土が変われば酒の味も変わる 土地の個性を日本酒で表現する「松瀬酒造」の挑戦/滋賀県竜王町

日本酒の主な原料は、米と水。その土地の気候や土に含まれる成分の違いが米の味、ひいては酒の味に表れることは想像に難くないが、粘土質、砂地などといった土壌の違いまでダイレクトに反映させたとしたら、どんな酒ができるだろう。育った田んぼによって変わる米の個性に着目し、「この土地らしい酒づくり」を目指す「松瀬酒造」を訪ねた。

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江戸末期創業の老舗酒蔵

松瀬酒造がある竜王町は、琵琶湖とその東に連なる鈴鹿山系の間に位置する。琵琶湖を中心に四方を山々に囲まれた滋賀県は、実は隠れた米どころであり、30以上の酒蔵が点在する古くからの酒どころでもある。

松瀬酒造の歴史は、江戸時代にまで遡る。1600年代中期から酒造業に携わるが、幕末の混乱で一時的に閉鎖。以降は1860年(万延元年)を創業年として、厳選した酒米地下120メートルから汲み上げた仕込み水で、自然の恵みを活かした酒を醸し続けている。

近年では、全国新酒鑑評会で3年連続金賞を受賞、JAL国際線ビジネスクラス搭載酒に選ばれるなど、国内外で高く評価され、全国的にも知られる酒蔵になった。

滋賀県を代表する銘酒「松の司」

松瀬酒造で醸造されている銘柄は、「松の司」のみ。使用する酒米や精米歩合、水の量、酵母を変え、十数種類の日本酒を製造している。松の司という名前は、かつて敷地内にあった樹齢200年を超える雄松の木と、創業者の姓である「松瀬」を掛けて付けたもの。「司」には「もっとも勇壮な姿」という意味があり、この雄松のような日本酒になるようにという思いが込められている。鈴鹿山系から湧き出るふっくらした軟水と100パーセント契約栽培で育てられた酒米で仕込まれる酒は、みずみずしさの中に凛とした品格があり、滋賀県を中心とした関西圏で絶大な人気を誇っている。

竜王産の山田錦を育てたい

松瀬酒造の特徴は、なんといっても米へのこだわりだ。その秘訣はにあると聞き、6代目の松瀬忠幸さんに、酒米を育てている地元竜王町の田んぼを案内してもらった。

「この辺りは昔から関西の米どころとして、特に寿司に使われる日本晴の産地として知られてきました。40年ほど前まではうちも日本晴を使って酒づくりをしていましたが、これからの時代、飲まれ続ける酒をつくるにはこのままではいけないと思い、当時『酒米の王様』と呼ばれ始めた山田錦を使うように。山田錦は人気で手に入りづらかったので、地元竜王町で収穫できないかと思って農家の方々に栽培をお願いしたのが、すべての始まりでした」

山田錦の主な産地は兵庫県。背が高いので倒れやすく、病気や害虫にも弱い山田錦は、他の地域での栽培がなかなか進んでいなかった。いざ育て始めても、気候、水、土壌が違う。同じ育て方をしても、兵庫と同じ米はできない。風で稲穂が倒れてうまく実らない年もあり、一筋縄ではいかないことを痛感した。

土壌が違えば酒の味が変わる

それでも地元農家の人々と試行錯誤を繰り返すうちに、同じ竜王町内でも、田んぼによって採れる山田錦に違いがあることに気づく。水や肥料の持ちが良い粘土質の田んぼではふくよかで重量感のある米が、水はけが良い砂礫(されき)混じりの田んぼでは硬く繊細さのある米が育つのだ。同じ醸造方法で酒を仕込んでみると、ふくよかな米は密度とボリューム感のある酒に、繊細な米は心地良い軽さとフローラルな香りを感じる酒になった。

「何とかして山田錦を増やしたいと思い、竜王町全域で植えてみたことが、おもしろい結果につながりました。土壌が異なるだけで、日本酒の味わいはここまで変わる。兵庫県とは違う、ここにしかない味に気づけたのも良かったと思います。土地の個性に注目して、その価値を伝えていくのが僕らの仕事なんじゃないかな、とその時から思い始めました」。

松瀬酒造では現在、土壌ごとにタンクを分けて酒を仕込み、ラベルを変えて販売している。

きれいな田んぼの象徴「アゾラ」

2000年頃からは、無農薬栽培にも取り組み始めた。県内にあるほとんどの川が琵琶湖に注ぎ込む滋賀県は、県民の環境への意識が高く、環境保全型農業への取組面積は6年連続で日本一を誇っている。松瀬さん自身も琵琶湖を守っていきたいという思いが強く、同時に余分な手を加えない、ありのままの田んぼの良さを酒で表したいという思いがあった。

無農薬の田んぼには、「アゾラ」という浮草がよく育つそうだ。このアゾラが水中への光を遮断することで、新しい雑草が生えにくくなるという。

「無農薬の米でつくった酒はパワーが違う。透明感があって、香りにもきれいなミネラル感が出ます。きれいな田んぼで育った米でできているという意識もあるのかもしれませんが、何よりも『飲むべき酒だな』と感じます。米づくりと同じ、酒づくりも農業ですからね」と松瀬さんは微笑む。

米の個性を生かした酒づくり

現在、松瀬酒造で酒づくりの現場を取り仕切るのは、石田敬三さん。10年前から日本酒づくりの最高責任者である杜氏(とうじ)を務めている。

「僕が蔵に入った2001年頃は山田錦という品種そのものに価値があって、中でも兵庫県のものが最上。では、それに対して竜王町の山田錦はどうなのか?という程度の認識でした。それが、農家さんごとに比較しながら醸造しているうちに、砂地と粘土質の土壌ででき上がる酒の味が違うことがわかってきて。微細な差ではありますが、何度やっても変わらない絶対的な違いがありました」。

日本酒の味は、精米具合や醸造過程など人の手によるところが大きく、個人の好みや流行に合わせて酒の味を次々に変えて「これがうちの地酒だ」と言われることに違和感があったという石田さん。自然の環境で育った米を、できる限りニュートラルに醸造する。その結果でき上がった酒から、土の違い、気候や環境の違いが感じられるようにしたいと語る。

蔵の歴史が酒の味をつくる

松瀬酒造の酒蔵には、エアコンもなければ最新式の機器も備えられていない。壁や天井には防腐・防虫のために柿渋が塗り込まれ、手入れをしながら大切に使われている。美しいつやが出て飴色に変化した蔵を、石田さんは「アンティーク」と呼ぶ。一般的には器や家具など、手にとったり、目で楽しんで大切に愛でる対象であるアンティーク。その中に入って包まれながら仕事ができることは類い稀なる幸せだ、と。酒蔵の積み重ねてきた歴史、そこに息づく先人の知恵や思いも、酒の味を左右する大切な要素なのかもしれない。

原点に立ち返り、よりシンプルに

この酒蔵で、この土地の米と水を使ってつくる最上の日本酒というものがあると石田さんは言う。土地の個性が表れるよう、できる限りニュートラルに。そんな思いで始めたのが、自然の力で発酵をうながす、主に江戸時代に行われていた醸造方法「生酛(きもと)造り」だ。

「鑑評会で評価されることばかりを目指していると、工業的な発想しかできなくなる。それではいけないと僕は思っています。僕が今やっている生酛造りでは、酵母も乳酸も添加していないし、酸度を測るなどの分析もほとんどしていない。それでも十分に酒はつくれます。酒づくりはもともと無農薬の米を使って、生酛造りで行われていました。それに向き合っていた人の技、思いに立ち帰ることができたら、本当の意味でのクラフトが表現できると思っています」。

石田さんが目指す酒は?と尋ねると、「身近な風合いであること。飲むと自然に『いつもの味だな』と思えるような、身体に馴染む味になっている酒でしょうか」という答えが返ってきた。

土壌別で仕込む「Blue」シリーズ

竜王町産の山田錦に限定し、さらに土壌別に分けて仕込んだのが、松の司「Blue」シリーズだ。米らしい旨味やコクが感じられる純米大吟醸で、飲み比べると、育った田んぼの土によって米の表情が変わることがよくわかる。ブランドページ『Origins of Blue』を眺め、土壌ごとの違いや田んぼから見える風景を知ってから飲めば、そこに吹く風や稲穂の揺れる音まで感じられるような気がしてくる。

毎年いくつかの地区をピックアップして醸造されるそうで、その年ごとの組み合わせや飲み比べを楽しむことができる。  

自然を表現する「AZOLLA 」

Blueシリーズの進化版に位置付けられ、松瀬酒造の米への取り組みすべてを象徴するのが松の司「AZOLLA(アゾラ) 」シリーズだ。Blueと同じく純米大吟醸だが、こちらはさらに栽培期間中無農薬・無化学肥料で栽培された地元竜王町産の

山田錦を使用して、生酛造りでつくられている。「アゾラ」の名前は無農薬の象徴として名付けられた。

透明感があり、おだやかでありながら濃密な味わいは、松の司の中でも「ひとつの理想形」とされている。

この土地に感謝し、ここにしかない味を創造する

今もまだ、何をもって竜王町らしいと言えるのかを探っているところだと松瀬さんは言う。「竜王町で育った無農薬の米を使って、世の中の人においしいと言っていただける酒をつくり上げる。それを続けていくことが僕の幸せです」と話すその顔は、まだ見ぬ未来を穏やかに、楽しそうに見つめている。  

ACCESS

松瀬酒造株式会社
滋賀県蒲生郡竜王町弓削475
TEL 0748-58-0009
URL http://www.matsunotsukasa.com
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