「漆塗り」と聞くと、多くの人が木の素材に漆を施したものを思い浮かべるが、陶器や磁器に漆を施す「陶胎漆器(とうたいしっき)」という技法がある。今では珍しくなった技術を活かして作陶を行う陶芸家・小野澤弘一さんの工房が陶芸のまち・益子にある。
里山の原風景が残る、陶芸のまち「益子」

小野澤さんの工房がある栃木県芳賀郡益子町(ましこまち)。栃木県の南東部に位置する自然豊かなこの町は、「益子焼」の名産地として有名だ。益子焼は江戸時代末期に、笠間で修行した大塚啓三郎が、この土地で良質な陶土を見つけ、窯を開いたことが始まり。
現在益子町には、大小さまざまな窯元が約160、陶器店は50軒あり、毎年5月と11月に開催される「益子陶器市」では地元の作家だけでなく、全国の陶磁器の窯元や、手芸、工芸、アクセサリー作家や飲食店まで多くの人が店を出す。普段は、静かでどこか懐かしい里山の風景を楽しめる町内も、陶器市の開催期間は県内外の車や人でごったがえすほどの賑わいだ。
この陶芸のまち「益子」に、小野澤さんが夫婦で移り住んだのは、2021年のことだった。
縁あって移住した栃木県で、作風のルーツに出会う

小野澤さんの生まれは東京。父が陶器を集めていたこともあり、幼少期から陶芸作品に触れることも多かったという。また、幼いころは粘土をいじったり、絵を描いたりすることも好きで、学生時代には作陶も経験。
心の中ではずっと「陶芸家」という仕事を意識していたそう。大学に入学し、具体的に将来の仕事を考えるようになると「陶芸家になりたい」という気持ちをより強く意識するように。「仕事をするなら、好きなことで頑張ってみよう」という気持ちが固まり、大学卒業後は岐阜県にある「多治見市陶磁器意匠研究所」でやきものに関する技術や知識を学んだ。
卒業後は2年ほどアルバイトをしながら作陶を続けたのち、知人から紹介されて移り住み開窯した場所が、益子から車で1時間ほど北上した場所にある、那珂川町(なかがわまち)の「馬頭(ばとう)」地区だった。
そもそも小野澤さんの作品は「益子焼き」ではない。当時は「関東圏内で、広く家賃の安い物件はないか」と検討していたところ、たまたま縁があったのが馬頭地区の物件だったのである。
しかしこの土地で暮らしたことが、現在の作風を生み出すきっかけにつながった。
縄文土器にも用いられた、陶胎漆器(とうたいしっき)
当初小野澤さんが手がける作品は、釉薬をかけず、高温でじっくりと焼く「焼締め」が中心。現在はその焼き締めたあとに、漆を塗って仕上げる「陶胎漆器(とうたいしっき)」という技法を用いた作品を多く生み出している。
当時住んでいた那珂川町の隣には、茨城県大子町(だいごまち)があり、大子町は「大子漆(だいごうるし)」と呼ばれる漆の名産地。茨城県は岩手県に次ぐ国産漆の産地であり、県産漆のほとんどは大子町で作られ、輪島塗などの高級漆器にも使われている。
偶然にも漆を身近に感じることになった小野澤さん。興味が湧いて調べてみると、縄文時代から漆を土器に塗る技法があったと知る。そこで、自分でもやってみようと始めたのが、今の作風のルーツになっているという。
2020年には、東京にもっとアクセスしやすい益子に空き工房を見つけ、2021年に夫婦で引っ越し。そこで日本画家である妻の法子さんと共に、夫婦それぞれが創作活動に励んでいる。
歴史や古いものに惹かれる

小野澤さんの作品は、漆だけでなく、漆と共に錫(すず)の粉を施した作品も手がける。「陶胎漆器と言ったほうが分かりやすいので、そのように言いますが、実際はそこにこだわっているわけではありません」。
歴史が好きで、古いものに惹かれるという小野澤さん。特に「弥生土器」が好きで、古代の人が削ったり磨いたりしてできた形は、柔らかさと同時にシャープさも感じられ、自分の作品にも取り入れたいと思うという。「当時の作った人の指跡が残っていたりすると感動しますし、古いものには当時の人の息づかいが聞こえる気がします」。
原始性と現代性の融合を目指して
作品は、まずろくろを引くところから。ほとんどスケッチはせず、作りながら考えてゆくスタイル。目指しているのは、ろくろで引いた「現代的なシャープさ」と土器のような「原始的なフリーハンドの柔らかさ」が融合したもの。
ろくろを引く際も、完全にシンメトリーなものは目指さない。食器は左右対称で「歪み」のないものが一般的だが、小野澤さんは、あえて歪みを出している。また、どの器も全く同じ歪み方にはせず、1つとして同じものがないように意識。さらには、表面には小野澤さんが好きな「弥生土器」の制作過程で施されていたという、割板や棒などで土器の接合跡を消したり、形を微調整したりする「ハケ調整」やハケ調整でできた線を消していく「ナデ調整」などの古の技法を施し、刷毛のあとや色の濃淡などの手仕事の風合いが残ったマットな質感に仕上げる。そこからさらに、4種5層の泥を塗っては乾かしを繰り返し、漆を塗る。そして最後は、ヤスリで表面を磨くことで、さらなる濃淡や多彩な質感を表現する。
非常に手間と時間のかかる作業ではあるが、機械であるろくろを使った「現代的なシャープ」なフォルムから更に、人間の手ならではの風合いや、古来からの技法を重ねることこそが、小野澤さんが思い描く「現代性と原始性」の融合した造形を実現するために、必要な作業なのだ。
小野澤さんは、自身の作品作りを「時間の経過を封じ込めるような感覚で作っている」と表現する。
実際、古びたものを再現する技術はたくさんある。一般人にも馴染み深いのはテーマパークで、その世界観を表現するために、遺跡や遺物、古い岩肌などを人工的に作り出したものが散見される。現代の技術を凝らした造形には目を見張るものがあるが、しかしそれはあくまで、限りなく本物に“似せた”模造品だ。
単純に古びた陶器の質感を出そうと思えば「層のように重ね塗って、まだらにしたり下地を出したりという変化を見せる技法もある」と小野澤さん。しかしそれで完成するのは、小野澤さんにとっては「表面的な古さ」でしかない。そうではなく、時を重ねた陶器や技術への尊敬を胸に刻みながら、小野澤さんの世界を通して「今」表現されるもの。まるで本当に時を重ねたかのような質感、それでいて古びず現代的な美しささえも感じさせるのは、小野澤さんだからこそ生み出せる、唯一無二の表現ではないだろうか。
人や土地の歴史との出会い。先人たちの歩みが“師匠”

誰か特定の人に師事せず、自らの道を歩んできた小野澤さん。
「岐阜にいたときは、美濃の歴史の深さを感じましたし、馬頭にいたときは、益子焼よりも古い小砂焼(こいさごやき)やそれを手掛けている人にも出会いました。師匠という人はいませんが、そういうものを見聞きして、肌で感じて、先人たちがやってきたことを感じるようにしてきました」。
歴史が好き、土器が好きと話す小野澤さん。その言葉からは、単なる「好き」ではなく、どこまでも先人たちの歩みや、歴史への尊敬の念が感じられる。
「益子に実際に住んでみると、地元の人も知らないような歴史を知ることもできました。色々な歴史があって成り立っている土地だと知ることが好きだし、その好きな気持ちは、ここで作品を作るモチベーションにもなりますね」。
「ろくろに感じる本質的なものを見出したい」
国内の個展やワークショップ、海外まで活動の幅を広げる小野澤さんは、「40歳になったので、体力があるうちに、大きな作品を手びねりでやってみたいですね」と話す。
ロダンなど人体彫刻を眺め、その背景に思いを馳せるのも好きだと話す小野澤さんは、「対象を見つめる仕事がしたい」とも。小野澤さん曰く、「電動ろくろには、規則性があって、その中にも美しさがあるという。そのろくろで作ったもの(対象)を見つめながら、手びねりで作品を作りたい」とのこと。
二度手間では?と感じずにはいられないが、それこそが小野澤さんがやりたい「対象を見つめる仕事」なのだそう。「一旦ろくろで作ったもの(対象)をしっかりと“見つめて”、そこから自分が何かを感じ取ろうと向き合うことで、ろくろに感じる美しさの本質的なものが見出だせるのではないかと思うんですよ」。非常に感性的ではあるが、その繊細で美しい感覚や思考こそが、今と古をつなぐような作風の源泉であるのだと思わずにはいられない。
自身で目で見て、感じたこと。新たな学びも発見も、すべて作品へと昇華させてきた小野澤さん。きっとこれからも人類の歴史のように、止まらぬ進化を重ねてゆくことだろう。



