良いお茶を追求し、茶葉の栽培から販売までを手がける「碧園 お茶の純平」

良いお茶を追求し、茶葉の栽培から販売までを手がける「碧園 お茶の純平」

愛知県の北部・豊田市にある「碧園 お茶の純平」は、“良い茶をより安くお客様に提供する”を社是として、茶葉の栽培から製茶、販売まで一貫し、茶業を営んでいる。1870年より続く、この老舗茶舗の五代目を務めるのは山内祥正さん。2003年の「全国茶品評会(静岡大会)」、翌年の「全国茶品評会(愛知大会)」で続けて農林水産大臣賞を受賞。高品質な茶栽培に尽力する山内さんは、飲料の選択肢が多様化する現代において、日々の生活の中で緑茶を嗜む喫茶文化の再定着を目指して邁進中だ。


明治3年から受け継がれてきた茶畑



愛知県豊田市といえば、あの大手自動車メーカーが鎮座する企業城下町だ。そのため製造業が盛んな印象があるが、実際には周囲は山々に囲まれ、自然豊かな土地。そんな豊田市で盛んな産業のひとつが茶業である。その起源は江戸時代といわれているが、茶園が増え、盛んになったのは明治から大正時代にかけてのことなのだとか。


もともと豊田市周辺は、温暖な気候と肥沃な土壌、豊かな水といった、製茶に適した環境的優位性があった。加えて現代産業が盛んになるにつれて人口が増加したことは同地域ならではの特徴。このふたつが、製茶業を発展させた大きなファクターだといえる。


屋号にもつく二代目の偉業



1870年に創業し、お茶の栽培から製茶、販売までを一貫して行う「碧園 お茶の純平」。一見ユニークなこの屋号は、同社の二代目・山内純平氏から名前を取っている。この山内純平氏、現在でも日本中で抹茶の原料となる「碾茶(てんちゃ)」の製造に使用されている「碾茶機」の原型といわれる「三河式碾茶機」を生み出した、業界では名の知れた人物。


碾茶とは先述の通り抹茶の原料で、粉末状にする前の葉の状態のことを指す。日本茶の中でも高級品に分類される玉露と同じように、遮光資材を被せた被覆栽培でじっくりと時間と手間をかけて育てるのが特徴。被覆栽培には、光を減らして茶葉の光合成を抑制することで、お茶の渋みのもとになるタンニンを減らし、味をまろやかにしたり、少ない日光量を最大限に受け止めるために葉が大きく広がり鮮やかで濃い緑色に育つなどのメリットがある。 一点、玉露との大きな違いは、製造の段階で「揉む」という工程を経ないことだ。玉露は茶葉を揉んで細胞を壊すことで味をしみ出しやすくするが、碾茶は石臼で粉末にすることが前提のため、挽きやすいように茶葉を揉まず、細胞を壊さないように加工する。


明治の頃まで碾茶の製造は手製で行われていたが、大正中期に起こった第一次世界大戦による労働力不足をカバーするため碾茶機の開発が急がれていた。当時、京都や静岡といったお茶の産地でも碾茶機が考案されたが、中でも初期の碾茶機と言われているのが純平氏が考案した三河式だ。この装置は長さ7メートル、幅1メートル、高さ2メートルほどのレンガ積みの乾燥室を設け、その底部に火炉(ボイラー)を置き、底部から50センチほどの高さに取り付けたレール上に蒸した茶葉をひろげ置いて手で押し進めて乾燥させるという単純な構造。しかし、手製時代は焙炉(ほいろ)という作業台で職人が手作業で茶葉の乾燥を行っていたため、火炉の温度も120℃くらいまでしか上がらなかったが、この装置の登場により180~200℃まで向上したため、手製の頃に比べて碾茶の品質は格段に良くなった。その上、職人がかかりっきりにならず製造も効率化され、機械化による技術の均一化で品質も安定した。これを周辺の同業者に伝え広めたことにより、豊田市の碾茶産業は一層発展していったというから純平氏の貢献は大きい。

その後、各地で碾茶機の改良が重ねられ、現在では茶葉を蒸す工程から、冷却、乾燥、葉と茎を分離する工程まで一連化して行えるまでになったが、基本的な構造は同氏が生み出した三河式の系譜を辿っている。



そんな偉大な二代目のスピリットを脈々と受け継ぐ同社。現在は純平氏のひ孫である山内祥正さんが五代目を務めている。


祥正さんが考える「良いお茶」とは?



二代目・山内純平氏が碾茶産業の近代化に大きく貢献した後、三代目・山内武義氏が栽培面積の拡張と茶販売の礎を作った。そして四代目・山内希男氏が全国に販路を広げ、五代目となる祥正さんはお茶の品評会で「農林水産大臣賞」「内閣総理大臣賞」を受賞するなど、高品質なお茶を自ら栽培、製造しつつ、茶文化を国内外に広めるべく躍進している。愛知県茶業者では初めてとなる「内閣総理大臣賞」受賞は、実直なお茶作りはもちろん、茶摘み体験や茶文化を楽しむ講座を開いたり、地域の人たちにお茶をふるまうなど、地域貢献活動が認められた結果だ。


そんな、お茶の発展に幅広く尽力する祥正さんがたどり着いた “良いお茶” の定義とは、茶葉を芽吹かせる“木”そのものの力がお茶に100%発揮されていることだという。「お茶の新芽が100点だとすると、その頂点からいかに減点させずに製茶するかが私たちの腕の見せ所。例えば、収穫してから時間が経ったトウモロコシに比べて朝穫れをすぐに食べたほうが甘いんですよ。それと同じように、茶葉にも鮮度があります。私たちの茶園では、摘んで2時間以内に製茶することが基本」と、祥正さんは自社のこだわりを明かしてくれた。


また同社の茶畑は、山間地から平地にかけて品種を変えて栽培している。気温の低い山間地では「おくみどり」など摘採時期が遅い晩生種を、平地では早生種を植え、摘採時期をできるだけ大きくずらせるよう工夫している。新芽が出るタイミングをずらすことで、限られた人員でもちょうどいい時期に茶摘みができるよう考慮されているのだ。



豊田市で作られるお茶は、茶葉本来の青々しい香りをそのまま楽しめるよう、火を極力入れないのが特徴だ。そのため生育環境がそのまま味に直結する。だからこそ、根をしっかりと土に這わせ、与えた肥料をすべて吸収して力強い味の茶葉が育つ環境作りも徹底している。


また同社では、手摘みで収穫する茶畑と機械摘みの茶畑を分けて管理している。手摘みの場合、1本の枝先から、まだ葉が開いていない芽の状態の「芯」と呼ばれる部分と、その下のまだ柔らかい2枚の葉を摘む「一芯二葉(いっしんによう)」が基本。まだ紫外線をあまり浴びていないため渋みのもととなるカテキンが生成されていない、甘みの強いところだけを摘むことができるため、機械摘みに比べておいしさが格段に増すが、コストがかかる分、すべてを手摘みにするわけにもいかない。味を重視するか、コストを重視するか。消費者のいずれのニーズにも対応できるよう作り分けている。


おいしいお茶は、手の感覚から生まれる



摘み取った茶葉は一旦蒸した後、揉みながら乾燥させていく。現在、同社では生産性などを踏まえ揉む工程に機械を使用しているが、工程の切り替え時など、重要な判断をするのは、やはり熟練の職人の経験だという。茶を握り、水分がどれくらい残っているのか、お茶のねじれ具合がどうか、などを手の感覚で確かめ、工程を進めていく。職人の「手」が入っていること。それが良いお茶を生み出すのだ。


<h3>毎年、一年生という心構え

祥正さんは、毎年「製茶業1年生」という心構えで仕事をしているのだとか。機械の操作設定や気温などを代々記録している日誌を引き継いではいるものの、同じ茶畑で、同じタイミングで製茶しても、一度として同じものは生まれない。自然が相手のお茶作りは数値化することが難しく、だからこそ狙い通りのお茶ができると疲れが吹き飛んでしまうほどうれしいのだそう。


うれしい理由は、良いものができたという自己満足ではなく、自信を持っておいしいと思える製品を市場に送り出すことができるから。根幹には常に、自分たちの作ったお茶を飲んだ消費者に心から喜んでもらいたい、という思いがある。

現在は六代目となる息子の雅弘さんも茶業に従事。どこにも負けないほどのお茶作りへの情熱と努力は時代を超え、次の世代にも脈々と受け継がれようとしている。


ACCESS

碧園 お茶の純平
愛知県豊田市吉原町屋敷畠38
TEL 0565-52-3119
URL https://hekien.jp/