能登半島の沿岸は、暖流系と寒流系の魚が豊富に獲れる好漁場。能登伝統の定置網漁を受け継ぐ「日の出大敷(おおしき)」では、網元・中田洋助(なかだ ようすけ)さんが鮮度を保つ処理技術を強みに多くの料理人と直接取引を行っている。中田さんは能登の海に情熱をかけ、今日も船に乗る。
100種類以上の魚がとれる豊かな漁場

春はタイやサワラ、夏はマグロ、秋はカマスにスズキ、冬になればブリ、タラ、イワシ。能登半島沿岸には豊かな漁場が広がり、市場に流通する魚だけでも100種類を超える。
能登で獲れる魚の顔触れは、なぜこれほど多彩なのか。その理由は日本地図を見ると分かる。本州のちょうど中ほどに位置する能登半島沖には、南からの対馬海流が流れており、海流に乗ってイワシやサバなどさまざまな魚がやってくる。一方で北海道沖から南下してくるのはブリをはじめとする回遊魚。南から、北から、多種多様な魚が能登半島沖に集まってくるというわけだ。
定置網漁の伝統を継ぐ「日の出大敷」

能登半島の先端部に位置する石川県能登町(のとちょう)は、定置網漁がさかんなまち。この地での定置網漁の歴史は室町時代にさかのぼるといわれ、江戸時代の文献『能登名跡志(のとめいせきし)』には「能登一の漁場なり、大漁至極の所なり」と記されている。
能登町鵜川(うかわ)で定置網漁を営み、年間2000tの漁獲高を誇る「日の出大敷」。5代目網元・中田洋助さんは水揚げした魚の品質にこだわり、プロの料理人からも厚い信頼を得ている。
魚を待ち受けて、網の中へと誘い込む定置網漁

午前1時。船は港を出て、エンジンの重低音を響かせながら沖合キロメートルに設置された定置網に向かう。日の出大敷の定置網は全部で2ヶ所。真っ暗な海上を走っていくと、定置網のありかを示す丸い浮き球の列が見えてきた。船がスピードをゆるませると、そこには群れをなして舞うカモメの姿が。「カモメがいるってことは、魚もたくさん入ってる」と中田さんは顔をほころばせる。

定置網は長さ約500m、幅約100m。この網に対して直角に「垣網(かきあみ)」が張られている。「垣網はカーテンのように海中に垂らした障害物です。長さは1000mくらい。魚の行く手をさえぎって、定置網の中に誘い込む仕組みです」と中田さんが説明してくれた。

定置網漁は2隻がペアとなり、片側の船が網のロープをたぐり寄せながら、網の口を小さくしぼっていく。互いの船体が間近に迫った頃、網の奥に追い込まれたイワシの大群が見えてきた。海面をたたく銀色の群れに大きなたも網を入れ、一気にすくい取ってクレーンで引き上げていく。
獲れたての鮮度を保つ「神経締め」

ひとりの漁師が、網に入っていた魚を1尾取り上げた。細いピックを魚の眉間に刺し、エラに刃を入れ、眉間からワイヤーを通してトロ箱へ。この間わずか数秒。直前まで暴れていた魚は、氷水の中で静かになっていた。
日の出大敷ではマグロやブリ、タラなどの中から状態の良いものを選んで「神経締め(しんけいじめ)」や「血抜き」を行っている。神経締めとは、魚の鮮度を保つ処理方法だ。眉間からピックを刺して脳死状態にした後、背骨に沿ってワイヤーを通して神経を壊し、瞬時に絶命させる。
「神経締めをした魚は死後硬直が遅れます。その分、身に含まれるエネルギー成分が旨みに変わる時間がのびるので、旨みが増える」と中田さん。エラを切って放血する血抜きも鮮度保持に欠かせない処理方法だが、魚の雑味をなくし、香りを際立たせる効果もあるという。
これらの処理を船上で手際よく、確実に行うためには熟練の技術と経験が必要だ。魚の鮮度と味は漁師の腕にかかっている。
料理は「獲る」ところから始まる

中田さんは料理人との交流も深い。有名寿司店の大将と一緒に船上処理や温度管理の方法を研究してきた縁で、東京の星付き店のシェフをはじめ数多くの料理人とつながりを持った。
料理人が定置網漁を見に来ることもあるし、中田さんが店に足を運んで料理を味わうこともある。「料理は、魚を獲るところから口に運ぶところまで、分業で成り立っています。僕の仕事はベストの状態で料理人に届けること」。自分が獲った魚がどんな料理になるのかを知ったうえで、最適な処理をする。「料理は船の上から始まっている」というのが中田さんの考えだ。
漁業を取り巻く厳しい状況を乗り越えるために

気候変動や乱獲、物価の高騰など、漁業を取り巻く環境は年々厳しくなっている。中田さんによれば「ここ30年で船の価格は2.5倍。そのほかの経費もすべて上がっているのに、魚価は30年前より安い」という。
日の出大敷では近年、神経締めなどの船上処理によって魚の付加価値を高め、「量より質」を目指してきた。定置網に魚群探知機を設置してモニタリングし、無駄な操業を減らすなどの効率化も進めている。
しかし自助努力にも限りがある。「安くて旨いのが当たり前の時代ですが、安いってことは、どこかにしわ寄せが生じている。消費者はそれを知るべきだし、食に関わる仕組みを改善しないと漁業は成り立たなくなる」と中田さんは力を込める。

漁業を持続可能な産業として未来につなぐ取り組みも進めている。ひとつは資源保護だ。網に入るのを「待つ」定置網漁は資源にやさしい漁法といわれるが、より積極的に資源を守るために網の目を広げて小さな魚を逃がす工夫をしたり、稚魚が多い夏に2ヶ月の休漁期間を設けたりと、能登の豊かな海と共生する取り組みを行っている。
もうひとつは、子どもたちが「漁師」という職業を選べる未来にすること。日の出大敷では月給制、週休2日制、夏と冬のボーナス支給など、一般の会社員と変わらない待遇を用意している。「地元の小学校に漁業の出張講座に行くと、子どもたちが目を輝かせて聞いてくれる。漁師を魅力ある職業にするのは、僕らの世代の仕事です」と中田さんは言う。
能登半島地震からの復興を目指し、いち早く漁を再開
2024年の能登半島地震では、日の出大敷が拠点とする能登町でも大きな被害が生じた。津波が押し寄せ、インフラは壊滅。人々は避難所で先の見えない生活を送ることになった。
港では岸壁や作業場が損傷したものの、船は無事だった。中田さんは各方面に掛け合って船への給油や氷の手配などの準備を整え、発災後わずか1週間後に漁に出ることを決めた。
「実は漁を再開しようと決めた後も、いろいろ悩んで眠れなかったんです。こんな状況で仕事をしていいのか、誰が喜ぶのかって。その反面、1日でも早く誰かが踏み出さないと、とても復興には向かえないとも思いました」と当時の心境を語る。沖に出て網を上げた時、船上には久々の笑顔が広がったという。日の出大敷が踏み出した一歩は、港町が再び動き出すための一歩になった。
能登の食材に誇りを。新たなまちづくりへの挑戦

能登町では地震後、人の流出が続いている。中田さんは「まちに新たなチャレンジが生まれれば、人は戻ってくる」と考えている。その方法のひとつが「食を通じたまちづくり」だ。能登の魚に価値があること、一流店で通用することを地域の人々に知ってもらい、まちへの誇りを取り戻すきっかけにしたいという。
その方法が飲食店の運営なのか、イベントの開催なのか、形はまだ決まっていない。交流のある料理人たちも巻き込んで「食でまちを楽しくしたい」と、中田さんはさまざまなプランを描いている。
「僕は今、いろんな挑戦をしたくて、うずうずしているんです」。地震後にいち早く出漁した時の経験から、最初の一歩を踏み出せば人の輪や笑顔が広がることを、中田さん自身がよく知っている。まちに誇りと賑わいを取り戻す挑戦は、いま始まったばかりだ。