木工芸の伝統技法のなかでも最も古い歴史を持つ刳物(くりもの)は、ノミやカンナで木の塊を削り出していく技法。木工作家・川口清三さんの手にかかると、木目がまるで絵の具で描いたかのような美しさを纏い、躍動感あふれる刳物ができあがる。1992年に初入選を果たした国内最大規模の工芸展「日本伝統工芸展」以降名だたる工芸展でたびたび受賞を手にし、2020年には紫綬褒章(しじゅほうしょう)受賞、2022年には受賞者の多くが人間国宝に認定され、極めて権威のある「伝統文化ポーラ賞」優秀賞を受賞した川口さん。愛知県刈谷市にある工房を訪ねた。
大学で工芸を専攻し、建具の世界に
川口さんが木工の世界に足を踏み入れたのは大学時代だった。小さい頃からモノを作ることが好きだった川口さんは、愛知教育大学の美術科に進学。3年次で工芸を専攻し、さまざまな素材を扱っていくうちに、木工に興味を持つようになった。その思いを汲んだ当時の先生に連れられ大学のあった刈谷市内の建具店を何度か見学するうちに、建具の仕事に興味を持つようになり、アルバイトで働くことに。その働きぶりを買われ、そのまま従事していた建具店に就職した。
建具の仕事をしながら、刳物を独自に研究
建具とは、扉や障子、ふすまなど、部屋や外部との仕切りに使われるもの。就職して建具作りの仕事に邁進した川口さんは、空いた時間を使って刳物を作るようになった。なぜ刳物だったのか。はっきりとした理由はないそうだ。「たまたま手に入ったのが刳物に適した材料だったからかな」と川口さんは当時を懐かしむ。
刳物で最初に作ったのは、短歌などを書くための短冊を入れる長方形の箱「短冊箱」だったという。
「作ってみたら、おもしろくて」と顔をほころばせる川口さん。すぐさま刳物制作の虜となったそう。その魅力を語る姿は、まるで子を想う親のようだった。
建具とは扱う道具も作り方も異なるため、このジャンルに知見のある人からコツを教わったり、カンナなど道具を扱う専門業者に聞いたり、漆業者のもとへも足を運んだり。川口さんの刳物に対する興味は尽きることがなかった。
こうして徐々に道具を揃えていき、次第に国内最大規模の工芸展「日本伝統工芸展」をはじめとする展覧会へも出品するようになった。1992年に初入選を果たして以降、何度か受賞を手にしている。2020年には紫綬褒章(しじゅほうしょう)受賞、2022年受賞者の多くが人間国宝に認定されており、伝統と権威がある「伝統文化ポーラ賞」で最高評価である優秀賞に輝いた。実用的な工芸品でありながら、彫刻作品ともいえる斬新な造形力、そして木目の美しさを引き立たせる精確な技が評価された理由だ。
木を見て閃くことも、形から閃くことも
「素材を生かす」というのが工芸の基本であり、木工においては木目の生かし方が作品の魅力になり、職人の腕の見せどころでもある。木の塊を少しずつ削っていくことで、徐々に木目は変化していく。「その器の形に絵を描いていくような感じで、木目を削っていく」のだと川口さんは話す。自ら景色を作っていく感覚で木目を捉える。彼の目には木目が生きているかのように映っているのかもしれない。
工房には所狭しと木が立て掛けられているが、同じ種類の木といえども、木目の風合いはそれぞれ異なる。木の成長スピードによって年輪の入り方も異なれば、生育していた環境によって皺が入っていることもあるのだ。制作に使う木材は、乾燥させるのに時間がかかる。そのとき閃いたアイデアをすぐ形にできるよう、工房ではさまざまな種類の木材を乾燥させ、いつでも使えるように準備している。
貴重な神代欅(じんだいけやき)、御山杉(みやますぎ)
なかには希少性が高く、日本工芸展に出品する作品など作家たちがここぞというシチュエーションで使用する木材がある。1000年以上もの間、地中に埋まって保存されてきた「神代欅」だ。川口さんの工房にも置かれていた。渋さを感じさせる色や風合いが職人たちの間で好まれるまた、もうひとつ川口さんが自工房に大切に保管しているのが、伊勢神宮の神域内で保護されていた樹齢300年以上の「御山杉」。もともとは市場には出回らない木材であったが、1959年に明治以降最多の被害をもたらした伊勢湾台風により伊勢神宮でも多くの木が倒れ、それが保存されて一般の人たちも購入できるようになったのだ。大木であることから、年輪が細かくて繊細さを醸し出す。
モダンな雰囲気を醸す黒柿(くろがき)
そんな希少な木材に並び、すこし変わったカラーリングで目を引くのが黒柿だ。「これも不思議な素材なんですよ。」と川口さんは重宝する。木目ではなく、土から吸い上げた成分と木が反応することにより黒い模様が生まれる性質を持つ。自然を生かしているだけなのに、現代アートのようなニュアンスを感じさせるのが魅力だ。
止まらず、進化していくことが伝統
木材は、乾燥して使えるようになるまでにも、数年から、長いものだと10年以上掛かる。また、制作工程では漆を塗り、拭き取ってから乾燥させる「拭き漆」という作業を何度か繰り返すが、木材が水分を含んだときと乾燥したときで波打つなど変化するため、室(むろ)で湿気を与えるのも、室から出して乾燥させるのにも時間を要し、ひとつの作品を制作するのに長い時間を費やさねばならない。
材料費は高く、制作にも時間もかかる。そして作ったものが飛ぶように売れるかというと、そうでもない。このように、木工はお世辞にも見返りの大きい世界とは言い難い。それでも川口さんを突き動かすのは、手触りの心地いい木に触れるのが好きだという気持ち。生涯、木とともに歩むんだという強い心持ちは、木工をはじめてから一度もブレていないという。
また日本伝統工芸展などで評価されることもモチベーションになるという。「動きを感じられる作品にしたい」とこだわり続ける川口さんの作品は、木目がまるで絵の具で描かれているように生き生きとした躍動感を放っている。
川口さんは作業する時間も好きだが、新しいアイデアを考える時間こそ、楽しいのだという。木材を見ながらアイデアを膨らませたり、散歩して自然の風景や草花から着想を得たりもする。
木工とは異なるジャンルだが、現代アートなどの美術展で刺激を受けることも大いにある。世界の名だたるアーティストも、時代によって考えることも変われば、制作するものも変化していく。
「止まってはいけない。それが伝統なんだと思う」と静かな語り口ながらも、これからを見据え、熱い胸の内を覗かせる。