燕の歴史ある「鎚起銅器」とは
江戸時代後期から200年続く、新潟県燕市の伝統工芸「鎚起銅器(ついきどうき)」。現在、国内の産地はただ一つ燕市のみである。銅板に加工しやすくするための熱処理である「焼きなまし」を施しながら、「鎚(つち)」と呼ばれるハンマーで叩いて「起こす」ことで立体的に成形することから名付けられたこの鍛金技術は、近隣の銅山からの恩恵を受け、時代を超えてこの地域で脈々と受け継がれてきた。鎚起銅器は、一つの製品が完成するまでに、数十万回も打ちを加えることで生まれる堅牢さと陶器を思わせるほどの滑らかな表面が特徴。長年手入れをすることで銅の風合いが増してより愛着がわく。製品の多様さも魅力の一つで、日用品として使用する鍋、急須などから美術的な作品まで様々な作品が作られてきた。1981年に新潟県の伝統的工芸品に指定されている。しかし現在、その伝統を継承する工房は、個人法人を合わせてもわずか10を数えるほどしかないという。
そのうちのひとつが、親子二代に渡り伝統を受け継ぐ「島倉堂」だ。初代の島倉板美さんは昭和27年に鎚起銅器の老舗「玉川堂」に入門。腕を磨いて独立したのが昭和42年。その後、平成に入って跡を継いだのが、二代目の島倉政之さんである。政之さんは幼い頃から職人としての父親の姿を見て育ち、自分も将来は伝統工芸士として父の技術を継ぐのだろうと考えてきた。今はひとりで工房に座り、日々槌を振るっている。「この仕事はすべて自分で完結する。それが自分には合っている。」穏やかな語り口でそう話す政之さんは、まさに根っからの職人である。
「島倉堂」島倉政之さんの鎚起銅器へのこだわり
最近新設されたばかりの島倉堂のギャラリーは、湯沸かし、急須、コーヒーポット、鍋、酒器や茶器など政之さんの作品が展示され、金色、青色、銀色……それぞれの銅の表面の凹凸から柔らかな鈍い光が放たれている。けして華美になりすぎないその上品で奥ゆかしい美しさこそが鎚起銅器の特徴だ。「先代から受け継いだデザインもありますが、自分で『あったらいいな』と思うものを自分で作る。」それが政之さんのポリシー。丹精を込めてひとつひとつ作られる商品は、ただの伝統工芸品ではなく、現代の生活に寄り添う実用品である。同時に、それらはすべてが一点もの。機械による大量生産ではけして表現できない味わいと奥深さがある。
政之さんのものづくりは、「新しい商品を生み出すとき、まず作りたいものに合う道具を自ら作る」ことから始まる。ギャラリーの奥の工房には金属加工や溶接ができる機械もあり、壁一面に大量の金槌や木槌、当て金(がね)が、所狭しと並んでいる。最適な道具がなければ、理想のフォルムには到達できない。すべては頭の中に思い描いた完璧なかたちを具現化するために必要なのだ。「鎚しぼり」と呼ばれる成形の作業がはじまると、カンコンカンコンと高い音がリズミカルに工房に響き渡る。様々な金槌と木槌を使い分け、あとはひたすら銅板を叩いていく。
優れモノの銅と使い手によって変化する鎚起銅器の面白さ
生活用品、調理器具としての銅にはいくつも利点がある。まず殺菌作用があり衛生的だという点。水が浄化されるので湯沸かしや急須はうまみを一層引き立てる。また他の金属よりも熱伝導率が高く(アルミの2倍、鉄の5倍、ステンレスの25倍)、鍋を火にかけると熱が全体に均一に伝わる。つまり、水の質が変化し、かつ素早く調理ができるので、お茶やコーヒー、料理の味がより美味しくなるのだ。数千年前の銅器が現存しているように、銅は耐食性に優れているため、長持ちする点も大きな特徴のひとつだ。しっかりと手入れをし、キュッキュと愛情を込めて乾拭きしてやれば、使い込んだ風合いの経年変化も末永く楽しめる。「使う人それぞれの気持ち次第で色が変わる」と政之さんは表現する。まさにそれが一生モノの生活用品を使い続ける面白さだ。世代を超えて伝統技術が受け継がれていくように、商品もまた世代を超えて未来に受け継いでいくことができる。