職人おばちゃんとのひととき
宮城県白石市にある「白石和紙工房」を訪ねると、二人の職人さんが呼吸もぴったりに紙漉きの作業を行っていた。
「こちらで何年くらいお仕事されているんですか?」 と中田が聞くと、「もう40年、漉くのは私だけです。この人は材料作り担当で40年。もう年寄りだから大変なんだけど」 と笑う。こちらでは三人の職人おばちゃんたちがそれぞれの作業を持っているのだという。工房の天井には、大小さまざまな和紙を漉くための桁 (ケタ) が掛けてあり、窓辺には原料の楮が、皮を剥かれた状態で積み上げられていた。
紙を漉く、漉桁 (スケタ) を動かす様子を見ながら、「漉き方はタテヨコ、両方向ですか?」 と中田。
「“紙布”にするときはタテ方向、“紙衣”にするときはタテヨコだね」
漉桁を動かす方向によって繊維がどのように重なるかが決まるため、和紙の用途によって漉き分けるのだ。
紙布(しふ)とは、和紙を細く切り、それを撚って作る糸で織り上げた織物のこと。紙衣(かみこ)は、コンニャク粉から糊をつくり、和紙に2度塗って乾燥させ全体を強くし、柔らかくなるように揉んでから縫製した衣類だ。
土地の風土に合った紙布と紙子
「昔は300軒も和紙を作る家があったんです。うちだけやめそこねて、続けているんです」 そう言って我々を迎えてくれたのは、白石和紙工房を主宰する遠藤まし子さん。
「このあたりは、農家と養蚕が産品でした。養蚕は春夏秋冬、年に4回。それぞれお蚕さんに与える桑の種類が少し違う。同じクワ科の楮にもたくさん種類があるんです」 と、まし子さん。その中で、白石和紙工房で使うのはカジノキという種類。その特徴は、繊維が細く、長く、柔らかいということだという。この特徴があるからこそ、和紙から糸を紡ぎ、柔らかな紙布を織ることができるのだとお話を伺う。
「それから、東北は寒くて綿花が育たなかった。綿はとても高価だから、綿入りの着物を着る代わりに、紙衣を中に着て寒さを凌いだんですね」
夏は汗を吸ってすぐに乾く紙布の着物を涼しく着る。冬は着物の中に紙衣を着て温かくする。白石和紙から作られる衣類は、この地方の気候に適応するための知恵から生まれたものだった。実際に紙衣や紙布を拝見させていただくと、その手触りの良さに驚き、美しさに目を奪われる。「私たちが作るものは、材料も作り方もすべてこの土地のものなんです」 そう、まし子さんは語る。その土地の風土でしかできないもの、その土地に必要な文化があるのだ。
白石和紙という文化
白石和紙の起源ははっきりとはわかっていないが、平安時代には 「陸奥紙」 として東北地方で和紙が作られていたとされ、古くからその技術が続いていたと考えられている。江戸時代には伊達藩が白石和紙を殖産奨励したことから和紙作りが盛んになった。
実は、伊達藩の特産品として有名だった白石和紙も明治時代に一度廃れた時期があった。この時、まし子さんの夫である遠藤忠雄氏が伝統技術を復活させ白石和紙の復興に携わったのだ。白石和紙の紙質は、強度と耐久性に優れたものとして知られるようになり、宮内庁の重要記録用紙に指定され、現在も文化財の修理に使用されている。
そして1973年からは、東大寺で行われる 「修二会 (お水取り)」 に参加する僧侶が着る紙衣の装束を作るための和紙を納めているという。現在は数多く作ることができないという白石和紙。しかし、その1枚1枚が大切に作り続けられている。工房の漉き船の柱には、こんな言葉が掲げてあった。
「良き紙は静ならずばすけぬもの 息ととのえて漉桁に向かふ」