高度な技術を必要とする川尻筆
広島県呉市川尻町。書道をやる人なら、この地名に聞き覚えがあるかもしれない。ここは知る人ぞ知る高級毛筆の産地なのである。川尻筆は、束ねた毛を水に浸し、薄く伸ばしてから折りたたんで形を整える「ねりまぜ」という技法を用いてつくられる。こうすることで筆に“むら”ができず、質の高い筆ができ上がるのだ。一人前になるには10年はかかるといわれるほど、高度な技術を必要とする。
畑義幸さんは、親子3代にわたっての生粋の筆職人。義幸さんの代になってからは、川尻筆のなかでも最高級品の羊毛筆を専門に製作している。書道家たちがこぞって一本ものの依頼をしてくる筆職人だ。
書道家のオーダーメイドに応える毛筆
書道家たちは、自らの作品に細かい指示を添えて、書きたいと思っている線のイメージを伝える。義幸さんは、そんな繊細で厳しい要求を、筆1本で体現するのだ。書道家1人1人の好みに合わせて完全オーダーメイドでつくるため、素材も違えば、サイズや長さ、柔らかさも違う。
義幸さんが駆け出しのころは、こうした抽象的ともいえる要求をはかりかねて、つくり直しをさせられることも多かったという。しかし、そのとき培った経験がノウハウとなって蓄積され、いまでは書道家たちを唸らせる筆が製作できるようになった。川尻筆では、国の伝統工芸士の指定を受けた第1号だ。
「毛筆の素晴らしさを伝えたい」
川尻毛筆事業協同組合の理事長でもある義幸さんは、「毛筆の素晴らしさを伝えたい」と、子どもたちに筆づくりを教えたり、その筆で書いた書初め展を開催するなど、川尻筆の普及にも熱心だ。
今回は特別に、義幸さんの工房で中田も筆づくりを手取り足取り教えていただいた。
自分でつくった筆という贅沢――
墨をすって筆を手にすると、自然に気持ちがシンとして背すじが伸びる。現代社会では筆を手にする機会はそうそうないが、こうして日本の伝統を折に触れて再確認すると、気持ちが豊かになるようだ。