群馬県の南東部に位置し、利根川と渡良瀬川に挟まれた邑楽郡邑楽町(おうらぐんおうらまち)で、主に白菜の生産を手がける、農業法人「Vegeta株式会社」。この地域で作られている白菜のなかでも、厳しい基準をクリアしたものだけを「邑美人(むらびじん)」というブランド白菜として売り出し、他との差別化に成功している。
農業は面白い。それを証明したい

群馬県の東⽑エリアと呼ばれる地域に位置する邑楽郡邑楽町は、赤城山や榛名山などの噴火で堆積した火山灰で形成された、関東ローム層が広がる地域だ。このエリアは火山灰を起源とする黒ぼく土(有機質土)に恵まれており、有機物を多く含むこの良質な土壌が、赤城山から吹き下ろす「赤城おろし」と呼ばれる寒風と相まって、おいしい野菜を元気に育てている。なかでも、冬場にこの土地で栽培される白菜は大ぶりで柔らかく甘みがあり、邑楽町が誇る特産品となっている。
町の多くの農家が特産品の白菜を作るなか、⼀般的な⽩菜に比べてみかんや梨と同レベルの⾼い糖度の白菜を作る兄弟がいる。それが「Vegeta株式会社」の松島兄弟だ。
周りが反対する中、脱サラして農業へ

代々、農業を営んできた松島家。松島章倫(まつしま あきのり)さん、圭祐(けいすけ)さん兄弟も、子供の頃から畑で働く祖父の姿を見て育った。畑に魅力を感じつつも、大学卒業後は会社員として働いていたが、祖父の病気をきっかけに弟の圭祐さんが畑をすべて引き継ぎ、就農した。
「弟が先に農業を始めて、その2年後に自分も農業を継ぐことを決め、兄弟で本格的に農業を始めました」と兄の章倫さんは当時を振り返る。
高齢化による農家の跡継ぎがいないことが問題となっている今だからこそ、農業には大きな可能性があるのではないかと思い、農家に転身したという章倫さん。とはいえ当時、引き継いだ畑の大きさは現在の1/100程度。本当に小さな規模からのスタートだった。
「農業を継いだ当初は、誰に相談しても“百姓なんかやるもんじゃない”って、ずっと言われ続けました」
それでも可能性を信じて白菜作りに取り組み、どうしたら「もっとおいしい」白菜が作れるか、試行錯誤の日々が始まった。
やった分だけ返ってくる、農業の面白さ

元々、白菜の栽培に適した気候の邑楽町。冬は雨が少なく、「赤城おろし」といわれる北西の強い山風が吹き続けて乾燥する土地柄。朝晩は氷点下まで気温が下がり、「寒さ」というストレスが加わることで、凍らないように白菜自身が糖を蓄え、防衛本能で甘くなる。この乾燥と低温が、良質な白菜を作るのに適した気候となっている。
それに加えて土壌にも力がある。「黒ぼく」といわれる火山灰土は、土壌の団粒構造により相反する性質の保水性と透水性の両方を兼ね備えているため、水捌けがよく肥料の持ちがいい。そのため、畑のエネルギーをたくさん使う白菜が栽培しやすいのだ。
「白菜向きの土壌ですが、作り続けているとどんどん畑の力がなくなってしまうので、畑の力を維持するために牛の堆肥や植物そのものを土壌にすき込んで使用する緑肥を植えて、有機物を入れて微生物を動かしています」と弟の圭祐さん。
同じ気候、同じ土壌で同じ品種を栽培しても、同じ味わいの野菜にならない。そこが面白くて仕方がないという。
「土作りはもちろん、苗作りにもこだわり、種を撒いた瞬間から綿密に水管理を行い、独自の育苗培土を使用して育成しています」
こうして愛情込めて育てられた白菜は、主に邑楽町のブランド白菜「邑美人」として出荷されている。
ブランド白菜を、たくさんの人に知ってもらいたい

土作りや苗作りにこだわり、邑楽町のブランド白菜「邑美人」など、高付加価値な白菜を栽培している松島兄弟。まったくの未経験から農業を始めたが、安定して高品質な野菜が出荷できるようになると、愛情込めて作った白菜の素晴らしさを世の中に伝えたいと思い始める。
元々、邑楽町は高品質な白菜の産地だったが世の中には周知されていなかったため、ブランド白菜の特徴を多くの人に知ってもらおうと、自分たちでSNSの発信を開始する。メディアへの出演も率先して行い、邑楽町の白菜をPRしてきた。その甲斐あって現在では、ブランド白菜の知名度がじわじわと広がり、味も良く見た目も大きくインパクトのある白菜の産地として、邑楽町は認識され始めている。
地域ブランドとしての地位を確立した「邑美人」。そのなかでも松島兄弟の作る白菜は、特に甘味が強いと評判になる。そこで販路も含めて、自分たちで作る白菜のブランディングについて模索し始める。
独自の販路を開拓し、新しい農業の形を作る

高品質な白菜作り、地域のブランディング、自社ブランドの創造と、未経験で就農したからこそ、思いつく限りのことを何でもやってきた松島兄弟。サラリーマン時代の経験から、普通の農家がやらないような形で農業を「経営」していくことが、今後の農業の発展につながると信じて、2019年に農業法人Vegeta株式会社を設立した。独自に設けた厳しい社内規定や特別な管理の元で、ハウスブランドの「黄芯白菜 極」を完成させ、スーパーと直接契約し独自の販路を開拓していく。
今でこそ「食べチョク」など、農家が直接、消費者に生産物を販売する産直ECという方法があるが、Vegetaを設立した当初は指定された品種を農協に卸すしか販路がなかった時代。農業法人としてホームページを持つこと自体、珍しかったという。市場に出荷しつつ、ホームページを見たスーパーからの問い合わせで直接取引を行うようになると、自社ブランドの白菜の価値をしっかりと伝えようと、スーパーの売り場のPOPを一緒に考えながら、担当者と一緒にブランディングを進めていった。
「おいしさには絶対の自信があったので、とにかく1回食べてもらって、うちの白菜の良さを理解してもらいたいっていう一心でした」
こうした地道な活動が、テレビ出演をきっかけに少しずつ実を結び始める。
農地確保と経営規模のバランス

会社設立後は農地を広げて畑の面積を拡大させ、正社員や海外実習生を積極的に採用して、人を育てていくことにも注力していった。松島兄弟の考える「新しい農業」を推し進めていくためには、農地の確保が課題のひとつとなっている。なぜなら、現在Vegetaが所有する畑は東西約15kmの中に180ヶ所ほど点在している状態だからだ。
「新しく広げた畑の隣が耕作放棄地だったりすると、虫が湧いたり木が生えてきてトラクターに当たったりと問題が多い。そうなる前に手入れしたいけど、他人の土地を勝手に耕すことは法律的に禁じられているため、現状は何もできずにいます」と章倫さん。
隣接する畑が購入できないことで農地が集積できず、モザイク状にしか農地が確保できないため、作業をするにも移動距離が長くコストもかかり、管理をするのも大変な状況だ。
「問題は山積みですが、やり方次第でうまくいくこともある。失敗もするけれど、失敗のデータを残しながら前に進んでいきたいし、自分が動いたことで向上していくのを実感すると、やる気が出ますよね」と圭祐さん。
作ったものを市場に出して値段をつけてもらう今までの農業から、今後はお客様が求めることに応じて経営規模を維持できる農家に成長したいという。
農家に対する世間の価値観を変えていきたい

⼀般的な⽩菜の糖度が約6度なのに対し、一番高いときで中心部分の糖度が11度にもなるVegetaの白菜。「フルーツのような野菜」と称されるが、土作りや肥料の設計など、その栽培方法をどうやって後進に伝えていくかが今後の課題でもある。
「同じ地域で同じ品種を作っても、全然甘くない人もいます。昔から感覚的な部分が多い農業でしっかりとデータを残し、今後IT農業なども視野に入れて、白菜の品質をさらに高めて単価を上げていきたいです」
素人だった兄弟が小さな畑から始めた農業は、今では当時の約100倍規模の畑を持つ、町で一番大きな農家となった。
「農業は面白くて、かっこよくて、稼ぐこともできる素晴らしい職業です。地域の未来も明るくする夢のある職業だってことを、多くの人に伝えたいですね」
衝撃と感動の野菜を届ける松島兄弟は、地域の農業を盛り上げ、農業の楽しさと可能性をこれからも発信し続けていく。