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14年の歳月をかけて完成した「後楽園」
金沢の兼六園(けんろくえん)、岡山の後楽園(こうらくえん)、水戸の偕楽園(かいらくえん)…といえば、思い当たる人も多いだろう。そう、「日本三大名園」だ。ここ岡山市にはその1つ、後楽園がある。
江戸時代初期に岡山藩2代藩主、池田綱政によって14年の歳月をかけてつくられた。
当初の目的は、藩主の居間である延養亭(えんようてい)や、園内に点在する建物の座敷から四季折々の景色を眺めてやすらぎを得ることだった。
日本三大名園「岡山後楽園」の庭園を歩く
しかし、池田綱政の子の継政は、園内の中央に唯心山(ゆいしんざん)を築き、水路を巡らせ、池を掘らせた。これによって景色が立体的になり、園内をそぞろ歩きしても楽しめる庭へと変化した。いわば、静の庭から動の庭への変化だ。その後も、藩主の好みや社会情勢によって変化が加えられ、その歴史を見るのも面白い。後楽園の公式HPにはその変遷が詳しく誤植されているので、訪れる前に見ておくのがおすすめ。
また後楽園は、市内を流れる旭川を挟んで岡山城の対岸に位置しており、この岡山城やその周囲の山々を借景として取り入れているのも特徴の1つだ。現在でも、延養亭から見える範囲に建つ建物には高さの制限がされ、借景ができる限り保存されている。
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