福井県の県庁所在地である福井市の街中に、1520年創業の「國嶋清平商店」がある。現在では麹をメインに、味噌や塩麹、醤油麹、甘酒などの発酵食品を製造。500年もの間、地元の食文化を支えてきた老舗は、現代において、どのようなビジョンを見据えているのだろうか。
江戸から現在まで続く麹づくり
「國嶋清平商店」は福井市街地の中心部、順化地区にある。片町と呼ばれる繁華街が隣接し、すぐ近くには足羽川が流れる、そんな賑やかな場所。
現代において同店のように麹を主に扱う「麹屋」は希少だ。あまり馴染みがないかもしれないが、麹屋とは味噌や甘酒の仕込み用に使う麹を作り販売する店のことで、昭和初期頃まではどの地域にも麹屋があった。かつての日本では味噌などの発酵食品を各家庭で手作りするのが当たり前であり、農家が米や麦を麹屋に持ち込んで麹にしてもらう「賃麹(ちんこうじ)」も盛んに行われていた。しかし、時代と共に家庭で麹を使う機会は減り、麹屋も減少。そうした中で國嶋清平商店は麹のほかに味噌などを製造し、暖簾を守り続けてきた。
ちなみに、麹は米や麦、豆などの穀物を蒸したものに麹菌を付着させて発酵させて作る。麹菌には黄麹菌、白麹菌、黒麹菌などがあり、同店では地元・福井県産の米を蒸して白麹菌を付け、発酵・熟成させて麹を作っている。スーパーなどで多く流通している乾燥麹のように急激に機械乾燥させず昔ながらの製法で自然乾燥させた同店の麹は、「生の米麹」と呼ばれ、現在でも地域の人たちから重宝されている。
福井の歴史との深い関わり
國嶋清平商店のある順化地区は福井城址から近く、北ノ庄城を築いた戦国武将・柴田勝家や、福井藩初代藩主で福井城を築いた結城秀康ら歴史に名を残す人物が治めた城下町として栄えた地域。じつは、同店も福井を拠点とした朝倉家と関わりがあるのだという。
「戦国大名の朝倉氏の家臣だった國嶋家の家臣が、朝倉氏滅亡後に商人としてこの地に移り住み、味噌や醤油の製造を始めたことがこの店の起源です」と話す店主の中林久慈さんは國嶋家の18代目にあたる。中林さんによると、同店は幕末の頃には大きな醤油蔵でありながら、両替商も兼ねていた。当主は家柄や功労により名字を名乗り、太刀を腰に差すことができる「名字帯刀」を許されていたほどの人物で、同氏のもとには福井藩士の橋本左内や儒学者の梅田雲浜なども頻繁に訪れたというから、相当な豪商だったのだろう。
しかし、1945年の福井空襲、1948年の福井地震で店が焼失。中林さんの祖父であり、現在の屋号にもなっている國嶋清平氏が規模を縮小して店を再建し、麹と味噌に絞った製造販売を行っていった。
郷里に戻り、店の歴史を守る
1947年、福井で生まれた中林さんは大学進学で県外に出て、大阪の大手ゼネコンに入社した。父は早くに亡くなり、中林さんの母と叔母が家業を切り盛りしていたが、高齢のため店の将来を考えると不安を拭うことができず、福井に戻って店を継ぐべきか、このまま大阪での仕事を続けるべきか、ずいぶん葛藤したという。
そこで、妻の紀子さんと話し合い、まず紀子さんが当時小学生だった二人の息子とともに福井に移住。店を手伝ってくれることとなった。中林さんも週末などを利用して福井に通いながら、十数年にわたって大阪での仕事を続けた。そして中林さんが定年を迎えた2009年、「店の歴史を絶やしてはならない」と福井にUターンして跡を継いだ。
伝統的な製法で作る生麹
中林さんは大阪でのサラリーマン生活から一転して、18代目として麹づくりを担うことになった。素人同然の中林さんを救ったのは「幼い頃から間近で見てきた」という伝統的な製法での生麹づくり。
近年、麹は麹発酵機で作る「機械麹」が主流になっており、國嶋清平商店のように江戸時代から続く製法で、手作りにこだわる、というケースは稀だ。伝統的な製法で作った麹は、機械を使って急速乾燥などをさせず、自然にじっくりと乾燥させるため、まわりにモフモフとした菌糸がびっしりと付き、それが元となり甘みを生み出す力が強くなる。だからこそ手間が掛かってもこの製法をやめようとは思わないのだという。
中林さんは、麹蓋(こうじぶた)と呼ばれる底の浅い小型の木箱に蒸した米を入れて麹菌を付け、麹室(こうじむろ)という高温多湿な専門の部屋で丸2日をかけて麹を仕込む。麹室を置く場所によって温度や湿度が若干異なるため、麹蓋を定期的に移動させることで、蒸した米が麹になるまでの条件をできるだけ均一になるように調整する。麹蓋の底が浅く、小型なのはその移動のために持ち運びしやすくするためだ。
中林さんが手間を惜しまず丁寧に作った生麹の賞味期限は寒い時期で10日間ほど。乾燥麹に比べて日持ちはしないが、「生麹は菌が生きているので発酵パワーが強く、風味も良い」という。
料理教室で麹のレシピとともに魅力を発信
麹の魅力を地域で暮らす人たちにもっと知ってもらいたいと考えた中林さんは、2009年、店舗の2階をモダンな内装にリノベーションし、妻の紀子さんが「麹を使ったうまいもん教室」を始めた。
その教室では、漬物や味噌作りをはじめ、かぶら寿司、大根とニシンの麹漬け、味噌を使ったシフォンケーキなど、自社の麹を使い、伝統料理から一風変わったスイーツまで様々な料理を発信してきた。特に味噌の仕込みに適しているとされる冬場に、麹の需要はグンと高まる。その時期に先駆けて、紀子さんは毎日のように料理教室を開催し、麹のファンを増やしていった。また、ひとりでも多くの人に麹の魅力を知ってもらうため、料理教室は材料費のみで参加できるようにしている。
発酵ブームが転機に
数人の生徒を相手に地道に続けていた麹の料理教室だったが、2011年に「塩麹」が一大ブームになったことで一気に注目度が増した。その後も「甘酒」が美容や健康に良い“飲む点滴”などと呼ばれて人気が高まるなど麹の人気、需要は高まり続け、教室は開催するたびに多くの生徒たちで賑わうようになった。
中林さん夫妻は、「ピーマン味噌」や「なす辛子漬」などといった麹や甘酒を使った商品を開発。
「ピーマン味噌」は麹に醤油を加えて一晩寝かせた中に細かく刻んだピーマンと青唐辛子を入れ、弱火でじっくり煮て作る。「なす辛子漬け」は代々國嶋家に伝わる料理で、なすを漬ける際に甘酒を加えてアレンジ。ピリッとした辛味に、まろやかな後味を加えている。
500年の歴史を観光資源として生かす
美容や健康への関心が高まっている現代、麹に対する関心も当人たちの予想を超えるほどだ。それに注目した福井県観光連盟が、2024年春の北陸新幹線延伸に向けて発酵食を観光の魅力のひとつにしようと、2022年に「福井発酵ジェラート」という企画をスタートさせた。中林さんはそれに賛同し、県内の有名ジェラート専門店の協力を得て、自社の甘酒をベースにしたジェラートを開発。一躍、ヒット商品となった。
それをきっかけに発酵という伝統的な食文化が見直され、観光資源のひとつになっていることを実感した中林さん。創業500年を超える同店の長い歴史も観光に生かそうと考えている。
なにせ店は風情ある伝統的な造りだし、床には貴重な笏台石(しゃくだにいし)が一面に敷き詰められているのだから、そのような考えに至るのも一理ある。ゆくゆくは、この歴史的な建物を保護していくだけではなく、店の近くには自身が所蔵する歴史的な品を展示した多目的スペースもつくりたいのだそう。創業の頃から受け継ぐ歴史的価値を現代、そして未来に伝える拠点としての価値を見出しつつ、地元の老舗麹屋として福井の発酵文化を牽引するため、日々邁進している。