とちおとめやスカイベリー、とちあいかなど、全国的にも有名な品種を生み出し、いちごの生産量日本一の栃木県。その県内でさらに、生産・販売量もトップクラスの市町村が真岡(もおか)市だ。そこには、日本全国だけでなく世界をも目指し、「栃木のいちご」を作り続ける農家がある。
「いちご王国栃木」の首都「真岡(もおか)」のトップランナー
栃木県の南東部に位置し、関東平野の北のはずれにある真岡市。西には鬼怒川(きぬがわ)が流れ、東には八溝産地が連なる自然に恵まれた地域でもある。豊かな土壌と大都市圏へのアクセスの良さも相まって、首都圏への出荷を目的とした農業も盛ん。栃木県は50年以上いちごの生産量日本一だが、市町村単位で見ると真岡市が全国1位。冬の日照時間の長さ、寒暖差の大きさ、豊かな水などの特徴を持つ自然環境がいちご栽培に適しているという。いちごを栽培する農家は市内に400戸以上あり、2023年には「いちご王国栃木」の「首都」を宣言するほど、市をあげていちご栽培に力を入れている。
真岡市にあるいちご農家「ベリーズバトン」。165アールという東京ドームを超えるほどの広大な敷地でいちごを栽培し、栃木県においていちごの出荷量・販売額は12年連続1位(2024年現在)。2022年には、農業経営の改善等に取り組み、社会に貢献する農業者や団体を表彰する「栃木県農業大賞」の「農業経営の部」において大賞を受賞するといったの実績も。そんな注目のいちご農家を率いるのは、代表の新井孝一さんだ。
「聞いていたのと違う」。想像以上に大変だけど……。
代表の新井さんは、50年以上続くいちご農家「新井農園」の3代目として生まれた。高校生までは野球に打ち込み、プロを目指したがケガによって断念。父からの後押しもあり家業を継ぐことに。
まだ若かった新井さんがまず目標にしたのは「お金を稼ぐこと」。父からもいちごはお金になると聞かされていたが、いざ仕事をはじめてみると「聞いていた話と違う」と愕然。従業員はほとんどおらず、朝から晩まで休みなく働きっぱなし。その上給料も安く「稼ぎたい」という願いにはほど遠い。
「辛い」という思いの一方で、農業にはおもしろさも感じていた。野球に励んでいた時は、自分の身体のために「どんな栄養をどのくらい取るか」、「どんなトレーニングをすれば身体に対して効果的か」を常に考えていた。それはいちごを育てることにも似ていて、「どういう栄養素を与えればたくさん花が咲くのか」、「どういう肥料を使うと実が固く大きくなるのか」そのメカニズムを考えるのがおもしろかった。
自分の考えた方法を色々と試してみたい新井さんと、父とはたびたび衝突。長年の習慣や感覚だけで続けていることを変えたいと提案したが「うまくいかなかったらどうする?」と言われてしまう。そんなとき「だめだったら給料いらないよ!」と啖呵を切る場面もあったという。「若さゆえ、尖っていたんですね」と照れ笑いする新井さんだが、当時からいちご栽培への情熱の強さがうかがえる。
人が減るのは当たり前?子どもに誇れる仕事をしたい
他の人よりもおいしいいちごを作るためにはどうしたら良いか、たくさんの量を収穫するにはどうしたら良いか。考えている人といない人では、圧倒的な差が出るはずと信じていた新井さん。最初こそ親子の衝突はあったが、対話を重ねる中で自分の裁量を増やしていき、そこで肥料や水など変更や調整など試行錯誤を繰り返しながら栽培技術を身に着けていった。
それでも、人もあまり雇わず自分の身体一つでやるのは正直大変なこと。当時から農業人口の減少が業界の課題ではあったが、自分でやってみて改めて「これは人が減るのも当たり前だ」と痛感したという。
農業の厳しい就労環境を経験した新井さんは、いちご生産の仕事を未来の子どもに誇れる仕事にしたいと感じるようになった。次の世代、また次の世代へと「バトン」を繋いでいきたいという願いを込めて、前身の「新井農園」から、自身が代表となる「株式会社ベリーズバトン」を設立した。
誰のために、どの品種を育てるのか
ベリーズバトンで生産するいちごは、「とちおとめ」と「とちあいか」の2品種。「とちおとめ」は酸味と甘味のバランスが良く、全国的にも有名。栃木県内での作付面積も約8割を誇る、県を代表する品種だ。一方「とちあいか」は、2019年秋ごろから市場に出回りはじめた比較的新しい品種。酸味が穏やかで、その分甘味を強く感じられるのが魅力。とちおとめと比較すると作付面積は2025年産では県内の8割程度と急激に増加している。病気への強さと収穫量の多さも農家から支持され、とちおとめに変わる新しい栃木を代表する品種だ。
栃木県には「スカイベリー」や「ミルキーベリー」など多くの品種がある。それでも、あえてこの2品種に絞って生産している。重要なのはたくさんの量を収穫できること。そして、シーズン中に安定して品質が保ちやすい品種であること。収益性や効率性という側面もあるが、何より「おいしいいちごを、より多くのお客様に届けたい」という思いを叶えるため、あえてこの2品種に限定している。
規模が大きくなった背景にあったもの
現在ベリーズバトンの栽培方法は、地面の土で育てる「土耕栽培」と、1mほどの高さのベンチの上で、水と液体肥料で育てる「高設栽培(水耕栽培)」の2種類。高設栽培に関しては、「水と肥料のバランスを見極めないと味が良くならない」という理由で、もともとは「土耕栽培」のみだった。
「土の力は偉大で、しっかりと土作りをすればおいしいいちごができます」と新井さん。ベリーズバトンの土には有機100%の完熟堆肥を使い、毎年すべてのハウスで土壌分析を徹底しているそう。
しかし「高設栽培」は収穫の際に腰を屈めなくて良いといった作業上のメリットも大きい。そのためベリーズバトンでも、おいしいいちご作れる肥料や水の配分、管理方法などを研究し、高設栽培を導入を進めることになった。「たくさんの人にいちごを供給したいと考えると、自分たちの作業性や機械化を見通していちご作りをやっていかなきゃならないと思っています」。
ほかにも、光合成がより良くできるために必要な「炭酸ガスの発生装置」や、常にハウスの状態を管理できる「温とう管」「温度計・地湿計・CO2計」など、最新鋭の設備や機械も積極的に導入。外部の研修や指導も受けながら、より良い生産体制を作るべく改善を繰り返している。
また、日産自動車から生産性向上のための指導を受けたり、人材育成や労働環境の見直しを行ったり「いちごを作る」ということだけに留まらず、会社という観点でも随時見直しや改善を進める。
そうした取り組みは、いちごの品質を安定・向上させただけでなく、収穫量の増加や人材の確保にもつながり、農家としての規模拡大を実現させた。
「おいしいいちご」とは、どんなもの?
新井さんにスーパーなどの小売店で「おいしいいちご」を見分けるポイントを聞くと「色・つや・ハリ」の3つを挙げてくれた。
生産量がどれだけ増えても、やはり「おいしい」という味の観点は最も重要。新井さんは全国各地のいちごを食べ比べ、日々味の研究にも余念がない。また自身が作ったいちごも毎日食し、最終的には自分の舌で味の管理をしている。
新井さんが「おいしい」と思ういちごは、甘味と酸味、そして「うまみ」を感じるものだという。新井さんの言葉を借りれば、食べたときに「奥深さが引き出されるような味」だと言い、それを目指し、より良い栽培方法を検討し続けている。
いちご農家として、これからの夢
ベリーズバトンのいちごは主に市場へ出荷され、スーパーなどで買えるほか、自社のECサイトでの直売も行っている。さらにはふるさと納税返礼品にも選ばれるなど、気軽に食べるものから贈答用まで、幅広く対応できる。
現在の夢は「ベリーズバトンを『いちごの会社』として、栃木を代表する会社にし、世界にいちごの魅力を発信できるような会社にしたい」ということ。
いちごの生産はおもしろい。しかし次世代にバトンを繋ぐには、経営もしっかりしないといけないと考える新井さん。今後もいちごの収穫量を増やし、多くの人にいちごを届けたいという。直近では、レストランなどの飲食店に向けて、下処理をした一時加工品の販売計画も検討中。ゆくゆくは海外へいちごを輸出するための、方法や国ごとのニーズの違いも勉強中だ。
新井さんは1984年生まれの40歳。「歳をとって身体が動かなくなる前に、また自分の身体一つで、経費も度外視して、最後に自分が「これだ」と思ういちごを作ってみたいですね」と笑う新井さん。人生のラストステージでやりたいことも「いちご栽培」だと言うから、きっといちご農家は天職だったのだろう。まだまだこれからも走り続ける新井さん。手の中には、未来へ繋ぐ真っ赤ないちごのバトンがキラキラと輝いている。