美しきリアス海岸を望む奥能登の隠れ家。「能登九十九湾 百楽荘」/石川県能登町

大小の入り江からなる九十九湾(つくもわん)は、日本百景にも選ばれた景勝地。深く入り組んだ湾を見下ろす丘の上に、創業から90年以上の歴史を刻む旅館「能登九十九湾 百楽荘(ひゃくらくそう)」がある。海と緑が織りなす絶景とともに、スローな時間を過ごす贅沢。宿がうたう「百の楽しみ」が、旅の印象を美しく彩る。

穏やかな入り江が続く九十九湾

能登半島の先端に近い石川県能登町(のとちょう)。海沿いに点在する港町を東へたどった先に、能登有数の景勝地「九十九湾」がある。
九十九湾は、入り組んだ海岸線が総延長13㎞にわたって続くリアス海岸だ。湾の奥行きは最大1,200mにもおよび、湖のように穏やかな湾内に小舟が浮かぶ。いくつもの入り江が描く風景は四季折々に美しく、見飽きることがない。
「能登九十九湾 百楽荘」は、湾を眼下におさめる高台の宿。風情ある門をくぐって山道を登っていくと、宿の端正なたたずまいが見えてくる。

日常の喧騒から離れ、能登の隠れ家で過ごす

創業は1934年。美しい海のたもとで、長年にわたって旅人をもてなしてきた老舗旅館だ。九十九湾を一望のもとに見渡すロケーションもさることながら、非日常をコンセプトとした空間作りや、つかず離れず、寄り添うような心地よい接客など、上質のもてなしが多くのリピーターを生んでいる。

石工が3年かけて手掘りした洞窟風呂

この宿の名物は、地下30mにある洞窟風呂。フロントからエレベーターで地下2階におりると、約50年前にひとりの石工が3年の歳月をかけて掘り進めた洞窟がある。

かつてこの一帯は、かまどや囲炉裏などに使われた「小木石(おぎいし)」の産地で、昭和のなかごろまで大勢の石工が活躍していたという。小木石の採掘が終焉(しゅうえん)を迎えた頃、「最後の石工」とよばれた職人が、宿の依頼でこの洞窟を掘った。岩肌に残るつるはしの跡は、能登の歴史でもある。

足元を照らす灯りをたよりに歩みを進め、いよいよ洞窟風呂へ。岩に囲まれた浴槽には、九十九湾の沖合、水深320mからくみ上げた海洋深層水のお湯がなみなみと満たされている。深海に眠っていた海洋深層水は肌当たりがよく、ゆったりと浸かれば心も体もたちまちほどけていく。

洞窟風呂は2024年6月にリニューアルし、九十九湾を望む露天風呂と、間接照明が幻想的な洞窟サウナが加わった。非日常の極みともいえるこの空間を目当てに訪れる人も多いという。

静かな海景をひとり占めできる客室

客室はスタンダードからアッパースイートまで全26室。露天風呂付き、テラス付きなど客室ごとに趣向を凝らし、選びぬいた調度品や照明が上質なくつろぎを演出する。そして何より、客室から望む九十九湾の眺望こそ、日常を忘れさせてくれる最高のごほうび。静かな入り江は朝に夕に表情を変え、何もしない贅沢を心ゆくまで堪能させてくれる

館内にはダーツやビリヤードを楽しめるゲームラウンジや、5つの貸切風呂、スイート専用のプレミアムラウンジなど、思い思いのひとときを過ごせる場所が随所に。宿泊客それぞれが「百の楽しみ」と出合えるようにと、毎年のように少しずつ改装を重ねてきた。

能登半島地震で被災し、一時休館

2024年1月1日元旦、ほとんどの宿泊客がチェックインを終えてくつろいでいた時に能登半島地震が発生した。スタッフが手分けして宿泊客を安全な場所に誘導したが、宿に続く道路が地割れで通行できなくなり孤立。不安な一夜を過ごしたという。道路は、宿のスタッフがブロックなどを使って懸命に応急復旧を行い、翌日にはなんとか宿泊客全員を見送ることができた。

総支配人の熊谷穂乃美(くまがや ほのみ)さんは、当時の思いをこう語る。「お客様の安全が最優先でした。無事にお帰りになったお客様から連絡をいただいた時は、心底ほっとしました」。

宿の被害で最も大きかったのは、海辺の施設だ。釣った魚を夕食で提供するサービスで人気を集めていた釣り桟橋(さんばし)は、津波で流失。同じく海にせり出すように設けていた離れの食事処も、基礎ごと波にさらわれてしまった。高台に立つ建物に大きな損傷はなかったものの、多くの設備や備品が壊れ、水の供給も完全にストップ。熊谷さんは当分の間、営業は難しいと判断した。

復旧作業に取り組むスタッフたちに力をくれたもの

水道が復旧したのは地震の翌月。しかし近隣ではまだ断水が続いており、避難所で暮らす人も多かった。営業再開に向けて客室修繕などの復旧作業を進める中、スタッフたちから「地域のためにできることをしたい」との声が上がり、近隣住民に食事と入浴をふるまう催しが企画された。

入浴してさっぱりとくつろいだ人々の笑顔と、ほんのひとときの館内の活気は、スタッフたちの大きな力になったという。

宿にはリピーターをはじめ、全国から多くの応援の声が届いていた。「地域の方々、百楽荘を愛して下さるお客様に支えられていることを、改めて実感しました」と熊谷さんはしみじみと振り返る。

営業を再開したのは、地震から約3ヶ月半がたった4月19日。客足が戻る見込みはなかったが、ひとりでも多くの人に能登に来てもらうことが復興への力になると考えての決断だった。

豪雨災害で、戻りつつあった客足が再び遠のく

営業を再開したばかりの頃は被災地入りを自粛するムードもあり、宿泊客は少なかったという。しかし再開を待ちわびていたリピーターや、能登への応援を兼ねて宿泊する人が少しずつ増え、ハイシーズンとなる夏休みにはようやく賑わいを取り戻した。

ところがその年の9月、能登を再び災害が襲う。能登半島地震に次いで2度目の激甚(げきじん)災害となった能登半島豪雨だ。高台にある宿に直接的な被害はなかったものの、予約のキャンセルが相次ぎ、再び客足が遠のいてしまった。これから復興に取り組んでいこうとしていた矢先の豪雨災害。取引している農家にも大きな被害が出て、宿には重苦しさが漂ったという。「能登の広い範囲に被害があり、それを思うと胸が詰まるようでした」と熊谷さん。それでもスタッフたちは訪れた宿泊客を精一杯もてなし、また応援の声に勇気づけられながら日々を過ごした。

地震から1年、豪雨から3ヶ月が過ぎたその年の年末年始、客室はようやく満室に。「能登復興を応援するために来ました」と声をかけてくれる宿泊客も多く、熊谷さんは地域に根ざす宿の使命を改めてかみしめたという。「私たちがほんの少しでも能登復興のお役に立てているなら、この1年を頑張って積み重ねてきてよかったと思います」。

能登の生産者とともにある宿を目指して

能登の豊かな産物を盛り込んだ料理は「能登九十九湾 百楽荘」の自慢のひとつだ。しかし地震で多くの生産者が被災し、食材をさばく市場や流通の機能も麻痺してしまった。日頃から取引している生産者は「漁に出られない」「作っても売れない」「出荷できない」といった苦境に立たされていた。

手に入らない食材は能登以外の場所から取り寄せることもできたが、総料理長の島田大輔(しまだ だいすけ)さんは「できる限り、能登の食材を使う」と決めた。食材を仕入れるために生産者のもとに足を運び、「出荷先を探している人がいる」と聞けば紹介してもらった。こうして生産者と宿の取引ネットワークをしっかりとつなぐことで「能登の生産者と豊かな恵みを守りたい」と島田さんは言う。

この日、食膳にのぼったのは、能登町宇出津(うしつ)港で買い付けた天然ブリと、珠洲市蛸島(すずし たこじま)港で揚がったばかりの加能(かのう)ガニ。「素材がいいから、余計な手は加えません。能登の食材の魅力を存分に堪能していただきたいですね」と島田さんは笑顔を浮かべた。

本当の意味で「復興」と言える日まで

営業再開から約1年が過ぎたが、津波で失った釣り桟橋や食事処は手つかずのまま。施設の復旧に向けた取り組みは今も続いている。

一方で「施設の完全復旧がゴールではない」と熊谷さんは考えている。能登全体ではインフラや暮らしの再建が少しずつ進んでいるが、傷跡は大きい。本当のゴールは、この宿を訪れた人が「元気を取り戻した能登をめぐって、新しい魅力や楽しみを実感できた時」だと熊谷さんは言う。

能登をめぐっていると、「今の能登を見てほしい」「たくさんの人に来てほしい」という声を聞く機会は多い。ひとりでも多くの人が能登を訪れることが、復興への力となる。その旅の起点となる「能登九十九湾 百楽荘」は、本当の意味での復興に向けてこれからも前向きに進んでいく。

ACCESS

能登九十九湾 百楽荘
石川県能登町越坂11-34
TEL 0768-74-1115
URL https://www.100raku-noto.com/
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