今から1200年ほど前につくられた日本最古の和歌集として知られる「万葉集」に大伴家持(おおとものやかもち)が同じ官人の夏痩せを笑い、うなぎを食べるように勧めた歌が残されている。また一説には縄文時代には既にうなぎが食べられていたとされるほど、日本では古くからうなぎは滋養強壮に効果的な魚として知られていたようだ。そして江戸時代になると、うなぎの身を開き、内臓と骨を取って串を打ち、醤油とみりんで作ったタレで香ばしく焼き上げる「蒲焼き」が広まったといわれている。同時期にスタイルが完成された天ぷらや握り寿司、そばなどと同様、現在もほぼ当時と変わらない形で愛され続けている。
鎌倉時代に多くの刀鍛冶が移り住み、刃物産業が発展した岐阜県関市。ここでは、1日中熱い作業場で鉄を打ち続ける刀鍛冶のスタミナ源としてうなぎが重宝されたこと、商人が商談の際によく利用していたこと、また海で生まれ、川で育つうなぎにとって、まちなかを流れる長良川の清流が生育環境に適していたこと、鵜飼の鵜匠からも精をつける料理として愛されていたことなど、幾多の条件が重なり、数多くのうなぎ屋が地域の産業とともに発展し、今日も狭い地域に20を超えるうなぎ料理店が密集し、地域の住民だけでなく観光客からも人気を集めている。
なかでも最も古い歴史を持つのが、関市の中心に位置し東西に約800mほど伸びる本町商店街で、昔ながらの街並みを残す一角にある『辻屋』だ。江戸時代に誕生し、創業160余年。初代当主の川釣り好きが高じて、いかに釣った魚を美味しく食べるかにこだわった事がきっかけで人々にも川魚の美味しさを伝えたいと食事処を開いたのが始まりと言われている。
店の周辺には、うなぎを焼く煙が立ち込め、タレの焦げた香りが漂い食欲をそそる。のれんをくぐった先、奥に長くつながる座敷の掘りごたつ席に幅広い年齢層の客が腰をかけ、料理を待つ。ひっきりなしに訪れる客を、和服を見事に着こなした名物女将が丁寧に迎え、店の奥では職人たちが熟練の技でうなぎを串に打っては焼く。創業当初から変わらない光景が老舗たる所以だ。
名物は「うな丼」。こんがりと焼かれた表面は香ばしくカリッとした食感。中には、程よくのった脂が閉じ込められている。秘伝のタレと相まって、固めに炊き上がったご飯との相性は抜群だ。基本となるスタイルは、背開きしたうなぎに串を打ち、蒸してから焼き上げる関東風ではなく、腹から開いたうなぎに串を打ち、そのまま焼き上げる関西風。ただし、断面もカリッと焼き上げるため、うなぎをぶつ切りにしてから串を打つのがこの店の流儀だ。代々継ぎ足して使われる秘伝のタレにうなぎをくぐらせ、備長炭を炊いた焼き台に乗せ、絶妙な頃合いで返す。うなぎの脂が炭に落ちて燻され、上がってくる煙が表面に味わい深い香りを残す。あまりの旨さに白米とのバランスを取り忘れ、うっかりご飯だけが残ってしまう事もしばしば。
「ミシュランガイド愛知・岐阜・三重 2019 特別版」に、「ミシュランプレート」として掲載されるほどその味は折り紙付き。関に訪れてまで食べたい逸品で間違いはない。「串打ち3年、裂き8年、焼き一生」。幾多の匠に愛された味、ここにあり。