全国でもトップクラスの椎茸生産量を誇る大分県。今や、スーパーなどの店頭にある椎茸の90%が人工栽培で安定的な収穫量を維持できる「菌床椎茸(きんしょうしいたけ)」とされる中、手間暇を惜しまず自然栽培で行う「原木椎茸(げんぼくしいたけ)」にこだわる「株式会社河合組」。その取り組みの背景と、椎茸栽培の未来にかける想いとは。
“大分県×椎茸”のルーツとその歴史
その歴史は今から約400年ほど前。大分県が「豊後の国」と呼ばれていた江戸時代に源兵衛と呼ばれる人物が、自然に倒れた木から発生した椎茸を発見したことから始まる。その製法を研究し、人工的に始めたことが今に受け継がれていることや、椎茸栽培には欠かすことのできないクヌギの木が大分県に豊富に生息しているという点も、同県が椎茸生産量の多い理由のひとつとされている。特に、干し椎茸の生産量は全国の約半数を占め、国内生産量1位。生産量のみならず、その品質の高さから全国の椎茸業者が出品する「全国乾椎茸品評会」では24年連続(2023年8月現在)となる団体優勝をしている。
そんな大分県の椎茸生産業者の中でも、品質の高い椎茸作りに力を注ぎ、県内外から高い評価を受けているのが、建設会社としての顔も持つ「株式会社河合組」だ。
建設会社が椎茸栽培を始めた背景とは
現在も建設業や産業廃棄物の処分業も営む同社。椎茸栽培に着手した背景には様々な理由があった。取締役会長の河合清さんは現在75歳。今から15年ほど前、定年をきっかけに椎茸作りを始めた。最初は趣味のひとつだったと当時を振り返る河合さんだが、生まれ育ったのは椎茸農家。椎茸生産者である両親のもとに育ち、その生き方をずっと傍で見てきた。自身で立ち上げた建設会社の仕事もあって少し遠回りをしてしまったが、自分を育ててくれた両親の椎茸への想いは絶やしてはいけないという気持ちから河合さんは一念発起し2008年に椎茸作りをスタート。やはり、椎茸農家の血が濃く流れているらしく、実際にやり始めるとなかなか奥が深い。しかし、のめり込めばのめり込むほど、趣味の領域ではやりきれないと感じていった。こうして、個人として取り組んできた椎茸作りも思いのほか生産規模が拡大したため、スタートから3年ほど経った頃、原木椎茸栽培に取り組む仲間と組合を作り、本格的に事業化。現在も取り組みを続けている生椎茸を京都市場へ出荷する事をはじめた。また設立当初は趣味の域だった干し椎茸も、それからわずか3年ほどで品評会でも入賞するようになった。建設業の性分か、椎茸を栽培するホダ場作りから収穫まで、どんな些細な事にも手を抜かず取り組み、その後も「全国乾椎茸品評会」で最高賞となる農林水産大臣賞を受賞するなど成長著しい、まさに遅咲きのルーキーだ。
原木栽培にこだわる理由
河合組が取り組む「原木栽培」は、実に手間と時間のかかる栽培法だ。樹皮の厚さや品質、生産量において、椎茸栽培に適しているクヌギの木を切り倒すことから始まり、実際に収穫するまで約2年間と長い時間を要する。要となるのは、伐採したクヌギの木に椎茸の元となる菌を植え込むとできる「ホダ木」。それを風通しの良い場所で、太陽の光を受けすぎないよう枯葉などで覆い約1年半ほど置く。適度な湿度を要する椎茸栽培において、直射日光は乾燥の原因ともなる最大の敵だ。また、適温(15〜25度)で栽培することが立派な椎茸を実らせるため、温度管理も大事な工程の一つとなるが、自然栽培で行われる原木栽培においてはかなり高い壁となる。主な管理法は、直射日光を避けるためホダ木を枝葉で覆い、周りの雑草を刈り取ることで風通しをすること。夏場の高温期には特に気を配るが、自然を相手にする上ではうまくいかないこともあるという。「良いホダ木が出来れば、良い椎茸が出来る」と河合さん。収穫を終えるまでは日夜、気候や温度に気を配り、自然界との戦いの連続だと話す。
また近年では地球温暖化の影響もあり、椎茸菌よりも強い雑菌の繁殖に悩まされることも多い。同じ山でも場所や環境により椎茸の出来が違うから、その時々で適した場所を変えながら試行錯誤の連続ではあるが、それもまた椎茸作りの面白さだと河合さんは笑顔を見せる。
このように自然の温度と湿度をコントロールし、最適な生育をさせなければならない完全無農薬の原木栽培。実に時間と手間暇のかかる生産方法だ。その方法は近年の気候変動により、夏場の高温対策も油断できない。気候の影響を受けるため、菌床椎茸のように年間を通して安定した出荷量は約束できないという課題もあるが、自然の中で育った原木椎茸はそれだけ希少価値が高く、抜群の味わいを生み出す。時間をかけた分だけ密度の高い身の詰まった椎茸が生まれ、真冬に採れる椎茸はまるで鮑のようだとも言われている。一方で室内で行われる空調栽培の「菌床椎茸」は、収穫まで約半年ほど。育てやすさと安定的な収穫量を維持できるため、私たちが普段スーパーなどで目にする椎茸は菌床椎茸が多い。食感がよく、味や香りも強くはないため苦手な人でも食べやすく、料理にも手軽に取り入れることができる。栽培方により違いはあるが原木椎茸の最大の魅力は、その味わいや歯応え、そして香りに現われる。口にするとその違いは歴然。肉厚で弾力のある椎茸は、調理法次第でどんな料理にも変化する。和食はもちろんイタリアンやフレンチなど、その可能性は無限大だ。
自然と共に育てる持続可能な循環型栽培
原木椎茸栽培を始めた当初から、河合さんにはひとつの信念があるという。その背景には、やはり生まれ育った環境にあった。
「今、クヌギの木があり椎茸を育てることが出来ているのは先代のおかげ。だからこそ自分たちも同じように次の世代へ繋げていきたい、そういう想いで今も取り組んでいる。」
椎茸栽培を始めた頃からその想いを胸に、まずは里山の環境整備から着手。建設会社ならではの強みを活かし、最先端の建設機械を使って木々を伐採していった。環境を整えるだけでなく、環境保護への取り組みにも余念はない。例えば、古くなったホダ木は廃棄せず破砕し、自社で堆肥化して再利用。竹とホダ木だけで作られる自然発酵の堆肥は、全てデータ管理され地域の農家が利用し、その堆肥で育った野菜は商品として出荷される。また山林を整備し堆肥化することは、猪などの動物による森林被害防止にも繋がっている。
この循環型栽培は、大分県内でも他では行われていない独自の栽培法だ。河合組が取り組む “すべてを自然界へ返す” という、この持続可能な循環型サイクル。令和2年には、椎茸の品質はもちろんこの里山整備に配慮した取り組みが、これからの椎茸生産者たちの未来を見据えた活動だと評価され、「第59回農林水産祭」において内閣総理大臣賞を受賞した。
椎茸文化の新たな100年への挑戦
大分県椎茸農協発足から100年以上続く大分の干し椎茸文化を、守り続けるだけではなく新たな100年を創りたいと河合さんは言う。今は名古屋や鹿児島、熊本にも生椎茸を出荷するほどネットワークを広げているが、生の状態はカビの発生の恐れもある。状態の良い椎茸を、どうすれば沢山の人へ届けられるかを試行錯誤し、生まれたのが「冷凍椎茸」という発想だった。調理の手間もあるのか、干し椎茸を使うことが少ない今の若者たちでも、冷凍なら解凍し簡単に調理できるという点に着目した。何より、椎茸そのものの旨みが格段に凝縮されているという。満を辞して誕生した冷凍椎茸は現在、東京有楽町にある大分県のアンテナショップ「坐来大分」でも提供されており、その評判は上々だ。今はまだ社内にある4坪ほどの冷凍庫で作られているが、今年から来年にかけて増設予定だという。
異業種から参入した人間だからこそ気付いた冷凍という手法。椎茸栽培だけでは厳しいとされる農家さんたちの経営面も、冷凍という手法を用いることで様々なリスク軽減に繋がるのではないかという想いもあると河合さんは言う。今の時代を生きる、若い人たちが何を求め必要としているのか。年代の違う人たちの意見を積極的に取り入れることが、大分県の椎茸文化の次の100年へと繋がっている。
現在、大分県における椎茸生産者の平均年齢は75歳と言われている。ホダ場(椎茸畑)づくりから始まり、植菌や収穫まで重労働となる農作業も高齢化により生産量の減少が懸念されるが河合組の挑戦は終わらない。新しい椎茸の在り方を常に考え、新たなチャレンジを重ねている。同時に、椎茸産業の後継者となる若い研修生を積極的に受け入れるなど、人員体制も整えながら常に未来を見据えている。