前衛芸術から生まれた鈴木さんの作品
鈴木秀昭さんの作る陶芸作品の特徴は、細密画のようにほどこされた緻密な紋様。落ち着いた色と、金のようにきらびやかな色が融合しあった色彩に目を奪われる。その作品は国内のみならず、海外の陶芸展でも高い評価を受けている。陶芸界、芸術界で一目置かれるアーティストだ。
だが鈴木さんは、陶芸界では変わり種といえるかもしれない。陶芸に囲まれて育ったわけでもなく、大学はアメリカへ留学、社会学を学んだ。その間ずっと陶芸には無関心だった。卒業後、どんな職業に就こうかと迷ったとき、彫刻家の兄に勧められて陶芸家になることを決めた。
ただし、決めただけで知識はゼロ。そこで、いろいろな人に、どうすれば陶芸家になれるかと聞いて回ったそうだ。1991年から、石川県の九谷焼技術研究所で陶芸を学んだが、これも「学校に受かったから、たまたま九谷焼になったんですね」と本人が笑うように、どうしても九谷焼をという意志はなかったそうだ。そこで焼物を学ぶうちに、前衛的な陶芸に興味を持つようになり、アメリカの芸術大学の大学院へ進み、アートとしての陶芸を学んだ。
アートとしての陶芸作品をつくる
けれど、生活のためには、金を稼がなくてはいけない。そのために器も焼いたが、使えるだけではなく、「おもしろいもの」「オリジナリティのあるもの」と考え、奇抜ともいえるフォルムや柄の作品を作った。「やっぱり全然売れなかったんです」と鈴木さんは当時のことを振り返る。
中田は、自身の財団の活動のひとつとして、日本の伝統工芸を支援するプロジェクトを立ち上げ、工芸作家と様々なジャンルのアーティストとのコラボレーションをプロデュースをしたことがある。その話を聞いた鈴木さんは、「作家」の側からの意見としてこう言った。
「作り手にとって刺激はすごく重要ですよね。コラボもひとつの刺激。でも作り手はこもってやる人が多いから、なかなかそういう機会が作れないんです。だから、外から中田さんみたいな人が促進してくれるといいなと思います」
鈴木さんの作品を見ながら、話に花を咲かせたあと、中田は絵付けをさせてもらった。
「自由に描けというのが、一番難しいんですよね」と中田が筆を止めていると、「いやいや、こうやってね」といって、鈴木さんが筆を走らせる。それを見て中田が皿に絵を描き出す。なごやかな雰囲気のなか、小さなコラボが生まれた。