壱岐生まれ、壱岐育ちの銘牛「壱岐牛」の伝統を大切に受け継ぐ「梅嶋畜産」/長崎県壱岐市

その味と希少性から幻の銘牛ともいわれる「壱岐牛」。玄界灘に浮かぶ小さな島「壱岐島」の恵まれた自然環境に生まれ、海のミネラルを多く含む牧草を食べて育った牛は、柔らかでコクとキレのある肉質となる。弥生時代からの歴史を持つ壱岐の和牛について紐解き、高品質な壱岐牛を育てる肥育農家「梅嶋牧場」を訪ねる。

目次

幻の名牛を育む壱岐島とは

九州の玄界灘に浮かぶ、南北17km、東西14kmほどの小さな島「壱岐島」。穏やかな気候、豊かな自然環境によって古より農耕文化が栄え、また中国大陸、朝鮮半島に隣接することから文化の交流拠点として栄えた歴史を持つ。日本最古の歴史書「古事記」では天地を結ぶ交通路としての役割を担う「天比登都柱(アメノヒトツバシラ)」として登場するなど、古来より神々とのゆかりが深く、現在でも150以上もの神社島内に多くの神社が点在することから「神々が宿る島」としても知られている。

和牛のルーツは長崎から!?  壱岐島と和牛の歴史

壱岐島での畜産の歴史は長い。大陸交流の拠点であった壱岐には朝鮮半島経由でさまざまな文化が集まったが、壱岐牛の祖先もその際に渡来したものと考えられている。弥生時代の壱岐の歴史を物語る「原の辻遺跡」からは家畜牛の骨が出土しており、さらに国産牛についての鎌倉時代の図説「駿牛絵詞」には牛車を引く「駿牛」として登場。同じく鎌倉時代の図説「国牛十図」では「筑紫牛(壱岐牛)に優ぐるものなし」と称賛され、元寇の際には元軍に食用にされたとの記述もある。

使役牛から食用へ

均整の取れた躯体を活かし、主に運搬などの役割を持つ役牛として活用されていた壱岐の和牛。弥生時代から農業の機械化を経た現在まで種を脈々と引き継ぐことができた理由は、その肉質の良さにある。壱岐はかねてから稲作が盛んな島。車であれば2時間弱で一周できるほどの小さな島には長崎県で2番目に広い「深江田原(ふかえたばる)平野」があり、この肥沃な土と温暖な気候、豊富な水を用いて古くから稲作が盛んに行われてきた。農作業などに使う牛車を引くための使役牛として活躍していたのが「壱岐牛」のはじまり、とされており、島では弥生時代の遺跡から家畜牛の骨が出土していることから、その頃にすでに牛の肉を食していたことがうかがえる。農業機械が進化し、牛の力を必要としなくなってからも、壱岐の島に牛が残り続けたのは、海に囲まれた島ならではのミネラルを多く含む牧草などを食べて生活する牛たちの肉質が、食用牛としても優れていたからだと言われている。

壱岐牛とは

現在壱岐では繁殖牛などの種類をとわず約13,000頭の牛が飼育されているが、その中で年間900頭しか出荷できないのが「壱岐牛」。出荷頭数が少ないのは、壱岐牛として育てるための厳しい規定があるためだ。規定は4項目。壱岐島で生まれ育った黒毛和牛であること。壱岐市農業協同組合肥育部会の構成員により育てられていること。独自の配合飼料「一支國」を食べさせていること。肉質等級が3等以上であること。これらを満たさなければ壱岐牛として認められない。壱岐牛の脂は融点が低くコクとキレがあり、赤身は味わい深く柔らかな食感。そのおいしさと希少性が、壱岐牛の価値を高めている。

実は有名ブランド牛の肥育用子牛の隠れた産地

壱岐で生まれた子牛の質は全国の肥育農家からの評価が非常に高く、例えば但馬牛、松坂牛などの名だたるブランド牛の肥育農家が、壱岐に子牛を買い付けに来ることは珍しくない。つまり、壱岐で生まれた子牛を島外で育て、その土地のブランド牛として出荷されるケースも少なくないというわけだ。子牛だけでなく、壱岐で生まれた種雄牛も全国的に高く評価されている。和牛界では、実は壱岐で生まれたエリート牛たちが活躍しているのだ。

「壱岐牛」が出荷されるまで

希少な壱岐牛は、どのような過程を経て出荷されているのか。大まかな流れは以下の通りだ。人工授精で生まれた壱岐牛の子牛はまず、繁殖農家で 「肥育素牛」として飼養管理される。 肥育素牛は繁殖農家で8ヶ月から10ヶ月ほど育てられ、その後、家畜市場へ。ここで子牛たちは肥育農家に引き取られ、約20ヶ月間、大切に飼養される。立派に育て上げられ食肉市場へ出荷されるまで、壱岐牛は島から出ることなくのびのびと過ごす。

壱岐島の肥育農家「梅嶋畜産」へ

壱岐島の東側、金刀比羅神社近くにある海辺の牛舎を訪れたのは4月の終わり頃。稲藁の香りがする「梅嶋畜産」の清潔な牛舎には海からの風が心地よく抜け、美しい黒毛の壱岐牛が穏やかに過ごしていた。

肥育、レストラン経営、精肉販売まで一貫して手掛ける「梅嶋畜産」は、2代目に当たる梅嶋秀明さん、和之さん兄弟によって運営されている。「『壱岐牛』をブランド牛として生産し始めたのは約20年前。元々繁殖農家だった父は、その頃に肥育農家として形態を切り替え、現在に至っています」と話すのは、肥育を担当している弟の和之さん。現在150〜200頭の牛たちが衛生牛舎で暮らしている。

健やかな肥育環境

手入れの行き届いた牛舎でのんびりと飼料を食む牛たちを、優しく見守る和之さん。「島の豊かな環境が、壱岐生まれ、壱岐育ちの牛たちを健やかに育んでいます。今、牛たちが食べているのは『一支國』という飼料。15年ほど前、より良い肉質を目指す壱岐市農業協同組合肥育部会の構成員が「JA北九州くみあい飼料福岡工場」で作った、壱岐牛のための特別な配合飼料です」。  

飼育環境を整えるのはもちろん、和之さんは牛たちの体調管理にも細心の注意を払う。子牛として牛舎に迎え入れてから、2か月~3ヶ月目が特に重要な時期だという。この時期に牧草メインの食事でしっかりと食べられる胃袋を作ってやることが、その後の肥育を促進させるに欠かせない。子牛の頃に丈夫な胃袋を作れれば、食べ盛りの頃に配合飼料を取り込む力を発揮して、すくすくと大きく成長できる。こうして毎日、愛情をこめて育てていても、病気にかかって命を落とす牛もいるのだそうだ。突然やってくる病気には特に注意が必要だという。

「肥育農家として最も大切にしているのは、牛をしっかりと観察すること。牛は話せませんが、態度で私たちにいろいろなことを伝えてくれます。いつもと違う場所に座っているな、頭が少し下がっているな…そんな小さなサインを私たちは見逃してはいけないのです」。

肥育農家の仕事は365日、1日も休みがない。体力や経験、知識はもちろん、愛情や情熱も不可欠だ。「牛が好き。その気持ちがあるからこそやっていけます」と和之さんは微笑む。惜しみなく手間ひまと愛情を掛けた「梅嶋畜産」の壱岐牛は、「第40回九州産肉牛枝肉共進会金賞」「平成22年度開場記念ミートフェア(牛枝肉)最優秀賞」「第7回壱岐市和牛共進会(肉牛の部)金賞」といった多くの賞を受賞している。

「梅嶋畜産」直営レストラン「味処うめしま」へ

牛舎から車で10分。芦辺港目の前にある「梅嶋畜産」直営の「味処うめしま」へ。柔らかく鮮やかな赤身にクリーム色のサシが入った上質な壱岐牛を、ヒレステーキ、特選ロース、焼き肉などでリーズナブルに楽しめるとあって、地元はもとより観光客にも人気のレストランだ。直売所が併設されており、ここから壱岐牛を全国に発送することもできる。  

ここを運営しているのは、梅嶋兄弟・兄の秀明さん。「丹精込めて育てた牛を自分たちの手でお客様に提供したい」という父の願いを、料理人を目指す秀明さんが叶える形で創業した。「30年ほど前のこと、肥育農家としてスタートしたばかりの父が初めて品評会に参加したところ結果が振るわず、小学生だった私はそのことをとても恥ずかしく思いました。しかし父はその結果をバネに『これから壱岐で上質な牛を育てるぞ!』と奮い立っていた。今、お客様からおいしいと言っていただくたびに、その時の父の希望に満ちた力強い姿を思い出します」と話す。「父や先人のおかげで壱岐牛がいて、壱岐の文化、私たちの生活がある。感謝しかありません。現在、弟がより良い壱岐牛を育ててくれてることに、自信と誇りを持っています」。

梅嶋牧場のこれから

古くから人と牛が共に暮らしてきた壱岐島。壱岐牛から作られる良質な堆肥は稲作に利用され、ここから出る藁は牛の餌になり、再び健やかな壱岐牛を育む。このようにして島では古くから循環型農業が営まれてきたという。現在、島の基幹作物の一つとして栽培されているアスパラガスにも壱岐牛の堆肥が使用され、全国から高い評価を受けている。つまり壱岐島内では持続可能な農業が長きにわたって受け継がれ、今さらに進化中というわけだ。「私の願いは、100年後もそれ以降もずっと、壱岐牛がおいしいと評価されること。希望を持った島内外の若者たちが、一次産業の島・壱岐で牛を育てたいと思えるようになるとうれしいです」と秀明さん。その言葉から、文化の交流拠点としての歴史と恵まれた自然環境が生んだ大らかな人柄、島への深い愛が感じられた。  

ACCESS

梅嶋畜産
長崎県壱岐市芦辺町諸吉南触1082
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