醤油は日本人にとって欠かせない発酵調味料である。しかし昨今、その製造を行う醤油蔵は減少傾向にあり、1955年に約6,000社以上あったメーカーも現在では約1,100社までに減少。伝統産業の衰退が懸念されている。そんな中、伝統ある蔵を復活させ、自分の手で醤油を造る挑戦を続けているのが福岡県糸島市の「ミツル醤油醸造元」の城(じょう)慶典さんだ。
自社醸造を行っていないことを知り、醤油づくりを決意

日本に醤油メーカーは数あれど、自社で原料処理から搾りまでの一貫した醤油製造を行っている会社は少なく、ほとんどのメーカーがもろみを搾ったまま、加熱処理やろ過をしていない「生揚げ(きあげ)醤油」と呼ばれる醤油を、醤油協業組合やメーカーから原料として仕入れ、火入れや味付けのみを自社で行い、製品化している。これは1963年に制定された「中小企業近代化促進法」によるところが大きい。当時、日常に欠かせないものを効率的に生産するために国が地域の組合やメーカーなどを助成。設備投資により大規模生産が加速した一方、小さな蔵の多くは自社醸造をやめ、仕入れに転じた。ミツル醤油もそんな一軒だった。
幼い頃から醤油の香りの中で育ってきた城さんは、自然と自分が家業を継ぐと思っていた。しかし、農業高校時代の職業体験で醤油組合の大きな工場を訪れた際、はじめて醤油の具体的な製造方法を知る。「蒸した大豆の匂いを嗅ぎ、麹やもろみについても学んで“醤油ってすごいな”と思ったんです。その反面、自分の家で醸造をやっていないことを寂しく感じ、いずれ自分で醤油をつくりたい!と強く思うようになりました」。高校卒業後は東京農業大学の醸造科に進学。改めて醤油作りを学ぶ日々が始まった。
「学生のうちに!」と全国の醤油蔵を武者修行

醤油づくりへの道を歩き始めた城さんだったが、ミツル醤油は醸造をやめてから30数年が経っていたため、家族からノウハウを教えてもらうことも叶わず、工場に醸造設備もなかった。そんな状況の中、学生だった城さんが考えたのは全国の蔵を巡り、醤油づくりを学ぶこと。
「大学に進学した時からやりたいことが明確だったので座学に励む一方、醤油の仕込み期間と重なる春休みなどを利用して、大学の先生に紹介してもらったり、百貨店の催事などで出会った醤油蔵に『1週間だけここで学ばせてください!』と頼み込み、研修を受け入れてもらいました。家業に入ったら、他のメーカーさんに研修をお願いするというのはハードルが高いので、こういう動きは学生の今しかできないと思い、行けるだけ行こうと思ったんです」。
こうして卒業までに7軒の蔵を巡り、各蔵の醤油づくりを学んだ。卒業後は広島の「岡本醤油」で1年間修業し、糸島に帰る前に醤油づくり周辺について学ぶため、東京のフードコーディネーター養成スクールに入学。福岡に戻ってからは事業復活に向けて着々と準備を始めた。
眠っていた桶を直し、麹室を建てることからスタート

こうして満を持して実家に戻った城さんだったが、培った知識や経験を生かそうにも工場には醸造環境が整っていなかったため、その挑戦はまず設備を整えることから始まった。
職人の手を借りて倉庫に眠っていた木桶を修理し、麹づくりのための室も新たに建てた。「大豆を蒸す釜ひとつなかったので、本当にいろんなプロの手を借りました。木桶は大阪にあり、日本で唯一、伝統的な製法で大型の木桶を製造できる桶メーカー「藤井製桶所」の職人さんに来ていただきました。使えるものは修理してもらいましたが、残っていた5個のうち使えたのは2個だけ。まずはその2個を使い、徐々に増やしていきました」。こうしてしばらく眠っていた桶が生き返り、約40年ぶりに仕込みが始まった。
過去から現在へ。酵母がつなぐ先人からの醤油づくり

城さんは大学時代、ミツル醤油が昔、自社醸造を行なっていた際に桶から飛び散ったもろみが付着していた蔵の柱から酵母を取り出し、培養して冷凍保存していた。初めての仕込みの際にはこの酵母も使い、ミツル醤油の歴史をつないだ。そんな効果もあったのだろうか、2013年2月に醸造復活後初となる濃口醤油「生成り、」を発売すると「素晴らしい醤油が誕生した!」と日本各地から賞賛の声が上がった。
「修業先の蔵のみなさんや、東京時代に知り合った料理雑誌の編集長やライターのみなさんなど、食に精通したたくさんの方々がうちのことを紹介してくださいました」。その評判は口コミで広がり、有名寿司店やフレンチレストランなどでも使われるようになった。
ちなみに「生成り、」という銘柄にしたのは「こだわり醤油って“国産大豆”とか“木桶仕込み”とかパッケージに伝えたい情報がたくさん載っていますが、自分はシンプルな感じにしたかったんです。地元糸島の原料で手造りの麹、木桶仕込みという昔ながらの製法ですし、ピュアな印象を表現する言葉として「生成り、」を採用しました」という理由からだそう。
原料はメイドイン糸島の原料と沖縄の塩。無農薬醤油や新感覚醤油にもチャレンジ

初出荷から11年。現在、城さんのつくる醤油は地元福岡や東京を中心に多くの人や飲食店で愛され続けている。原料は地元糸島産の大豆(フクユタカ)と小麦(ミナミノカオリ)、塩は沖縄産のシママースを使用。販売しているのは濃口、うすくち、再仕込みのほか、無農薬の濃口、そしてオレンジと呼ぶ色のうすい醤油だ。「無農薬は仕込みを始めた当初から地元農家の協力でチャレンジしていたのですが、土壌の問題などで生産をストップしていたんですが、料理研究家の辰巳芳子先生とお会いした時に“なんで作らないの!”と喝を入れられました。そんなきっかけをもらい、九州産の無農薬大豆で再びつくり始めたんです。オレンジは2023年から発売を開始した新しい醤油で、もろみが乳酸菌・酵母の発酵を始める前に搾ったものです。醤油の新しい風味を楽しんでいただけると思います」。実際にオレンジを舐めてみると、味はしっかりとしているのに醤油の香りが強くなく、麹独特の甘さが広がる。醤油であって醤油ではない、新しい調味料のような印象だ。
「醤油づくりを始めて、なぜ多くの人が醤油づくりから離れていくのかがよくわかりました。昔ながらの方法で仕込んでもビジネス的に厳しかったり、手間暇もかかる。決して楽な仕事ではありません。でも、自分はやっぱり手造りの自社醸造にこだわりたい。もろみを販売したり、搾りかすをふりかけに加工するなど、醤油づくりの段階でできるものも無駄にせず全部活用したいし、オレンジのような新しい醤油の可能性も追求していきたいと思っています」。今後も大規模化することなく、今の規模感で醤油づくりに励んでいきたいという城さん。今後、ミツル醤油がどんな醤油を発表するのか、醤油業界、料理業界、リピーターたちなど多くの人が注目し続けるのは間違いなさそうだ。