日本最古の建築会社「金剛組」
大阪市・天王寺区にある金剛組は、全国の神社や寺の建設や修復を手掛ける宮大工専門の建設会社。6世紀に聖徳太子が四天王寺を建立する際に百済から宮大工を呼び寄せたということなのだが、そのうちの一人、金剛重光が当主となり組織された四天王寺内の「金剛建設部」から、その歴史が始まった。現存する世界最古の建築会社だ。
「○○組なんていうと勘違いされることもありますが(笑)、金剛組というのは、『匠会』という8つの宮大工を保有する社寺建築業者。私が率いている木内組もそのなかのひとつです。現在全国に宮大工の仕事を請負う会社が200〜300存在するといわれていますが、そのうち約110名がこの金剛組の8組で仕事をしています」(木内組棟梁の木内繁男さん)
金剛組の宮大工は、全国各地の神社や寺に出張しては、建設や修復を手がけている。普通の大工と宮大工が大きくちがうのは、大工は『人が住む家』を造り、宮大工は『神様や仏様が入る家』を造るということ。
「私達がつくる建物は信仰の対象で、200年先、300年先まで残ることも珍しくない。昔ながらの技術で、どんな天災にも負けない頑丈な建築をつくっていくのが宮大工の仕事です。そのために普通とはちがう技術があり、たとえば私たちは構造材に金属の釘をつかいません。サビが発生して、そこから木が腐るからです」(木内さん)
宮大工の技術がいかに高度なものか。それは木内さんの鉋がけを見たらすぐに分かった。使い慣れた鉋を手に角材に向かうと、軽やかに鉋を走らせる。すーっと出てきた鉋くずは、向こうが透けて見えるほどに薄い。
宮大工の職人技
「鉋くずは0.1ミリ以下が基準です。今日はちょっと調子がよくないから0.07ミリくらいかな(笑)。うちの宮大工のなかには、0.03とか0.02ミリまで薄く削るやつもいますよ」(木内さん)
中田も鉋を手にチャレンジしてみる。同じ道具を同じようにつかっているのに、中田の鉋くずは厚く、かつその厚みも一定ではない。
「力を入れすぎてもダメだし、抜きすぎてもダメ。一定の力で一気に引かなければならないんでしょうけど、さすがに難しいですね」(中田)
宮大工の匠の技のひとつといえる鉋がけだが、薄く均一に削れるというだけでない。例えば、機械で仕上げられた床に比べると宮大工が仕上げた床では20年30年と時間が経過しても水や埃やつきづらく、美しい木の風合いを保つことができるそうだ。宮大工はそのような技がいくつもあり、連綿と受け継がれてきた。
加工センターのなかには、すでに組み上がった高さ2.5メートルほどの塔の模型が置かれていた。柱の1本1本から屋根の反りの角度まで正確に計算した縮小版の模型をつくり、作業工程を考えたり、耐久性などをチェックしたりする。聖徳太子の時代から続く、丁寧なものづくり。こういう職人たちが日本の建築を、文化を守っているのだ。