古の名品に挑む。やきものへの興味は尽きることなし「不言窯」/愛媛県今治市

愛媛県今治市を拠点に作陶を続ける「不言窯(ふげんがま)」の池西剛さん。奈良・平安から江戸初期にかけての古いやきものを読み解き、翻訳し、自身の感性で編集し表現する。独自の視点でやきものに向き合い、その本質に迫る池西さんの思いに触れた。

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偶然の出会いに導かれ、やきものの道へ

池西さんがやきものに出会ったのは、19歳の頃。図書館で偶然手に取ったやきものの本に載っていた一つの茶碗。それは志野焼の「羽衣」という名の茶碗だった。やきものとは無縁の人生を送ってきた池西さんが、数百年前の茶碗に、すっかり心を奪われてしまったのだという。

当時は東京で生活しており、音楽活動に情熱を傾けていたが、気付けば骨董店を巡るようになっていた。最初に手に入れたのは、李朝時代(1392年〜1910年まで続いた朝鮮王朝)のひび割れた壺。その壺を手に取り、時間さえあれば眺め続けたという。

「どうしてこんな質感や造形の線が出るのだろう」と、見れば見るほど疑問はふくらむばかり。骨董屋やギャラリーでたずねてみても納得のいく答えは得られず、書籍を読んでもどこか腑に落ちない。そうしてあるとき「だったら自分で作ってみれば、わかることがあるかもしれない」と思い至り、土に触れはじめたという。

技法より、体感を通して学びを得る

「知識は決して興味を上回ってはいけないと思っているので、とにかく体感を求めました。今でもそうですが、自分の仕事から教わることって多いんですよ」。

池西さんのやきものに対するスタンスは、理論ではなく実体験に基づいている。

瀬戸美濃や丹波備前、そして韓国など、さまざまな産地をたずね歩き、古くからの技法を守る窯元で土に触れ、火にあたり、道具を手にした。「現場で何を感じ取れるか」が、作陶における最大の学びだと考えている。

そのうちに作品を欲しいという人が現れ、個展の声がかかるようになった。やきものに本腰を入れ、作陶を生業にすることに決めたのは27歳のときだった。

東京から、ゆかりの深い地・愛媛へ

大阪に生まれ、東京で音楽活動に打ち込んだ池西さんだが、やきものを続ける中で、自身のルーツに立ち返るように、親の故郷でもある愛媛県へと拠点を移した。高校時代には西条市で過ごした経験があり、移住はまったくの未知というわけではなかった。

自然に囲まれた土地と静かな環境は、ものづくりに没頭するにはうってつけだったのだろう。

以降、現在まで愛媛県今治市に窯を構え、制作を続けている。

やきものに刻まれた人間の営み

池西さんにとって、やきものは人間の情報が凝縮された存在であるという。

「やきものは、人が手を動かしたそのままが焼き固められています。時代背景や、使われた環境、作り手の思いまで、すべてがそこに記録されている。これほど人間の情報を持ったものは他にないのではないかと、やればやるほど思うようになりました」。

特に関心を抱くのは、奈良・平安時代から江戸前期にかけてのやきもの。その時代には文献資料は乏しいが、「もの」が残っていることにこそ意味があるという。

「作品を見ることは、情報を読み解き、引き出す作業。その意思さえあれば、やきものはいくらでも情報を提供してくれるのです」。

作陶は翻訳であり、確認作業

古のやきものを見つめ、自身が惹かれたものを自分なりに翻訳し、現代の感性で編集する。池西さんにとっての作陶は、確認作業だという。

「ただ人様に見せる必要がないのであれば、読み取って自己満足していればいいんです。でも人前に出す以上は、それを編集して翻訳しなくちゃいけない。翻訳とは、感じたことをそのまま伝えるのではなく、形にしてまとめる作業。人様に買っていただくうえでは、自分が良いと思うものの領域に入れなくては、と否が応でも思います。同等とか上回るとか、そんなおこがましいことではなくてね」。

はじめから陶芸家を目指したわけではなく、これまでに目指した覚えもない。

あくまで「陶磁器製作者」と自身の肩書きを語るのは、やきものとの出会いから変わらぬ姿勢があるからだ。

やきものは素材がすべて。僕らは編集するだけ

やきものの出来は素材に左右される。窯選びも、詰め方も、焼き方も、すべては素材ありきで決まる。

素材を活かすことこそが作陶の要。そう考える池西さんは、それぞれの産地、素材から見直すことに取り組んでいる。

不言窯には、窖窯(あながま)、登り窯、小型のガス窯の3種類がある。素材や表現したいやきものに応じて使い分ける。ガス窯の方がむしろ難しく、思い通りに焼くには繊細な調整が必要だという。

「焼成によって生じる窯変(ようへん)は、まさに天然の化学反応の妙。昔の人は、考えるよりも前に、そこにあるものを生かしていた。それを今の人たちは現代に即した技法で見ようとするから難しくなる。現代はおそらく、人間の動物としての能力が衰えたぶん、化学などが発達するというバランスになっているのだと思います」。

同じ熱量で付き合えるギャラリーと共に

現在、作品を直接取り扱うギャラリーは、愛媛県西条市の「ギャラリーラボ」の他、信頼できる2か所に絞っている。さまざまなギャラリーと関わってきたが、やきものへの熱量が釣り合う関係でなければ長くは続かないと感じてきた。

「作る側と売る側、立場は違ってもやきものに対する思いが同じでなければ、良い関係は築けない。商売ではあるけれど、人間同士のやり取りでもあるから、共鳴できるパートナーが必要なのです」。

たとえ知識的には詳しくなかったとしても、それを伝えようという熱意があるか。見る人とやきものの間に立つギャラリーは、作り手にとっても大切な存在だ。

2度と同じことはしない。それが自分のルール

作陶の原点が「確認作業」であることから、二度と同じ方法ではやらないというのも池西さんのルールだ。

「土を触ってない時間には、素材の合わせ方、焼き方や造形の細部なんかを考える。これはなかなか重要なことで、実際の作業よりも大切だと思っています」。

素材、道具、技法…、すべての要素が絡まり合うこの世界で、毎回一度きりの作陶に臨む。

窯変も、偶然ではなく必然であり、コントロールする技術と感性が求められる。そのために「見る、翻訳する、編集する」という確認作業を重ねている。

「やればやるほど、自分が今までさほど興味のなかったやきものにも興味が出てくるし、新たな発見がある。だから飽きるということはないですね。ですが、作ることは嫌ではないけれども特に楽しいと思ったこともない。本当はやきものを作るより、見たり使ったりするほうが遥かに好きなんです」。

やきものを見て、使って日々を過ごす至福

「自分がやきもの作りを生業にしているお蔭で、ほかのやきものを買ってきたり、古いやきものを手に入れたりすることができる。自分で作ったものを人様が買ってくださる。私はそのお金でやきものを手に入れて、そこから情報を得て、その情報を自分が編集した上で形にする。それをまた人様が買ってくださる。作る行為と、手に入れる行為とが循環していくわけですよね」。

そうして手に入れた器を最初に使う瞬間、それが人生最大の喜びなのだとか。

「その日の仕事が終わって、お酒を飲むときに、今日はどの徳利とぐい呑みを選ぼうかなとか、もうこれが最高に楽しいわけです」。

公私共にやきもの一直線な池西さんの好奇心は、尽きることはないのだろう。

「まだまだやらなきゃならないことが多すぎて際限ないので、今後何をやるかではなく、何をやらないか?ということが難題です」。その言葉の奥には、静かに燃え続ける情熱と、果てなき探求心が宿っている。

ACCESS

取材協力:ギャラリー ラボ
愛媛県西条市大町708-3
TEL 0897-47-3207
URL https://gallerylabo.jp/ja/
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