西日本最高峰・石鎚山(いしづちさん)の麓に広がる愛媛県西条(さいじょう)市。成龍酒造は、豊かな伏流水に恵まれたこの地で、150年近く酒造りを続けてきた。蔵の酒造りを担うのは、杜氏・織田和明さんと、蔵元の次男で副杜氏の首藤敏孝さん。伝統を守る酒と、新しい世代の酒。二人の造り手が紡ぐ醸造の物語をたどる。
名水の町に根付く酒蔵

愛媛県西条市。西日本最高峰・石鎚山の麓に広がるこの町は、清らかな地下水が湧き出る「名水の町」として知られている。石鎚山系に降り積もった雪や雨が長い時間をかけて地下を流れ、まちの至るところで自噴しているのだ。それは「うちぬき」と呼ばれ、全部で3000箇所もあるといわれている。
有名な「うちぬき」スポットでは、今も人々が水を汲んだり、野菜を洗ったりする姿が見られる。そんな豊かな水に支えられてきたのが、西条の酒造りだ。
明治10年(1877年)、成龍酒造はこの地で酒造りを始めた。創業者は鍵屋本家九代目当主・首藤鹿之助。江戸時代までは庄屋米蔵の鍵を預かる「鍵屋」をしていたが、庄屋制度の廃止に伴い、酒造業を営むこととなった。
石鎚山の伏流水と地元の米を使った酒造りは、150年近い年月を経て今も受け継がれている。
現在、酒造りを担っているのは杜氏の織田和明さんと、副杜氏の首藤敏孝さん。長く蔵を支えてきた杜氏と、蔵元家の次男として新しい酒造りに挑む若い世代。二人の造り手が、それぞれの視点から酒に向き合っている。
長年の経験を礎に、伝統を守る杜氏

蔵の酒造りをまとめているのは杜氏の織田和明さん。先代社長であり現会長の首藤洋さんの時代から蔵に入り、長く酒造りを担ってきた。
成龍酒造の酒造りは、地元の米を基本としている。
「県内産がだいたい95%ぐらいですね。愛媛県産の松山三井としずく媛。この2つがメインです」。
松山三井は、愛媛県における伝統的な酒造りに適した米品種。もともとは食用米だったが、大粒で砕けにくいことから酒造りに重用されてきた。精米歩合を高められるため、淡麗辛口な酒造りに適している。一方、しずく媛は愛媛県独自に開発された酒米品種。華やかな香りと旨みがあり、やわらかな酒に仕上がるという。それぞれ性格の異なる米を使い分けながら酒を仕込む。

酒造りは毎年同じようでいて、実際には年ごとに条件が変わる。近年は原料米の状態も変化しているという。
「仕込みの過程において、酒米はもろみの中で溶けていくのですが、その塩梅が仕上がりを大きく左右します。最近は、夏の猛暑による高温障害の影響か、米が溶けにくい年が続いています。そのため、毎年状態を見極めながら、浸漬時間を長くしたり、水の量を調整したり麹造りを工夫したりして対応しています」
溶けにくい米の場合は、蒸米にしっかり水を吸わせることが重要になる。しかし、吸水を増やしすぎると、米が溶けすぎて雑味につながる可能性もある。吸水の量や浸しておく時間など、細かな調整を繰り返し、ブレのない味に仕上げていくのが杜氏の腕の見せどころだ。
酵母は愛媛酵母が中心。中でも優良な酵母として評価されている「EK-1(愛媛酵母1号)」を多く使用している。
「EK-1はフルーティーで華やかな香りを引き出してくれる酵母。程よいコクのある酒に仕上がります」
米、水、酵母。それぞれの個性を見極めながら、その年の酒を造り上げていく。
食事に寄り添う酒「伊予賀儀屋」

織田杜氏が中心となって醸す、蔵の代表銘柄が「伊予賀儀屋」だ。
香りの高い酒や甘口の酒が注目されることも多いが、伊予賀儀屋が目指しているのは食事の邪魔をしない酒だ。
「伊予賀儀屋は、食事と一緒に楽しんでもらえる酒を目指しています。お酒と料理がお互いを引き上げてくれるような、そんな酒が理想ですね」
グラスに注ぐと穏やかな米の香りが立つ。口に含むとやわらかな旨味が広がり、あとから静かに切れていく。派手な主張はないが、食事を口に運ぶともう一口飲みたくなる。
「多分、僕の作るお酒は少し古いタイプのお酒だと思います。でも僕はそれでもいいと思って造っています」。
長く蔵を支えてきた杜氏らしい、静かな自信がにじむ言葉だった。
柔軟な発想で挑む、副杜氏の酒造り

一方、副杜氏として酒造りに携わるのが首藤敏孝さん。蔵元の次男であり、社長を務める兄の英友さんとともに伝統を守り継いでいる。
「杜氏の酒は伊予賀儀屋として完成していると思うんです。でも、それとは違う酒もあっていいんじゃないかと思い、私なりの視点で酒造りを考えています」。
首藤さんがそう考えるようになった背景には、コロナ禍の出来事があったという。
「日本酒の流れが急に止まったんです。酒屋さんも飲食店さんも大変な時期でした。あのとき、僕らも一度立ち止まって、この先どういう酒を造っていくべきか考えるきっかけになりました」
その思いから生まれたのが、新しいブランド「TOSHI’S」だった。
日本酒への入口を目指す「TOSHI’S」ブランド

TOSHI’Sは、従来の賀儀屋とは少し異なる発想から生まれた酒だ。
「若い人にも日本酒を手に取ってもらえるような、入口が広いお酒を造りたいと思ったんです。TOSHI’Sブランドでは愛媛の「さくらひめ酵母」を多く使っています。さくらひめ媛酵母は、愛媛県酒造組合と東京農業大学、愛媛県の産学官共同研究により、愛媛県オリジナル品種の花「さくらひめ」から分離された清酒用の花酵母。試作のときに嗅いだ香りがすごく良くて、この酵母に決めたんです」。
瓶内二次発酵による微発泡の酒や、新しい酵母を使った酒など、これまでの蔵にはなかった挑戦も行っている。
「いろんなお酒の会に足を運び、お客様の生の声を聞いて、それを蔵に持ち帰って仕込んでみるということを繰り返しています」。
そんな首藤さんが目指すのは、人々の記憶に残る酒。味わいがあり、もう一口飲みたくなる酒だ。
地域を醸す酒「成龍然」
成龍酒造にはもう一つ、土地そのものを表現する酒がある。「成龍然」という銘柄だ。
この酒は、西条産の松山三井を全量使用し、仕込み水も西条の伏流水。酵母も愛媛酵母という、地域の素材だけで醸す酒だ。
「地域を醸して地域に還す、というイメージですね」と首藤さん。
口に含むと、米の旨味を感じるやわらかな香りが広がる。口当たりはなめらかで、甘味と酸味のバランスが整い、最後はすっと切れる。土地の水と米が、そのまま酒になったような味わいだ。すっきりとした味わいで食中酒として優秀な「伊予賀儀屋」に対し、「成龍然」はおおらかな自然の力強さを感じる味わいといえるだろう。
地元の米を確保することは年々難しくなっている。農家の担い手が減り、田んぼが減少しているからだ。それでも、蔵は地元の米と水を使った酒造りを続けていきたいと考えている。
石鎚山の麓で受け継がれる味
成龍酒造の蔵の一角で、もう一つの発酵の仕事が続いている。酒粕を使った味噌づくりだ。仕込んでいるのは、首藤敏孝さんのお母様である女将と、奥様。酒造りが落ち着く冬から春にかけて、家族で少しずつ仕込んでいる。
この味噌のルーツは、石鎚山の中腹にあった今宮地区にある。かつて石鎚山を御神体として信仰する人々が登拝する際、途中の宿で振る舞われていた味噌汁に使われていた味噌だ。
その作り方を知っていたのが、地域にただ一人、蔵人たちとも交流がある幸(みゆき)おばあちゃんと慕われる女性だった。
みゆきおばあちゃんの酒粕味噌

幸おばあちゃんは大正15年生まれ。今宮地区で生まれ育った。幼いころから体の弱かった母親に代わり、味噌づくりを手伝っていたことから、自然とその製法を身につけたという。
その後、今宮の集落を離れて西条市内に住むようになり、味噌づくりをやめていた時期もあった。しかし二十年以上の時を経て再び味噌づくりを再開。もうすぐ百歳を迎える今も、味噌の季節になると一人で仕込みを続けている。
この味噌づくりを受け継ぎたいと手を挙げたのが、成龍酒造の女将だ。
「酒粕の味噌があるという話は10年以上前から聞いていました。でも作り方を知っているのは、みゆきおばあちゃん一人だったんです」
縁がつながり、味噌づくりを教えてもらうことになり、「百年伝承秘境味噌」として商品化することになった。
手仕込みの味わいを守り続ける
「百年伝承秘境味噌」と名付けたこの味噌の最大の特長は、酒粕を使って仕込むこと。酒粕仕込みの味噌は日本でもほとんど例がなく、その製法は特許も取得している。
材料は、西条産の大豆、成龍酒造の酒粕、米麹、そして塩の4つだけ。余計なものは一切使わない。酒粕のほのかな甘みと、奥行きのある味わいを出している。
大豆は手でつぶせるほど柔らかく煮てからペースト状にし、麹と酒粕と塩を混ぜて味噌団子を作り、桶に詰めて発酵させる。大豆の煮加減や手ごねの感触など、細かな工程にはすべてみゆきおばあちゃんのやり方が息づいている。
大量生産はしていない。まずは味と技術をしっかり受け継ぐことが大切だと考えているからだ。
「私たちの世代がやらなかったら、この味は消えてしまいますから」
その言葉には、石鎚山で育まれた食文化を守りたいという思いが込められている。
経験と挑戦を重ねて

成龍酒造の蔵の中には、さまざまな時間が流れている。杜氏として長年酒造りを支えてきた織田和明さんの経験と、これからの酒造りを模索する副杜氏・首藤敏孝さんの視点。そこに、女将が受け継いだ秘境味噌の仕事が重なり、蔵の営みは一つの物語のように続いている。
「僕たちがやりたいのは、ものづくりのストーリーを伝えていくこと。酒造りもそうですし、味噌もそう。先人が残してくれたものを、きちんと次の世代に渡していきたい」。そう首藤さんは思いを込める。

酒造りの世界では、技術はデータだけでは測れない。米の状態を見て浸漬時間を決めること、蒸米の具合を手で確かめること、発酵の進み方を感じ取ること。そうした感覚は、長い時間の中で体に染み込んでいくものだ。
だからこそ蔵では、経験と挑戦の両方を大切にしている。織田杜氏が守ってきた酒の軸があり、その上で首藤さんが新しい発想を重ねていく。伝統を守ることと、新しい酒を生み出すこと。その両方があってこそ、蔵の酒は未来へ続いていく。



