愛媛県砥部町で生まれ、250年の歴史を誇る「砥部焼」。現在は約80軒の窯元があるが、その一つが亀田茂樹(緑光)さんと、息子の茂友さんが営む「緑光窯」。砥部の土の特性を活かした、これまでにない青白磁の表現を追求している。
砥部焼は、250年にわたり手仕事を貫いてきた

愛媛県砥部町周辺で作られる砥部焼は、江戸時代中期から受け継がれる陶磁器だ。その始まりは安永6年(1777年)、この地を治める大州藩主・加藤泰候(やすとき)が、新たな特産品として磁器作りを命じたことから。砥部は古くから「伊予砥」と呼ばれる砥石の産地であり、砥石を切り出す際に出るくず石を原料にできないかと考えたのだ。その開発を任された杉野丈助は、失敗を重ねながらも安永6年(1777)に磁器の焼成に成功。これが砥部焼の始まりとなった。

江戸時代には他藩からの情報も少なかったため、独自の技術のみで発展していったが、明治時代には京都や唐津などの技術が導入され、大正初期には「伊予ボウル」と称された茶碗が海外で好評を博し、輸出が生産量の多くを占めるなど大きく発展した。戦後、近代化のあおりを受けて衰退した時期もあったが、昭和28年(1953)に民芸運動の推進者である柳宗悦、浜田庄司らが砥部を訪れたことが転機に。他の産地が機械化に舵を切るなか、手仕事を貫く砥部焼の良さが再評価されたのだ。彼らの指導のもと、厚手の白磁に呉須で唐草文様や菊絵を描く現代の砥部焼の原型ができあがった。昭和51年(1976)、砥部焼(白磁、染付作品、青磁、天目[鉄釉]の4種類)は国の伝統的工芸品の指定を受けた。
半世紀続く、砥部焼の窯元

緑光窯は昭和49年(1974)、茂樹(緑光)さんが開窯した。窯を開いた当初の場所が緑豊かだったこと、また茂樹さんが作陶を学んだ「放光窯」の名前にちなみ、「緑光窯」と名付けられた。
茂樹さんは日本伝統工芸展、日本陶芸展など数々の入選歴を持ち、2019年に愛媛県指定無形文化財に登録された名工だ。現在の工房は砥部町北川毛に構え、販売&ギャラリーも兼ねている。普段使いの器から夫婦茶碗、大小さまざまな花器まで、また伝統的なものから新しい作風のものまでが幅広く並ぶ。
父を師匠に歩み始めた陶芸家の道

父を師匠に、茂友さんは26歳のときに陶芸家の道を歩み始めた。青白磁彫文の作品により、日本伝統工芸展、日本陶芸展などで多数の入選歴を持つ。
砥部焼の多くは日常に使われる器だ。「うちでも製作のメインは食器です。あとは展覧会へ向けて大作に挑戦しています。器の大きさに迫力がありすぎると、それに負けないデザインをしないといけないので、その匙加減も難しいところです」と茂友さん。
彫刻で文様を施す彫文や、釉薬をグラデーションのように施す釉彩などの多彩な技法を駆使し、新しい表現へと挑戦し続けている。
土地のものを使う。制約があるからこそ生まれる深み

砥部焼の特長は、透明感のある白く美しい磁肌。これは砥部ならではの土が影響しているという。
「砥部焼は、有田焼のように真っ白ではなく、少しグレーがかっています。なので絵付けも、この土の特長を生かす必要があります。有田焼の土で唐草をやっても、発色が違うのです」と茂樹さん。
砥部の土は鉄分が含まれているため、青く発色しやすい特性があるという。「結局、土に合うものをしていると自然とこの形になった。それが砥部焼」という言葉からは、長年の経験に裏打ちされた確信が感じられる。

昨今は原料を他から取り寄せる磁器の産地も増えており、真の意味で“産地”というものが失われつつあるように思えるが、二人はあくまでも砥部の土を使うことを徹底している。
「一つの制約があれば、その範囲内で深く追求していくことができる。なので私は制約があった方がいいかなと思います。これまでの砥部焼にはないようなアプローチができれば、自分の新しい表現になる。そこを10年ぐらいは追求しています」と話すのは息子の茂友さん。どこまでも愚直に、自身の表現を突き詰めている。
青白磁の可能性を求め、自分にしかできない表現を

緑光窯の代名詞ともいえるのが、透き通るようなブルーの濃淡が波打つように広がる青白磁。
青白磁は、白い石を原料とした磁器土から作られ、素焼した器に鉄分を少し含んだ釉薬をかけて焼いた作品だ。刻まれた模様の部分に溶けた青色の釉薬がたまって美しい水たまりのような表現を生み出す。
青白磁の難しさは、釉薬をとても厚く塗るため、焼いている間に器に負担がかかり、割れやすいところにある。分厚く釉薬をかけたほうが濃淡が際立って美しいが、かけすぎると意図せぬところに流れてしまう。この見極めが職人の腕の見せ所だ。

波打つように施された文様は、彫刻によるもの。茂友さんは丸い彫刻刀で彫った後に磨きをかけて滑らかにし、そこへ釉薬をかける。
「焼いたときに釉薬が多少溶けて流れるので、山になっているところの釉薬が左右に少し流れる。その流れてきた分が谷の部分にたまって色が濃くなる。それでグラデーションが生まれるんです」
これは海の水と同じ原理だという。「海水をすくったら透明ですが、海自体は青く見えるように。同じ釉薬をかけても、その厚みでこれだけ違いが出るんです」。

あらかじめ釉薬の流れ方をイメージして作るものの、焼き上がって窯から引きあげるまで、できあがりはわからない。絵付と違い、色で明確にデザインできないからこその面白みと難しさ。それも陶芸の醍醐味の一つだと二人は口を揃える。
手に馴染む器を目指して

砥部焼は日用の器。だからこそ茂友さんは使い手の目線も大切にしている。彼が作る青白磁の湯呑みは、彫刻により表面に凹凸があるため、熱いお茶を入れても全体に手が当たることがなく持ちやすい。そこに用の美を感じる。
「食器は手に持って使いますから、選ぶときはぜひ手に取ってもらい、しっくりと馴染むものを選んでもらいたい」と話す。
次世代へ、技術継承への想い

近年、後継者不足、高齢化などで閉業する窯元も増えつつある。「窯元の高齢化は顕著に感じています。次の世代をどう育てていくかが大きな課題ですね」と茂樹さんは危機感を抱く。
砥部焼を修める道のりは長い。特にシンプルなものほど難しく、焼き上がりを想定した細やかな技術が求められる。
「最初は失敗も多く、くじけそうになることもあります。ですが、そこを乗り越えないと技術は身につかないんですよね。自分の表現ができるまでの基礎をちゃんと身につけることが大事。技術の引き出しを用意しておかないと、そのうち行き詰まってきますから」と茂友さん。
砥部の土と共に、伝統を超えて新たな表現を求め続ける。黙々と作陶に取り組む二人の背中からは、250年の歴史を誇る砥部焼への深い愛情を感じた。



