武田信玄も召し上がった酒蔵「酒千蔵野」
戦国時代の名将、武田信玄と上杉謙信が幾度となく戦いを繰り広げたことでも有名な長野県長野市川中島町。長野県の北部に位置するこの町に長野県では最古、日本でも七番目に古い酒蔵がある。それが1540年創業の「酒千蔵野(しゅせんくらの)」だ。創業当時は「千野酒蔵(ちのしゅぞう)」という商号で営業していたが、先代社長の退任に伴い、2007年に現在の商号に変更。
旧称号を組み替えた新商号からは、長野県内の女性杜氏のパイオニアである千野麻里子さんの女性らしい感性が感じ取れる。 蔵元の一人娘として、川中島で生まれ育った麻里子さん。東京農業大学にて醸造と微生物学を学んだことをきっかけに、酒造りに惹かれた。その後、国税庁醸造試験所で2年間の研修を積むなかで、日本酒の魅力を改めて感じ、帰郷。先代杜氏のもとで修行をはじめてから8年が過ぎた2000年の春、先代杜氏の急病により、予定より2年早く杜氏に就任することとなった。
普通酒から特定名称酒の開発へ
就任後は、女性杜氏という点がクローズアップされ話題になることが多かったが、本来の麻里子さんの魅力は酒造りに対するセンスと感性。それらを活かして醸される酒は、酒の鑑評会で多くの受賞歴を誇っている。
ちなみに麻里子さんが杜氏になる以前の酒千蔵野(当時の商号は千野酒造)では、地域に根ざす酒蔵らしく、普通酒という種類の日本酒をメインに醸造していた。
普通酒とは、スーパーなどの量販店で取り扱われるリーズナブルな価格帯で流通する日本酒。吟醸酒や本醸造酒が属する“特定名称酒”と比較すると、カジュアルで普段の食卓に用いられやすい。しかし、真理子さんが杜氏に就任してからは、前述した特定名称酒の開発に注力。
自分の感性を追求した「川中島 幻舞」
それまで、自蔵では漬物や味噌など塩味の強い長野県の食卓に合ったどっしりとした味わいの清酒「桂政宗」と、にごり酒の「川中島」という二種類の日本酒を醸造していたが、新たに無濾過特有のジューシーな口当たりと米本来の味にこだわった無濾過生原酒の「川中島 幻舞」というブランドを生み出した。新ブランドの立ち上げには、その当時、酒類の多様化など消費者の日本酒離れも進み、主力商品の生産量が年々低下していたことも影響しているが、一番の理由は杜氏として、自分の感性を追求した酒を造りたかったから。
常に無濾過生原酒の香り高い“しぼりたて”を提供するためには醸造スパンを短かくし、なるべくしぼりたての状態をコンスタントに瓶詰めする必要があるから、稼働期間も一般的な酒蔵の約2倍になる。もちろん、それに伴い業務量も増えるが、理想の酒を造るため、麻里子さんは寝る間も惜しみ、これに没頭した。
こうして幻舞をシリーズ化させてからは、その時代のニーズに合った酒の味を追求することに力を注ぎ、酒米の種類や精米歩合、酵母など試行錯誤を繰り返しながら商品数を増やしていき、現在では幻舞シリーズだけで13種類のラインナップを誇る。普通酒から特定名称酒の醸造へと主軸をシフトしたにも関わらず、生産量も杜氏就任当初より2倍以上になった。
地元の休耕田を活用し、自蔵に美味しい以外の個性を
結果的に普通酒より高い価格帯である特定名称酒の割合を増やし、さらに生産量も増えた、ということは、幻舞のブランディングは大きく成功しているということだろう。しかし、それは自分の力ばかりではなく昨今の日本酒ブームの波に乗ることができたおかげ、と麻里子さんは謙遜する。
というのも、杜氏になって約20年が経過し、現在の日本酒業界について強く感じているのが、どの酒蔵の酒も大きな失敗を感じることがなく、どれも平均的においしいということ。それは素晴らしいことなのだけれど、酒造りに関するベーシックな部分の方程式が確立しているからなのか、酒ごとの個性がないようにも感じられる。
そこで麻里子さんは地元に密着し、休耕田を活用した酒米の契約栽培を行うことで、それを自蔵の個性にしようと考えた。 ちょうど酒千蔵野のある川中島は、長野市最大規模の生活圏として長野オリンピックの頃から都市開発が盛んに行われてきた地域。それに比例して産業も発展したためか、世代交代に伴い農地を手放す人も多かった。
ちなみに、田んぼは1年使用しないと3年は作物が育たなくなってしまうというほど、マメな手入れが大切なのだそう。そこで麻里子さんは、杜氏になった当初から、徐々に地元農家の協力を仰ぎ、手放された田んぼが休耕田となって荒れ果ててしまう前に酒米を生産する田んぼとしてリユースし、それを全量、蔵で買い取るプロジェクトをスタートすることに。
全国的にも休耕田を活用する取り組みは行われているが、このプロジェクトが20年以上続いてきたのは協力してくれる地元の専業農家の力が大きい。そもそも酒造りに必要なほどの量の稲作を行うには、人足はもちろん、専用の農機具が必須。分母を広げるために、ただ農作をやってみたいという一般の人を募ったのでは、それらの問題が尾を引いて途中で立ち行かなくなってしまうことも多々ある。
地域に寄り添い、特色のある酒蔵へ
専業農家だからこそ、自前の農機具や培ってきたノウハウを駆使し、自分の田畑の世話をする“ついで”の要領で比較的手軽に作業を行うことができる。また、農家同士のネットワークで、自地の隣の田んぼが農業をやめてしまう場合は、酒米づくりを行うためにその土地をスムーズに借り上げることができ、事前に休耕田になることを防ぐことも可能。
こうして、地域の人たちの協力によって作られる地元産の「ひとごこち」と「美山錦」を使用することで特色を出している。 2024年時点で、休耕田を活用する取り組みは周辺地域ばかりではなく、近隣町村にも広がってきた。これは、地域の遊休田畑の有効活用につながるばかりではなく、地元農家に対し新しい収入のきっかけを提供し、後継者不足を解消することにもつながっている。
約500年、地域に根ざした酒蔵としてそこに生活する人たちに支えられてきたからこそ、今度は自分たちの酒を使って、この地域の生活と経済に還元していく。そんな地域に寄り添った酒蔵でありたいと麻里子さんは考えている。