紡ぎ出して、その糸で織った布だ。和紙から糸を作るといっても、なかなか想像が難しい。そこで紙布作家の第一人者である桜井貞子さんのもとを訪ねて、目の前で実際に紙布を作ってもらった。

「紙布は、細い糸を作ることが大変難しいの。せっかくだから、一番難しい2ミリの糸をお見せしましょう。」 そう言って、桜井さんは4枚の和紙を屏風畳にして、2ミリ幅に切っていく。次に、和紙に水分を含ませてから、平たい石のうえで転がすように紙全体を揉んでいく。1本1本がちぎれないようにほぐしながら、さらにまた転がす。その作業を幾度も繰り返す。
「ほら、これが糸になっているの。」あっという間に和紙が糸に変身した。そして、指で一本一本をちぎり、縒りあわせて長い一本の糸を作る。この糸を糸車にかけて美しく縒り、絡まないようにカセという形にまとめて、完成だ。

紙布を可能にする和紙。

この紙布を作るには特殊な和紙が必要だった。桜井さんが「いい紙でないと、絶対に途中でダメになる」というように、楮100%、一流職人が薄く強く漉き上げた和紙でないと糸にすることはできない。桜井さんの要望に応えることができたのは同じ茨城県内の西ノ内和紙職人・菊池さんが漉く和紙だけだという。 「紙漉きのとき、簀桁(すげた)の上に絹を敷いて、絹の紗を漉いたきめ細かい和紙でなければダメ。」理想の紙布用和紙ができるまで、何度も何度も和紙を注文して切磋琢磨したのだという。
紙布作家は今では国内に数えるほどしかいないと言われている。桜井さん自身、そもそも、紙布の製造工程を復元するに至るまでの道のりが最大の苦労だった。

ゼロからの出発。

「私の夫が大変な協力者だった。だって、はじめに彼が白石紙布を復元しようって言ったんですよ。」 桜井さんは、今は亡くなられたご主人と二人で宮城県の“白石紙布”を見て、その優美さに感動し「これは残さなくていけない」と思い立ち、それ以来二人三脚で研究を進めた。 白石紙布は伊達藩に仕える武士が専門に作り、幕府に献上していた門外不出の工芸品。そのため技術を知る人はほとんどいない。先祖代々、白石紙布の伝統を継承してきた片倉家の故・片倉信光さんの協力も得て、残されているわずかな文献から紙布の作り方を導き出す必要があったのだ。 地道な努力の末、1年3ヶ月後にようやく、どうしても成功しなかった“紙を濡らす方法“を復元する。さらに試行錯誤を繰り返し、長い年月をかけて紙布の様々な織り方に挑戦したのだ。

紙布に宿る美しさ。

「これが極限」といって見せてくれたのは、縦糸が絹、横糸が紙布で織られた反物。すらりと美しく、奥ゆかしい白い紙布だった。 そして、もうひとつは縮緬(ちりめん)の反物。絹と紙布を合わせ、横糸に強く縒りをかけて織り上げる技術を復元させた。この紙布はまさに長年の熱意が込められたものに他ならなかった。
最後に紙布で仕立てたベストを試着させてもらった中田。ピシッとどこか身が引き締まって見える。紙布は紙の特性を残すため、夏には湿気を早く乾燥させ涼しく、冬には温かさを纏う。 こうしてまたひとつ日本の和紙の素晴らしさの出会い、さらに和紙への興味が深まった。

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紙布作家 桜井貞子
茨城県水戸市
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