鳥取市青谷町(あおやちょう)で明治時代から続く酒蔵「山根酒造場」。創業当初からの銘柄『日置桜(ひおきざくら)』は、熟成させるほどに旨味を増し、食事を活かしてくれる酒だ。しぼりたての味わいにこだわる蔵もある中、時間とともに酒を育てる方針を大切にしている。
鳥取市青谷町・日置谷での酒造り
鳥取市の西端に位置する青谷町。合併する前は日置谷(ひおきだに)村があった場所だ。山々に囲まれた日置谷は、稲作や和紙づくりで栄えてきた。そんな日置谷村で明治20年(1889)に創業したのが「山根酒造場」。創業当初から代表銘柄の『日置桜』を造り続け、現在は山根正紀さんが五代目の蔵元を務めている。
村のシンボルから生まれた日置桜
日置桜の名前の由来は、村に咲いている1本の桜。早咲きのため2月には咲きはじめ、「この桜が咲くと春が来る」と村民たちから慕われている。この桜のように「みんなの心のよりどころとなるように」と生まれたのが、山根酒造場の日置桜なのだ。
また、日置には「日を置くほど佳(よ)くなる酒であるべし」という信念も込められている。山根酒造場で造られている、唯一の銘柄だ。
鳥取の固有米・強力を復活
使用している酒米は、鳥取県でしか栽培されない強力(ごうりき)、全国的にもメジャーな山田錦、鳥取県でよく使われている玉栄(たまさかえ)がメインだ。ほかに山田錦の祖先ともいわれる雄町(おまち)などを使用している。
なかでも、強力は鳥取県らしさを表す品種。もともとは山田錦や雄町と同様に、吟醸造りに適した酒造好適米として誕生した。米がよく溶ける要素のひとつである線状心白があり、酒造りに向いていたものの、稲の背が高く倒れやすいという短所があった。また、収量もあまり多くは取れず、昭和30年代に1度その系譜が途絶えてしまったのだ。
その後、山根さんの父親をはじめとする蔵人たちが「鳥取にしかない米で酒を造りたい。現代醸造で強力を使った酒を造ろう」と声をあげ、大学に保存されていた原種から強力を復活させた。
現在は強力を途絶えさせないために、県内の蔵や大学の教授と協力して団体を運営し、種を守っていく活動も続けている。
腹が減る酒を造るために
鳥取の日本酒には、日本海で取れる身の締まった魚介類に合うような、辛口でかっちりとした味わいの酒が多い。山根酒造場でも、しぼりたては苦みがあるが熟成させるほどに味わい深くなるよう、もろみの中の糖分を酵母にしっかりと食い切らせる完全発酵を目指している。その理由を聞くと「腹が減る酒を造りたいからだ」と山根さんは教えてくれた。
「祖父に『食の邪魔をする酒だけは造ってくれるな』と言われ、長年悩みました。その後、父にも考えさせられ、酒のみで進む酒ではなく、食を活かす酒のことだと気付いたんです。そのために、苦み・渋みがあり、食欲をかき立ててくれるような酒を目指しています」
鳥取特有の酒米は、新酒の状態では苦みや渋みも感じられるが、熟成をさせてから真価を発揮するものが多い。そういった酒は、食事を邪魔するのではなく、飲むほどに食欲をかき立ててくれる。鳥取らしさを活かした酒造りが山根さんの目指す姿となった。
農家さんとのぶつかり合い
食欲をかき立ててくれ、心地よく酔える酒はどうしたら造れるのか。長年試行錯誤を繰り返し気づいたのは、農薬や化学肥料の使用をできるだけ控えた米で造られた酒は、五味では表現しきれない滋味深さがあり、酔いが回ってきたときに体の負担も少なく心地よく酔えるということ。
だが、農薬を使わない方がよいのは農家さんも重々わかっている。農薬の使用を控えると、米の収量が減ったり、虫がつきやすくなったりとトラブルも増えるため、実際に受け入れてくれる農家さんは多くはなかった。
また、それまでは自分たちの育てた米がどうやって酒になるのか、どういう米が美味しい酒になるのか、イメージを持って栽培している農家が少なかった。米を日本酒にする際、米のまわりのタンパク質や脂質などは酒の雑味になり、精米歩合が高いほど、洗練された味わいになるといわれている。その点を理解して栽培すると、なるべくタンパク質の量を抑えた酒米になるよう、施肥量や水の管理方法も変わってくるのだという。
協力してくれる農家さんとお互いの想いを伝え合うまで、山根さんは何度も酒を酌み交わし、育った米がどのように酒になるのか、伝えることを諦めなかった。次第に「自分たちの米が酒に変わるとはどういうことなのか」を理解してくれる農家さんがひとり、ふたりと増え、農薬の使用をなるべく控えつつ、山根さんの酒造りに共感してくれる農家が増えていった。現在は8軒の契約農家から酒米を仕入れている。
米の品種ごと、生産者ごとに仕込む
そんな想いが詰まった米は、品種によって、そして生産者によって味わいが異なる。そのため山根酒造場では、米の品種ごと、生産者ごとに仕込みを行っている。量が少ないため蔵人には手間がかかるが、すべて小仕込み(大きな樽での仕込みではなく、少量ずつ仕込むこと)だ。
「いい酒はいい米からできる。その背景を知ってもらいたい」と、ラベルにも米の生産者をすべて記載するようにした。すると今度は米の生産者にファンができるようになり、他の品種で造られた酒と飲み比べてくれるなど、いい変化がたくさん起きたという。
生酛造りへのこだわり
山根酒造場では平成14年から生酛(きもと)造りに着手。
現在、日本酒の造り方には大きく2つがあり、主流とされているのが、酒母に乳酸菌を加える速醸(そくじょう)造りだ。雑菌の繁殖を抑えられるため、多くの蔵で取り入れられている。それに対し、生酛造りは乳酸菌を加えず、乳酸を自然に発生させる方法となる。
山根さんが最も注力しているのは生酛造り。生酛造りでは酒母を混ぜ合わせる「山おろし」を行い、天然の乳酸を育成させる。また、その中で蔵に生息している酵母菌が取り入れられ、その蔵独自の味を生み出す。山おろしをしない製法は、山廃仕込みと呼ばれる。
「醸造の先生には『山廃からやれ』と言われたが、山廃は最初から頭になかった。生酛造りをやりたい一心で始めたんです。人工的な乳酸菌を入れる速醸に対して、生酛は関与する微生物の数も違うので再現性がない。でも、そこが面白いんです」
酒の表情の変化を楽しめる、妖艶な日本酒を
日本酒を飲む際、「何度で飲むとよいですか」と聞かれることが多いが、その問いに山根さんは「皆さん、いろいろ遊んでください」と答える。日本酒は温めると香りが広がり、少しの温度変化によって味わいも変わる。この温度で飲むのがいい、という基準に合わせるのではなく、自分の好きな温度に温めて少しずつ変わる酒の表情を楽しんでほしい。そうして、自分の好みの表情を見つけてほしい。
そうやって楽しんでもらうために、今山根さんが目指しているのが酒の持つ「妖艶さ」だ。たとえばワインのように、飲んだときに心地よく酔える、不思議な感覚を穀類で出せないかと研究中なのだという。
「その妖艶さが出せるとしたら、やっぱり生酛だと思っています。20年かかってもなかなか妖艶さが出せなくて。後悔しないように、色々と変えながら挑戦中です」
まぶしい笑顔を見せた山根さんの目指す先には、先々代をも納得させる自慢の日置桜が誕生することだろう。