関西の酒どころというと京都の伏見や神戸の灘が有名だが、じつは滋賀県にも、個性豊かでありながら質の高い酒を造る酒蔵が非常に多い。中でも強い存在感で日本酒ファンの心をつかんでいる蔵のひとつが、東海道五十三次の宿場町・水口(みなくち)にある「美冨久(みふく)酒造」だ。
知られざる日本酒王国・滋賀
じつは滋賀県は、知る人ぞ知る“日本酒王国”である。
周囲を高い山々に囲まれ、豊富な伏流水に恵まれているうえ、ブランド米・近江米の産地である。酒造りに必要な、きれいな水とおいしい米がそろっているのだ。
また、昔から交通の要所であったこともポイントだ。東海道、中山道、若狭街道など、県内には主要な街道がいくつも走り、旅人をもてなすための酒が必要とされていた。そのため、古い歴史を持つ蔵が少なくない。
現在、滋賀県内にある約30の酒蔵は、琵琶湖を囲むように点在し、各蔵がタイプの違った酒造りを行っている。「滋賀県の酒蔵は、どこも個性が強いですね。県の真ん中に琵琶湖があって蔵どうしの行き来がしにくかった分、独自に発展してきた結果かもしれませんね」と美冨久酒造4代目社長の藤居範行さんは言う。
創業105年、東海道沿いの蔵
そんな個性豊かな滋賀の酒蔵の中でも攻めた酒造りで異彩を放つ蔵のひとつが、美冨久酒造である。
創業は1917年(大正6年)。琵琶湖の東側に位置する愛荘町(あいしょうちょう)の酒蔵「藤居本家」の三男に生まれた創業者が分家して、滋賀県甲賀市水口町(みなくちちょう)の東海道沿いに蔵を構えた。
名前に「水」とつく通り、水口町はおいしい水に恵まれた町だ。町の東にそびえる鈴鹿山脈からの伏流水を使った酒造りがさかんで、5軒の蔵が水口町に集まっている。
そんな水口町で美冨久酒造は、地元の契約農家が育てた酒米を使って「米のうまみ」にこだわった酒を造り続けてきた。
美冨久酒造のツートップ、山廃仕込みと吟醸仕込み
美冨久酒造の酒には、自家井戸から汲み上げた、鈴鹿山系を源流とする滋賀県の一級河川・野洲(やす)川の伏流水が使われている。適度なミネラル分を含んだ軟水の仕込み水は、くせがなく、すっきりとしたおいしさだ。
その水で醸した酒の中でも特に高い評価を集めているのが、山廃(やまはい)仕込みの酒と吟醸仕込みの酒。美冨久酒造の二本柱だ。
創業以来守り続けてきた「山廃仕込み」
山廃仕込みとは、蔵に棲みついている天然の乳酸菌を取り込み、日本酒の土台となる酒母(しゅぼ)を育てる昔ながらの天然醸造法だ。
通常の仕込みより3倍ほどの日数がかかり、自然を相手にする分繊細な温度管理も求められるが、一般的な日本酒に比べ、より濃厚で酸味が強く、幅と奥行きのあるふくよかな味わいが実現できる。そのため美冨久酒造では、創業以来、山廃仕込みの伝統を守り続けてきた。
美冨久酒造の“山廃”の酒は、いずれも個性がはっきりしていながらも懐が広く、食中酒として優れた酒が多い。また、熱燗にも向いていて、「全国燗酒コンテスト」で金賞や最高金賞を受賞している。
国内外で数々の受賞歴を誇る「吟醸仕込み」
美冨久酒造のもうひとつの柱は、現代の酒造技術を生かした吟醸仕込みだ。
山廃仕込みでは自然界の乳酸菌を育てて酒母を仕込むのに対し、吟醸仕込みでは、人工の乳酸を投入して酒母を仕込む「速醸酛(そくじょうもと)」という製法が用いられている。
速醸酛の主なメリットは、仕込み時間の短縮と華やかな香りが実現できることだ。
美冨久酒造の吟醸仕込みの酒も、山廃仕込みの酒と同様、米の風味が際立っている。フルーティーで華やかな吟醸香の後に口の中に広がる米の甘み。山廃の酒とはまた違ったかたちで「米のうまみ」が表現されている。
そのおいしさは国内外の大会で高く評価され、「IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)」や「ロンドンSAKEチャレンジ」、「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」などでも金賞、ゴールドメダルを手にしてきた。大手航空会社の国際線ファーストクラス機内ドリンクとして採用された純米大吟醸酒もある。
そうした吟醸酒の中でも、特に藤居さんにとって思い入れが強く、いまや美冨久酒造の代名詞となりつつあるブランドが「三連星(さんれんせい)」だ。続いては、その誕生秘話を紹介したい。
自分が手がけたブランドで勝負したい
藤居さんは大学卒業後、岐阜県内の酒蔵で修業を積んだのち、2005年から生家である美冨久酒造に戻り、酒造りに取り組んできた。
全国への出張販売にも力を入れていくなかで、藤居さんは次第に「自分が手がけたブランドで勝負したい」と思うようになる。
せっかくなら、従来の“美冨久の酒”とは違った酒を造りたい。そこで、ふくよかな味わいの山廃仕込みと正反対のタイプである、キレ味の良い華やかさのある吟醸系を自らのテーマとした。
若手の蔵人たちと生み出した「三連星」
そして2007年に誕生したのが、藤居さんと若手の蔵人らの3人が試行錯誤の末に生み出した「三連星」だ。いまや代表銘柄の一つに成長し、美冨久酒造の名を全国に知らしめた酒といえるだろう。 三連星には「渡船(わたりぶね)六号」「山田錦」「吟吹雪(ぎんふぶき)」といった3世代の酒米を使用し、渡船六号では純米大吟醸酒、山田錦では純米吟醸酒、吟吹雪では純米酒と3種類の酒をつくっている。そして、各種類の酒に対して「定番」「特別限定」「季節限定」の3パターンを用意した。3人のつくり手、3世代の酒米、3種類の酒、3つのテーマ。それぞれの“3”が連なり、星のように輝けるように。「三連星」というネーミングには、そんな願いが込められている。
三連星はフレッシュさにこだわっているため、特定の店にしか卸さない限定流通酒となっている。とりわけ火入れの方法は試行錯誤を重ね、「三連星 純米吟醸 山田錦」ではプレートヒーターを使い、火入れの後に急冷してフレッシュさを閉じ込めることに成功。「生酒よりもフレッシュな味わい」を実現したという。
「番外編」で試験醸造にも果敢に取り組む
三連星には「番外編シリーズ」も存在し、そのシリーズでは普段使用していない酒米や酵母を使うなど、年ごとにテーマを設けて3種類の酒を試験醸造している。そこで得た結果は今後の酒づくりに生かされている。
理想の味を求めて試行錯誤した分、三連星は「味が完成されるまでに時間のかかった酒だった」と藤居さんは話す。しかし、デビュー15周年を迎えた2022年現在、三連星の純米酒は「美冨久酒造を知るための最初の一本として薦めたい」と推す酒にまで成長した。
もっと“飲みやすい酒”を。引き出しを増やす挑戦は続く
みずからの手で蔵の代名詞となるブランドをつくり上げたその後も、藤居さんらは新たな挑戦を繰り返しながら、引き出しを増やしている。
2021年夏には、新たなファン層に向けた酒「しっぽ」がデビュー。瓶内二次発酵スパークリング清酒「しっぽ Mifuku スパークリング」は、グラスを傾けるとシャンパンを思わせる香りが立ち、プチプチとはじける軽快な口当たりが楽しい。ラベルデザインもあいまって、「日本酒」と聞くと構えてしまう層も、思わず手に取りたくなるような親しみやすさがある。
「生酛(きもと)造り」の酒で見つけた新たな可能性
さらに2022年春には、生酛造りの酒「三連星 生酛純米 二黒土星」がデビュー。
生酛造りは、自然界の菌を取り込みながら酒母を仕込むところは山廃仕込みと共通しているが、乳酸菌を育てる際に、山廃仕込みでは省略されている米や米麹(こめこうじ)をすりつぶす作業がさらに加わる。
実際にやってみて、生酛造りの酒には、山廃の酒が持つ奥ゆかしい味わいと、吟醸系の酒のすっきりとした華やかさの両方が備わっているという発見があった。従来の「二本柱」に新たな柱が加わった。
「もちろん、山廃の酒をはじめ、美冨久のスタンダードはこれからも大切に受け継いでいきます。それと同時に新たな挑戦も続け、すそ野を広げたい。そうすれば日本酒の魅力は国境を越えて、もっと多くの人に届くと思います」
これからも“開かれた蔵”であり続ける
試験醸造も含め年間20種類以上の酒をつくり続ける一方で、藤居さんは地域に開かれた蔵づくりにも取り組んできた。
4代目社長に就任した2014年には蔵に直売所を併設。月に1度、蔵でしか手に入らない旬の酒をタンクから直詰めする量り売りを始めた。通常は出回らない特別な酒が登場することもあり、県内外からファンが買いに訪れる人気の催しだ。
さらに2021年9月には、酒蔵の一部を改装してカフェ「薫蔵~KAGURA~」をオープン。日本酒ファンのすそ野を広げるためのアイデアは止まらない。
次はここから何が生まれるのか―。個性派の蔵がひしめく滋賀県の中でも力強い輝きを放つ“星”に、そんな期待感を抱かずにはいられない。