「職人社 秀平組」左官職人とは
建築物のかべや床などを鏝(こて)を駆使して作り上げる左官。近代化・合理化という大義名分のもと、日本の伝統的な建築文化を支えてきた技能や職人が消えつつある中、異彩を放つのが岐阜県高山市を拠点とする「職人社 秀平組」だ。
これまで、ペニンシュラ東京のレセプションの壁や、NEWS23のスタジオ内の壁、洞爺湖サミットのゼロエミッションハウスに置かれた土の円卓、NHK大河ドラマ「真田丸」の題字など、様々な舞台で独創的な作品をてがけ、その技術と発想力の独自性を示し続けてきた。その中心人物が、左官職人・挟土(はさど)秀平さん。“土のソムリエ”とも称され、誰も見たことがないような色彩と質感の壁をつくりだす。一見すると和紙で出来た屏風と見まがうような作品や、まるで布を手繰り寄せたかのような姿が立体的に表現された作品、漆を塗って仕上げているかのような、何とも言えない光沢を帯びた作品も、すべて土で作られている。誰しもが抱く左官という概念を突き破った、まさにアート。誰よりも土の事を知っていて、どんな無理難題も芸術に昇華してきた腕と目利きは至高の領域ともいえる。
彼の流儀は『あえて勉強しない』。不真面目なように聞こえるかもしれないが、そうではない。全くのオリジナルを追求するため、参考となるような情報をあえて遮断する為にだ。美術館に足を運ぶことも無ければ、作品作りのヒントを求めて書を読むこともほとんどない。ただ、自然の風景に目を凝らし、その解像度を極限にまで高める。例えば、木がどのように立ち、枝がどう分かれ、葉がどう生えているのか。人智のコントロールが及ばない大自然の所作を目に焼き付ける。かのアントニオ・ガウディが自然からヒントを得てこれまでに無かった建築を創造したように、挟土さんは飛騨高山の自然の営みからデザインを生み出している。
左官への憧れを後世に残したい
多くの人がSNSのタイムラインを追って何かを見出そうとする時代に、挟土さんは一見、前時代的な方法を用い、新しく、普遍的な美しさを持つ作品を次々と完成させ、多くの人の目に強烈な残像を残す。そして、オリジナリティの本質を世間に問うている。「残された時間は多くはない」と、間もなく還暦を迎える挟土さん。日本国内だけでなく世界各国から届く仕事を圧倒的な精度で完遂させながら、完成を目指しているのが『歓待の西洋室』。大正5年に建てられた迎賓館を譲り受け、20年前に自身が所有する山に移築し、少しずつ手直しを加え続けている。長い時間をかけて完成を目指す姿は、バルセロナのサグラダ・ファミリアに似ている中田は言う。伝統的な技能が軽んじられていて、信頼の置けるベテランの職人は高齢化し、次の世代が育つかどうかはわからない。日本の状況を変えるために、本当に美しいものを造れば認められるはずだと信じ、いよいよ完成目前のところまできた。価値を感じてくれる人が特別な時を過ごす場所にしたいのだと語ってくれた。
これまでも続けてきて、これからも変えないのは、薄塗りの左官をしないこと。厚みがあると腕の違いが出るし、空間の空気や存在感が全く違うものになる。土と鏝だけで圧倒的なものを作って、左官への憧れを後世に残したいのだと挟土さんは話す。数万年の時を経た土と比べれば、人間が作った建築の歴史は目に見えない程の小さな点に過ぎないかもしれない。だが、挟土さんが残した点は、何よりも濃く、他のどんな色にもたとえられない輝きを放つ。