百年後もかわらない製法で。自然界からの贈り物「坂元のくろず」/鹿児島霧島市

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「坂元のくろず」とは

鹿児島県霧島市福山町は黒酢発祥の地。錦江湾と桜島が望める鹿児島県本土の中央に位置し、薩摩藩時代には商業港として栄え、食料品から日用雑貨などさまざまなものが集まる交通の要衝として発展した。そのため、くろず造りに欠かせない、原料となるお米と壺が手に入りやすい場所だったという。なかでもいちばん長い歴史を持つ坂元醸造は、200年以上にわたり伝統の製法を守り続けてきた。福山町は三方を丘に囲まれていることで悪天候の影響を受けにくく、また冬は温暖で夏は海からの風の影響で涼しいという発酵に最適な条件が備わっている。さらに良質な地下水が湧き出ていることもくろずを生み出す大きな要因になった。ただ、それだけでは200年にわたる伝統は守られない。恵まれた自然環境に加えて、醸造技師達の丁寧な手作業が世界からも注目されるくろずを生み出してることは間違いない。

米酢と「坂元のくろず」の違い

一般的な米酢が米から日本酒を造り、そこに酢酸菌などを加えて発酵させ、タンクでの熟成を経て製品に仕上げているのに対し、くろずは壺の中に原料を仕込んだら太陽熱だけで発酵させる。しかも、原料は蒸し米、米麴、地下水の3つのみ。1つの壺の中で自然に糖化、乳酸発酵、アルコール発酵、酢酸発酵が進む世界でも類を見ない製法だ。坂元醸造では春と秋の年に2シーズン仕込みが行われるが、醸造技師はその間、壺の中を毎日チェックし、くろずがゆっくり造られるのを見守る。
そうして半年かけて出来上がった酢をさらに、1~3年そのまま壺の中で熟成させる。熟成期間が長くなればなるほど色が濃くなり、くろず独特の風味と香りが生まれ、最高のくろずが生まれるのだ。

くろずの由来とその特長

実は「くろず」という名称は昭和50年に坂元醸造現会長の坂元昭夫さんが命名したもの。もともと福山酢や壺酢、天然米酢など様々な呼び名があったが、熟成することで少しずつ色づき、液色が濃くなっていくその色の特徴から「くろず(黒酢)」として販売したのが始まりだ。
福山町のくろず造りのいちばんの特長は、壺に入れて熟成させること。敷地には、見渡す限り無数の壺が並んでいた。この壺が並ぶ場所は「壺畑」と呼ばれ、その数は現在5万2千本あまり。壺畑は10か所にも及んでいる。通常は関係者以外立ち入ることができない「壺畑」に足を踏み入れた中田英寿がまじまじと壺を眺める。

「この壺の大きさにもやはり意味があるんですか?」(中田)
坂元醸造では江戸時代から大事に使われている薩摩焼に加えて、特注の信楽焼を使用している。大きさに関してもいくつかのサイズの壺を作りで試してみたが、現状は今の大きさがベストという結論に至ったという。

実は、福山町のくろずの製法には、まだまだ解明されていないことが多いそう。この地の天候や自然界に生息する常在菌、あるいは壺の内側に住み着いている微生物のおかげともいわれているとか。壺があのまろやかな酸味と甘味を持った美味なる液体を作り上げる。壺はくろずの醸造元にとってまさに生命線というべき存在なのだ。

学びの坂元のくろず「壺畑」情報館と味を堪能するレストラン「壺畑」

坂元醸造では、くろずの歴史や製法などについて見学できる坂元のくろず「壺畑」情報館のほか、黒酢を気軽に楽しめるよう黒酢レストラン「壺畑」を併設している。
ここでは、壺畑とその向こうに桜島を眺めながら、人気メニューの酸辣湯麺や酢豚など、くろずを使った体にやさしい料理を楽しむことができる。
また、醤油とくろずを1:1で合わせ、刺身や豆腐、生野菜にかけて食べたり、そのままアイスクリームにかけて食べるのもおススメなのでとか。伝統を守り続けてきた自慢の味を自宅でも試してほしい。

ACCESS

坂元醸造株式会社 坂元のくろず「壺畑」情報館&レストラン
〒899-4501 鹿児島霧島市福山町福山3075
TEL 0120-707-380(情報館)/0995-54-7700(レストラン)
URL https://www.kurozu.co.jp/
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