山と海、洞爺湖ブルーとも称される美しい自然に育まれた大地で育つ希少な財⽥(たからだ)米。北海道蘭越町が主催するお米の食味日本一を決める米-1(こめワン)でグランプリを受賞し、日本一の称号をも手にしたブランド米である。丹精込めた粒ぞろいのお米はモチモチとした甘みが人気の逸品だ。財⽥米の作り手である「宮内農園」5代目、佐々木哲三さんを訪ねた。
温暖な気候と清い水、豊かな土壌に育まれたお米
北海道南西部にあり、湖と有珠山(うすざん)、そして噴火湾である内浦湾(うちうらわん)に囲まれる洞爺湖町。寒さの厳しい北海道の中でも比較的温暖な気候で知られ、根菜や葉物、フルーツなどを生産する農業・畜産業がさかんな町だ。また青く美しい湖面が印象的な洞爺湖は、町が誇る景勝地の1つ。約11万年前の巨大な噴火により誕生した洞爺湖は、国内で3番目の大きさとなるカルデラ湖として知られている。
雄大な自然に加え、札幌から車で約2時間、新千歳空港から約1時間30分という交通の便の良さもあり年間を通じて250万人もの人が洞爺湖町を訪れる。
多彩な農産物が作られる洞爺湖町において、限られた地域で作られるお米がある。香川県三野郡財田(さいた)村からの入植者によって拓かれた財田(たからだ)地区の「財田米(たからだまい)」だ。
財田と周辺の川東を含めたエリア全体での作付面積は約42ヘクタール(東京ドーム約9個分)と小さく、収量も限定されている。希少価値が高いゆえ、「まぼろしのお米」とも呼ばれることもあるほどだ。
「旭川のほうでは、1軒の農家さんで50町歩(約50ヘクタール)作っているんですよ。ですから収量としては道内でも少ないとは思います。ただ、お米の質には自信があります」と話すのは、財田地区で130年続く米農家を営む宮内農園の佐々木哲三さん。
「ここは北東の山地から絶えず水が流れてきた結果、細かい土砂が運ばれて堆積した扇状地です。水はけが良く、日当たりもいい。さらに必要な栄養分を自然がちょうど良く調整してくれる、美味しいお米がとれる条件がそろっているんです」
山から勢いよく流れた水が、なだらかな平地に至るまでにゆっくりとした流れとなり、粒の大きい土砂がとどまると水はけのいい扇状地となる。もともとは川底だったという財田の地下30メートルのところには古からの肥沃な沖積土壌が眠る。この土壌は米の美味しさの源であり、山に囲まれる温暖な気候、清流・壮瞥川(そうべつがわ)…計算されたようにそろった自然の恵みがお米へと注がれている。
「米-1グランプリ」で日本一に輝く
「土」「水」「気候」と米作りに適した三つの条件を満たす財田地域。しかし佐々木さんによれば、利点である「水はけの良さ」は逆に水の管理を難しくしている面もあるという。「砂地で⽯が下にあることが、⽔はけを良くしている要因といえます。つまり⽔を⼊れても、2⽇もすると全部抜けてしまうんです。だからいつも⽔を流し続けなければならなくなる」
常時冷たい⽔を流すと、稲は育たなくなってしまうと話す。「一般的な水田のように川から直接水を引くのではなく、⽥んぼから田んぼへと⽔を通すことでタイムラグを作り、⽔を温めてまた下の田んぼに落としていく方法を取るのが財田ならではのやり方」と佐々木さん。遠くから見ると、田んぼに段差がある「棚田」のような風景が広がる。
加えてお米の味にはメリットの大きい「水はけの良さ」は、田んぼそのものを作る苦労にもつながっているのだという。
「田んぼそれぞれで、場所によって水の減り方もまったく違ってくるんです。水持ちのいい田んぼもあれば、すごく水が減ってしまう田んぼもある。水の量に合わせて肥料の量の変えていかないとよいお米は育たないんです」
自然がつくった土壌は、セオリー通りにはいかない。肥料の配合の調整や日々生い茂る雑草を一つひとつ抜いて、やっと満足のいく田んぼができるのだと佐々木さんは語る。「腕2割、天候8割ってよく言いますよね。天気にはどうにも、太刀打ちできませんから」
希少価値の高いお米づくりのために、財田の地形や土壌、気候に合わせながら日々最適解を探し、汗をかいている。そんな思いが込められた佐々木さんのお米の味は評判となり、2018(平成30)年の第8回「米-1グランプリ」では大賞のグランプリ受賞をはじめ、国内屈指の米どころとして知られる山形県庄内町が主催する2019(平成31)年の第13回「あなたが選ぶ日本一おいしい米コンテスト」優良金賞を受賞するなど、「財田米」の知名度向上を実現した。
北海道米を変えた!「ゆめぴりか」「ななつぼし」「ふっくりんこ」
「北海道のお米は「美味しい」と全国的に認められた意味は大きい、と強調する佐々木さん。なぜなら北海道のお米は、長らく「やっかいどう(厄介道)米」という不名誉な地位に甘んじてきたからだという。「道内の米は食べても美味しくないといわれ続けてきました。また手がける品種も少なかったんです」
海産物、農産物、畜産物どれも有数の生産地であり、食材の宝庫として知られる北海道は、広大で広い大地を有する。厳しい寒さはいうまでもなく、地域によって気象条件もバラバラだ。安定した品質かつ均一の良質なお米を作るのには時間がかかった。
「北海道のお米の歴史は、品種改良にあると言ってもいいと思います。農業試験場の方々が北海道の気候を加味し、春先低い水温に耐え、夏場の低い気温でも育つお米を時間をかけて探し出した。なおかつ味にこだわった稲の品種をつくるため時間をかけて努力されてきたんです。その成果で私たちが道内で美味しいお米を作れていると感じています」
佐々木さんがいうように、道内の上川農業試験場ではお米の粘りと硬さのバランスに関係するデンプン質のアミロースやタンパク質などの成分の分析を根気よく続け、北海道のお米のイメージを変える転機となる「きらら397」を開発。「『きらら397』が出てきてから変わったんじゃないのかな。で、その後の『ななつぼし』、道南の品種であまり流通していない『ふっくりんこ』、CMで有名になった『ゆめぴりか』へと続き、北海道の米のイメージを覆したのではないでしょうか。これは地球にとっては良くない兆候かも知れませんが、温暖化の影響で北海道でもお米が作りやすくなったことも関係していると感じています」
財田地域では「ゆめぴりか」「ななつぼし」「ふっくりんこ」の3品種を同じくらいの比率で作っている農家が多いという。佐々木さんが一番美味しいと感じるのは「ゆめぴりか」だそうだ。
「財田米はどのお米も美味しいと自信を持っていますが、群を抜いてモチモチしているのはでんぷんの分子であるアミロースが低い品種『ゆめぴりか』ですね。色が薄くて見た目もきれいですし、冷めても美味しい。おにぎりにしても評判がいいですよ」
北海道南部・函館周辺のみで作られていた「ふっくりんこ」も甘くて粘りが強く、粒が大きい品種で、収量を増やす意味でも今後はチャレンジしていきたい品種だと佐々木さんは話す。
「86になるうちの父が言うんです、『米作りは毎年1年⽣だ』って。80年やっているけれど、同じやり方が通用する年は1回もないと」そうお⽶作りの難しさを語る佐々木さん。
「毎日毎日が勉強で、10年経ちますけど同じ年は本当に1回もないです。今年いいできだなって思って刈ってみたら、何か違う…ってことも何度もあります。それが面白いし、日々田んぼと向き合って肌で学ぶことなのかと思っていますね。」
お米だけではない。名店が絶賛するとうもろこし「恵味ゴールド」
宮内農園ではお米の他にとうもろこしも生産されている。品種は洞爺湖周辺で主力品種として栽培されている「恵味(めぐみ)ゴールド」。果皮がやわらかく甘みが強いのが特徴で、鮮やかな黄色の粒皮はゆでた時にしわしわになりにくく、見た目も美しい。
宮内農園のとうもろこしはとりわけ品質が高いと評判で、2008年開催の「G8洞爺湖サミット」の会場としても知られる「ザ・ウィンザーホテル洞爺」や一流料亭「京都嵐山吉兆」、ミシュラン星付きレストランなど関西を中心に様々な名店で提供されている。
「とうもろこしは寒暖差で糖度が増します。夏場、日中の気温は30℃くらいまで上がりますが、夜には15℃までぐっと下がる。そうすると糖度が上がるんですよね。お米ももしかしたらそうなのかな、と感じていて。収穫後に一度冷えることで糖度が上がって味もしまり、おいしくなるのではないかと考えています」
香川から洞爺湖へ130年を超える開拓の歴史
宮内農園は佐々木さんで5代目となる歴史ある農家だ。佐々木さんの祖先である初代が1887(明治20)年に四国、香川県旧丸亀藩より移住し、洞爺開拓という形で開墾に着手したのがきっかけ、と佐々木さん。「入植して今年で137年になります。その頃からの入植者で農業に携わっているのは、うちだけになりましたね」と語る。
佐々木さんが5代目を継いでからは10年目で、以前はサラリーマンとして働いていたという。サラリーマン生活は心地良く「定年まではずっといれるだろうな、と思っていました」と穏やかな口調で続ける。
「ですが、年齢を重ねてくると先が予測できてしまって。もっとワクワクしたいなと。農家って未知の世界で心が沸き立つものを感じました。実はここは妻の実家で跡継ぎを探してもいました。この代で潰してしまうのも勿体ないなという思いもあり、じゃあ⾏ってみようかと」。
しかし農家で育った奥さんは「無理だからやめてと言ったんです」と当時を振り返る。やはり農業は厳しく、大変だと幼い頃から家族を見て感じていたためだ。しかし今は夫の選択をありがたく感じているとも話す。
「お米を買ったお客さんに、美味しいといってもらえるのが本当にうれしくて」と奥さんはいう。
佐々木さんも「同感です。私もお客さんの言葉が本当に励みになっているんですよ」と言葉をつなぐ。
財⽥⽶ブランドの魅力を次世代へ伝える
財田の土地や気候、自然を含めた田んぼに向き合いながら、美味しい米作りに取り組む佐々木さんの心配は、日本人がお米を食べなくなっていることだという。
「海外からの輸入が止められたら、⽇本って⾷べる物がなくなるような気がしています。考えてみてください、お⽶って同じ土地で翌年も同じものを作れるんです。麦などと違って場所を変えなくていい。これは⽇本に適した作物だからこそだと思うんですよね。美味しいお米をもっともっと作って、輸入食材に頼らないようにしたい。皆さんにたくさんお⽶を⾷べてもらいたい。財田米を後の人たちに残していきたいんです」
「財⽥⽶ブランド協議会」を立ち上げ、14⼾の農家が協力し、財⽥米の素晴らしさを北海道内外にPRしていく取り組みをスタートさせている。
「例えばシールやパンフレットを作り、イベントにも積極的に参加しています。こういった取り組みを見たり聞いたりした若い⽅たちが、財⽥⽶に興味を持ってくれたら。そしてできれば、お米作りをやりたいなと思ってくれたらこんなに嬉しいことはありません」
新規就農者を増やすためには、初期コストなど解決すべき課題も少なくない。農業にまつわる問題についても知恵を出し合い、財田のお米を育むこの景⾊、⽥園風景をずっと残してもらえるよう力を尽くしていきたいと力強く話す佐々木さん。はるばる香川から渡ってきた先人から受け継いだ、財田の「宝(たから)」を未来の日本へ引き継ぐべく力を注ぎ続ける。